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私が好きなもの①アイドル

私はアイドルが好きである。

 アイドル: ①偶像。②あこがれの対象者。人気者。アイドルという概念について考える時、私は初めてアイドルを好きになった頃を思い出す。小学4年生、10歳の時、CMで聴いたあの国民的アイドル嵐の『きっと大丈夫』。聴いた瞬間、初めてのときめきを覚え、急いで蔦屋でレンタルしに走った。父が職場のビンゴの景品で貰ってきたSWIMMERのカバーをつけたiPodにダウンロードし、繰り返し繰り返し聴いた。そして初めて今でいう"推し"ができる。人生初の推しは櫻井翔だった。初めて買ったCDは『Happiness』。小学6年生のクリスマスプレゼントはアルバムツアーTIMEのDVD。ちなみにこの年サンタさんの概念が我が家から消えた。中学受験の日の朝に聴いた曲はもちろん『サクラ咲ケ』。そして中学1年生の誕生日プレゼントにファンクラブに入会。人生で初めて行ったコンサートは東京ドームでの君と僕の見ている風景。初めて作ったうちわは表に『翔』、裏に『指差して』。全てが初めてで、自分より10個以上年上の彼らに憧れの感情を抱いていた。お金はかけられないけど、プリ画像でひたすら検索して膨大な待ち受け画像を保存して、着信音も嵐にして、心の底からオタクをしていた。初めてのコンサートで彼らが登場した時、信じられないくらい涙が溢れたのを今でも覚えている。彼らは本当に存在するんだ、そう気づいてひたすら泣いた。泣き止まないと勿体無い!と思いながらもひたすら泣いた。そしてその帰り道、母にボソッと私は言った。『わたし、嵐が好きなのか嵐になりたいのかわからない。』さぞ母はびっくりしただろう。まさか自分の娘が嵐になりたいなんて。ただ、この感情はあれから10年以上経っているが継続している。これこそが、アイドルへの憧れの始まりである。私はあの大きな舞台に立ち、多くのファンから歓声を浴び、いつどこを切り取っても画面で見ていたように、いやそれ以上に輝いている彼らに憧れを抱いていたのだ。

 ネットでアイドルという単語を調べると、「ファン多く異性であり恋に近い心情抱きつつ熱狂的応援する」というイメージ伴って思い描かれる点で、いわゆる人気者」とはニュアンス異にする。(webioより)と初めに述べた意味に加えて記してある。俗に言うリアコ、ガチ恋というものだろうか。なんとなく私はこの文章に素直に頷くことができない。もちろんこの考えのアイドルを応援する人たち、すなわちオタクも世の中には多く存在するであろう。ただ、この文章を読むと、オタクというもののステレオイメージを感じ、少し寂しい気持ちになるのだ。ファンの多くが異性、恋心を抱く、この文に嫌悪感を抱くのだ。だがきっとこれがステレオイメージなのだろう。だからこそ私は今この文章を書いている。この文になぜ嫌悪感を感じるのか、私のような考えのオタクも世の中にたくさんいる、この二つに気づかせてくれたある番組と去年出会う。それが『PRODUCE101JAPAN SEASON2』である。

