2022年の5冊
毎年書いている、その年に読んだ本から5冊を選んで紹介する記事。様々な分野を読んで視野を広げようとしているが、壁が迫るように狭くなっていくのを感じる。今年は仕事関連の本がだいぶ増え、純粋に趣味と言える本が減った気がする。
坂井豊貴『「決め方」の経済学』(2016)
いつもながら書き方のうまい著者による、社会的選択理論を紹介する一冊。社会的選択理論というと厳めしいが、多数決に代表されるような、集団の意見を集約する方法について書かれている。具体例がきわめて豊富で説得的で、思わず引き込まれるものがある。
みんなの意見を集約しようとすると、とりあえず多数決となりそうだが、多数決には票割れに弱いという大きな欠点がある。これは似たような選択肢が二つあると、その選択肢の間で票が割れてしまい、望んでいる人が本来少ないはずの第三の選択肢が一位になってしまう、というもの。選挙ではよく起こる事例だ。
票割れに弱い多数決への最大の対抗馬は、ボルダルール。多数決だとそもそも人はもっとも良いと思う選択肢一つにしか投票できない。ボルダルールでは1位に3点、2位に2点、3位に1点のように、順位を付けてもらう。それによって、人の細かな選好を反映させることができる。
ただしボルダルールが最強です、という短絡的な結論ではない。そもそもどんな決め方をしてもそれぞれ違う選択肢が選ばれてしまう例(ナーミの反例)もある。「民意」や集団の意志という確定的なものがあって、それをうまく反映する決め方は何かではなくて、決め方そのものが民意を作り出すのだ、と考えるべきだ。
ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』(2021)
ポスト資本主義の議論、資本主義が何か不具合を抱えていて、それを何やら修正しなければならない、という議論は、特にリーマンショック以降、盛んだ。もっと人と人のつながりを大事にした資本主義へ、とか、いまこそ共産主義(コミュニズム)の出番だ、とか。本書はあくまで、資本主義の後に残るのは資本主義だ(というか資本主義以外は何もない)という議論を展開する。
最大の収穫は、現代の資本主義を二つのタイプに分ける視点だった。一つは現在のアメリカに代表されるリベラル能力資本主義。もう一つは現在の中国に代表される、政治的資本主義だ。特に、中国を資本主義としてみなすのが本書独自の視点だろう。著者はウェーバーとマルクスから、資本主義の三条件を取り出す。そしてそれら条件は、現代の中国に当てはまるから、中国は資本主義だと言ってよいのだ。その三条件とは、(1)生産の大半が民間の生産手段で行われている、(2)労働者の大半が賃金労働者である、(3)生産や価格決定についての決断の大半が市場などで分散がされている、というものだ。
リベラル能力資本主義は、いわゆるメリトクラシーとして捉えられるだろう。古典的には資本家と労働者という別途の階級があって、富は資本家にあった。リベラル能力資本主義では、能力の高いエリート労働者が富を築く。ただ現在のアメリカは能力を身につける機会が徐々に偏ってきており、それが格差の原因だとする。
政治的資本主義は、所有権と法の適用を曖昧にすることで、優秀なテクノクラートが国家と経済をコントロールする仕組みだ。しかしそれには優秀な官僚と、腐敗と恣意的な運用のない政治が必要だ。中国ではある程度成功したが、他の国で成功するあてはない。
資本主義の未来はどうなるのかというと、現在のアメリカのようにリベラル能力資本主義からの逸脱が進んでいくと、格差は階級差として固定される。すなわち、リベラル能力資本主義は政治的資本主義に代わる。そうならないためには、(1)税制改革による富裕層への富の集中の削減、(2)公教育の改善による世代間の優位性の継承の削減、(3)「軽い市民権」の導入による移民の容易な受け入れ、(4)政治運動への資金提供の制限による富裕層からの政治的力の削減、といった策が必要だと論じられる。
牧兼充『イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学』(2022)
経営学における実証研究。主に因果推論の枠組みを用いて、イノベーションに関する実証研究の有力な論文を紹介している。イノベーションが社会に及ぼす影響、大学など研究機関や研究者とイノベーションの関係、VCの効果などが分析の対象。
こうしたアプローチは、少なくとも一般に紹介されるものは多くない。経営学はケースメソッドが旧来の中心であって、それはつまり良くできた事例を分析して要因を取り出す。しかし科学的に考えれば、それは生存バイアスである。
しかし経営学のような人文社会系の分野では、自然科学の実験のような十分のコントロールされたランダム実験はなかなかやりにくい。そこで、偶然性を利用してあたかもランダム実験のようになっている事例(自然実験)を探し出して分析する。
