親の役目はなんだと思う?子どもを否定しないこと、これがひとつの答えだとわたしは思う。
どうもさかき(@sakaki3mm) です!
最近子どもに対して、小さなことで怒ったりしてしまうことがあります。
まあほんとうに小さなことなんですよ。
あとになってなんでこんなことで怒ってしまったのかな、って後悔するんです。
「親になる」って大変だなぁ。
とつくづく痛感させられるのです。
そんな今日は実母に
「わたしにも我慢の限界ってものがあるわ!!」
となにかブチ切れられてしまいました。
30歳を過ぎても怒られる子どもです。
心から、なんだかなぁとなんとも言えない感情に見舞われています。
親になるってどういうこと?
上の子が5歳になったいまでもずっと悩んでいます。
自分の感情だけで怒ってしまうことも多々ある。
子どもが喜ぶだろう、と思って色々やることもある。
そんないろんな感情を引き起こしてくれる彼らは、
唯一無二。無償の愛を送り続けてくれる存在なのだ。
それを「当たり前」と思わず、
大事な存在であることに気づくかどうか。
そんな風にわたしは思う。
まずは必要最低限死なせない努力
「親になる」のは
まず最低限に赤ちゃんを「死なせない」こと。
個人的には母親も父親も同等に
これらの意識を持っていてほしいと願っています。
「わたし」「俺」が居なくなったら
赤ちゃんが死んでしまう。
両親それぞれがわたし、俺が居たらなんとか
生きていられる。そんな意識が大事なのかな、と思っています。
しばらくすると、そこから子どもたちも成長し、
大方のことが自分でできるようになってきます。
お腹が空いたらお腹が空いたと訴えてきて、
自分でご飯を食べることができるようになってきます。
眠くなったら落ちるように寝たり、と、
こちらがあれやこれやとしなくても
自らの意思を持って行動してくるようになります。
そうなりだしたら、次の段階に。
子どもを否定せず、見守り続けること
やりたいことを自ら考えて行動する力が生まれてきます。
とはいえそれが「生きていく」上に必要な、
衣食住、とはかけ離れたものだったりするわけです。
個人的に、子どもは、食べて寝る。
さえ、クリアしていればいいかな、と思うことにしているので、
それ以外にやりたいことがあるのならば、
それを思う存分やらせてあげて、
見守ってあげるのが最善なんじゃないのかな。
と思う反面、集中して全然ご飯を食べなくて、
しまい目にはお腹が空きすぎて怒り散らす、
みたいな場面に多々遭遇するので、
その加減をいい塩梅に調整してあげるのが、
親の役目なのかな、と思ったりもしています。
子どもの成長を信じて、否定しないこと。わたしはこれを徹底していきたいな。
自分の中で、ひどく頭と心と身体のギャップに耐えられなくなる時があるんです。
子どもにとってこうしてあげたい、こういう親でありたい。
そう強く思う一方で、ちょっとしたことでカッとなって、
感情的に怒ってしまったり、自分の思い通りに動いてほしい、
そんな感情に振り回され続けるんですね。
というのも、自分は「親に恵まれなかった」
実はそんな風に思っているんです。
母親本人にはぜんぜん伝わってないようだし、
いろいろしてあげてるのになんで不満を言われやなあかんの?
くらいに思っていたりすると思います。
結局冒頭の、我慢の限界。
もその一種だと思うんです。
子ども(わたし)に、
「なんでそんなことを言われるの?」
「どうしたら正解だったの?」
と、わたしは思います。
そんな風に思われる親はそれで果たして良いのか?
わたしは常に自問自答するんです。
すべてを親のせいにする大人ではダメだな、
と思ったりするのだけれども、
わたしがやりたいこと、やろうとすること、
をことごとく否定し続け、そんなものはうまく行くはずがない、と。
絶望へと突き落としてくるのが、
いま一緒に住んでいる母親なのです。
子どもである自分と、
母親である自分と。
そのはざまで生きているわたしにとって、
いまの自分たちの子どもには、
成長を信じて、否定しないこと。
これを徹底していきたいな、と強く思うのです。
否定なんかして全然いいことないからね!
否定され続けたわたしは、
未だに自己肯定感がものすごく低い。
なんで生きているんだろうな、
死んでしまったら楽なのかな、なんて思うことはしょっちゅう。
自分の子どもをそうさせないために、
わたしはわたしのやり方で
子どもを大事に育てていきたい。
そんな「親」の覚悟、のような話し。
読んでくれてありがとね。