 2020年3月にデビューしたJO1を輩出した、韓国の人気オーディション番組『PRODUCE 101』の日本版『PRODUCE 101 JAPAN』の第二弾番組である。デビューは全て国民プロデューサー(通称国プ)の投票数で決まる、サバイバルオーディション番組だ。ひょんなことから私はこの番組を見始めた。アイドルというものへの憧れと夢を叶えるという強い気持ち、夢を叶えられるという、自分を見てくれという自信だけで辛い合宿生活を耐え、切磋琢磨していく彼らに番組を見始めてすぐ強く心を打たれた。大変私的な話であるが、このPRODUCE101JAPAN SEASON2の放送と並行して、私は現職の退職交渉を行っていた。やりたいこと、叶えたい夢に向かってただひたすら向かっていく練習生たちが、やりたいことも見つからない、やりたいことだったはずの仕事を退職しようとする私には、中学生の頃から憧れ、専門大学に入り、憧れだった職場に入職したが3年で退職を決めた私には、とにかく眩しかった。そして私の憧れであった。無理だとわかっているが、あんな風にやりたいことを見つけたい、あんな風にやりたいことに真っ直ぐ自分を信じて歩んでいきたい。やりたいことを叶えるために心、体の限界まで努力してみたい。仲間と切磋琢磨し、素直に泣き、笑い、讃えあい支え合い生きていきたい。ただただそんな彼らに憧れを気持ちを抱いていたのだ。きっとこれが私がアイドルを好きな理由である。もちろん顔が好き、ダンスが上手い、歌がうまい、これは推しになる大きな要素である。だが、そんなに顔が良くて歌が上手いのに、普通の社会なら通用するスキルをたくさん備えているのに。どうしてアイドルという苦しい思いもたくさんする業界に踏みだし絶え間ない努力を続けていくのか、そんな彼らの意志の強さへの憧れが、私のオタクというものへの解釈、原動力なのである。この番組のテーマ曲『Let Me Fly』の歌詞に、僕に託してよ、とあるが、その翼に夢を託し、自分も羽ばたきたいと思ってしまったのだ。そしてこの番組を見て思い出した、『わたし、嵐が好きなのか嵐になりたいのかわからない。』という言葉を。だから私は、アイドルオタクは異性が多く恋心に近い感情を抱いているというあの一文に嫌悪感を抱いている。

 そして、『国プ』というものに私は出会った。アイドルを目指すまだ何者でもない彼らに自分の時間を捧げ、時にはプライドも捨て一票を獲得しようとする生き物に出会い、このアイドルというものに対しての自分の感情に気づき、肯定された気がした。『あ、アイドルに対して自分の夢を託す、アイドルに憧れを抱く』ことは間違いではないのだ、と。国プというものは正直振り返ると異常である。自分の推しをデビューさせるためにお金を出し、広告を出し、人権をなくしティッシュを配り、推しに全てを託す生き物である。私も親、友達に投票を懇願した思い出がある。それはきっと、推しの夢が叶うことが自分の夢を叶うことだからだったのであろう。

 私にとって、アイドルは自分にはできない『自分を信じる』という原動力で人々を魅了し続ける、魅了するために努力を惜しまない憧れの対象なのだ。だから私はアイドルというものが好きだ。推し活という言葉が世の中に蔓延っているが、私の中では推しは活動などではなく人生の一部、いや八部であり、人生を共にするものである。去年、今まで仲の良かった友人と、推しというものを介してますます仲良くなった経験をした。大好きな人たちがもっともっと大好きになった。彼らの喜びは私の喜びであり、彼らの悲しみは私の悲しみである。だから私はアイドルが好きなのだ。彼らは私の偶像であり、憧れの対象なのだ。

 さあ、あと2ヶ月で憧れだった仕事をやめる。そんな世間的には世間をなめてる私を讃えてくれる、褒めてくれる友人に甘えているが、2ヶ月後には無職(25)になる。正直不安しかないし焦燥感に駆られている。だが、そんな私をよそに、私のアイドルは永遠にきっと、私がお金を落とし続ける限り輝き続けるのだろう。私のジャニーズで凝り固まったアイドルという概念をぶち壊し、音楽性も、アイドルという概念も豊富なK-POPというものを教えてくれたプデュ、私の毎日を肯定してくれるBTS、김석진 、そしてINI、西洸人に幸あれ、と毎日祈りながら、どんなに生活は変わったとて私はこのアイドルを推す毎日を送っていく。生まれ変わったらアイドルになりたい!とは思うけれど、それはきっとむりだから、彼らに夢を託しながらこれからもきっと生きていく。そう、だから私はアイドルが好きだ。アイドルというものが好きなのだ。

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