この自然実験がなかなか面白い。知り合いに起業家がいると起業割合が上がるのかどうか。単純な分析だと、起業を検討するような人の周りには同種の人が集まるので、ピア効果は直接観測できない。本書の紹介する論文では、ハーバードビジネススクールのクラスを分析している。このクラスはランダムに決定されるので、ランダム割付とみなせる。それによると、起業経験者はクラスメートの卒業後の起業を減らす効果をもつ。つまりピア効果はマイナス。
また、スターサイエンティスト(有力な科学者)の周囲に与える効果を調べるために、スターサイエンティストが事故などで突然死した場合を比較したりする。
統計的なp値しか見ておらず、効果量を論じていないなど、ちょっと不満はあるものの、こうした観点が紹介されるのはとてもよい傾向。今後も期待。
井上達彦、鄭雅方『世界最速ビジネスモデル 中国スタートアップ図鑑』(2021)
中国のIT系スタートアップについて。スタートアップといえど、ネットを活用する企業について、そのビジネスモデルを紹介している。製造業やバイオ系のスタートアップは扱われていない。
紹介する中国のスタートアップを、三つの世代に分けている。第1世代は1994年からのインターネット世代。パソコンを用いたインターネットが広まり始めた世代で、ここにはアリババやテンセントが属する。決済や物流、クラウドなどインターネット上でビジネスが展開されるためのインフラを構築した世代。第2世代はスマートフォンを中心とするモバイルインターネットが登場した2010年以降。バイトダンス、美団、小米などが属する。ここでは前世代が構築したインフラを補完するように、レコメンドやSNSコミュニティ、リアルビジネスとのつながりなどが生まれた。第3世代はそれらも整備され、大規模に活用できるようになった2015年以降。ここには拼多多などが属する。そして面白いことに、本書は第三世代から遡るように説明している。いまや当たり前になった世界がどう成立してきたのかを問うアプローチ。
ビジネスモデルはピクトグラムを使って表現されるなど、とても分かりやすい。大学のゼミでそれぞれが調査した結果を集めたらしい本だが、とても出来が良い。
第三世代に紹介される4社、漫画サイトの快看漫画、美容外科プラットフォームの新氧、オンライン英会話のVIPKID、SNS共同購入の拼多多については、よく知らないものも多かったのできわめて面白かった。
これらのスタートアップが勃興してきたマクロ、ミクロ的要因も分析されており、エコシステムがエコシステムを生んでいく様子が知られる。
江崎貴裕『数理モデル思考で紐解く RULE DESIGN』(2022)
視野の広さに圧倒される一冊。ルール設定、ルールデザイン、ルールメイキングといった、人がきちんと従ってくれるようなルールをどうやって作ればいいか。どういうときに人はルールに従わなくなり、ルールを設定した目的が果たされなくなるか。
非常に豊富な実例を引いて縦横無尽に論じている。それは心理学や行動経済学を中心に、経営学、複雑系、政治学、社会学、機械学習と多くの分野に及ぶ。どこかで聞いたことあるような話がきちんと取り上げられており、感服することしかり。
前半はルールが失敗する場合で、後半はルールをどう作り、変えていくかについて。ルールが失敗するときには、4つのレベルのどこかで想定外の事態が起こっているという。それらは、(1)ルールそのもの。非合理的でそもそも遵守できないルールなど。(2)ルールが適用される個人。(3)同じルールが適用される集団。(4)ルールが働く環境。
途中には、機械学習を始めとする自動化システムをルールにどう組み込んでいくか、という話題もある。人は自動化システムをどうしても信頼しがちであり、システムのどういう性質が人の過剰な信頼を呼ぶのか、といった論点がある。
効果的なルール設定は、結論としてアジャイルであるべきだ、というものいなる。ルールがうまく機能する最低条件は、効果的な目的設定、効果的な介入方法、ルールに従うと目的が達成されるロジック、ルールの持続的な運用の4つである。しかしすべての事態を予見したルール設定は不可能なのだから、ルールを導入した目的が達成されているかを、いつ・どのように評価するかを事前に定めておき、評価結果に応じてルールを改善、撤回できるようにしておくフィードバックループを設けることが重要である。例として、公共政策における適応的制度設計が挙げられている。
ちょっと独自研究のきらいが大きいが、筋はもちろん通っており、なにより力量は圧倒的だ。
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