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アニメーションで描く大蛇と洪水

むかしめがね山形編「乱れ川」

2022年3月2日から6日まで
 
2022年3月11日から4月10日まで、山形県東根市まなびあテラスの美術館で開催した展示「むかしめがね山形編”乱れ川”」。その展示のために、5日間の東根市に滞在し、美術館でアニメーション制作をしました。
 「大蛇伝説と洪水」をテーマに企画した本展示。東根市に伝わる大蛇伝説で語られる実際の地域を舞台に、民話の会の方々やハザードマップの専門家などから知見をいただき「洪水=大蛇」が現れるアニメーションを制作しました。展示は、完成したアニメーションや記録の上映と併せ、東根市民話の会で制作した大蛇伝説「とうげのふえ」紙芝居、アニメーション制作のリサーチ資料、他「むかしめがね」のねらいを伝える展示内容となりました。
 企画当初は、滞在制作のみならず、地域の方々と共に「学びから創作へ」というワークショップでアニメーションを作れたら、と考えていました。しかし、それはコロナ禍により叶わぬ形となりましたが、現地で滞在制作すること、現地の方々と取材を重ねることで、少しでも現地、その地域で作ることの、意義を伝えられたらと思いました。
 完成したアニメーションと完成までの制作ドキュメントを、以下YouTubeに掲載しています。

企画詳細 > 東根市まなびあテラス 展示概要
     > 坂井治ホームページ「むかしめがね山形編 乱れ川」


 この滞在制作の中で感じたことや、今後やっていきたいことを、以下ノートとしてまとめました。

滞在制作ノート

現地滞在制作を終えて
 今回の現地コマ撮り制作を終えて、この創作を、東根市、岩崎地区、その周辺地域の方々と一緒にしたいと思った。
 スタッフさんの方に手伝ってもらいながら、いろいろな話をした。こちらが誘導することなく「やっぱり谷間から土砂崩れが起きるんですね」という言葉が出てきて驚いた。気づいてもらいたかったことの一つだったから。コマ撮りを進めていく中で、川の水位が上がっていき氾濫しはじめる。私が実際の地図や等高線などを見ながら、そしてハザードマップを見ながら、スタッフさんへ解説がてら「この辺りから土砂崩れが起きるんですかね」「民話の内容からすると…」「岩崎の背後に谷がありますね」と会話が始まる。そして、土砂崩れを起こす順番が決まっていく。ちょうど、記録のために実際に岩崎・猪野沢川へ風景を撮影しに行った監督やスタッフさんが帰ってきて、アニメーションの背景地図のある部分を指差し「この辺り、今は立ち入り禁止でした。山深いところですね」と口にする。アニメーション用の背景に、リアルな地形のイメージが膨らむ。確かに地図上でもその辺りには住宅はない。ハザードマップ取材に応じてくれた村山先生の「人が暮らしていない場所で土砂崩れが起きても災害にならない」という言葉が脳裏で重なる。 アニメーションの川の氾濫が激しさを増し、いよいよ画面全体を覆うように大蛇が渦を巻こうとする直前、ふと「大蛇はどっち回りに渦を巻くのだろうか」と疑問が浮かび上がった。すると、スタッフさんがスッと「地形的にはこちらの方が山が急傾斜で切り立っていて、反対側に畑や住宅など少しなだらかだから、こっちまわりですね」と答えをくれた。そのスタッフさんも何年も東根周辺にご縁を作ってきた方なので、とても実感が籠っていて説得力があった。
 大きな地図を舞台に、地道に1コマ1コマ、焦らず少しづつ水害の様子を撮り重ねていく。そうしていると、僕もスタッフさんもどこか「カミさま」視点というのか、大いなる手で大地に触れ、自然を動かしているような気分になってくる。そのアニメーション舞台地図に暮らしているであろう人々は、自分の指先よりも小さい。枝と石で形作った大木も家も、ちょっと触れば壊れてしまう。それに触らないように、和紙でできた水や土砂素材をちょっとづつ動かしていく。1コマづつ少しづつ土石流に飲み込まれていく家々を「あー!」と叫びながら崩していったり「ごめんなさい」と言いながら壊していく。かろうじて残った家を見ながら「もう、この家の人たちは逃げたかなあ」とか「こういう時にも逃げない人はいますからね」とか、いずれこの家も流されてしまうことを知っている私たちは「どうか逃げていてほしい」といったような心持ちになる。「とうげのふえ」のような大蛇伝説では、水の神が、笛を聞かせてくれ たその老人にだけ、水害が起こることを知らせる。アニメーション上で、今流されようとしている最後の一軒が助かる方法はあったのだろうか。と、思ったりしてしまう。民話や伝承の中に、そんな知恵も眠っているのだろうか。少なくとも岩崎の村の人々は、民話の中で大蛇を退治している。家も田畑も大蛇に飲みこまれずに済んだのだ。水害を根本的に回避する方法などがあったのだろうか。 頭の中がグルグルと妄想に掻き回されながら、1コマ1コマ徐々に最後の家に土砂が迫る。「まだギリギリ崩れないように!」とか粘りながらも、次のコマで水素材が家に当たってしまい家の柱が傾く。「もう限界かな」と何様なのだろうという言葉が出てくる。撮影時間も限られているので粘り続けてもいられない。傾いた家は徐々に崩していく。「あー、もうダメだ」などと残念がりながら。いよいよ舞台に大蛇が現れると「おー」と声が上がる。1コマづつ少しづつ少しづつ動かし3~4時間かけて、やっと3秒!…など、スタッフのみなさんに肉体的にも大変な作業をお願いしているのにも関わらず、大蛇が少しづつ姿を現し、その動きが見えてくる度に、スタッフさんから「大蛇が見えてきた!」「大蛇が動いた!」と声があがる。 あんなに人の家や田畑を飲み込んでいくときに無念の思いがあったのに、大蛇が現れると歓声が沸く。そして、大蛇がいなくなると、撮影現場にどことなく寂しさが漂う。「大蛇いなくなっちゃったんですね」と様子を見にきたスタッフさんも残念そうにしていた。 現場でアニメーションを作りながら、いろいろなコミュニケーションをしながら、この企画の手応えを感じた。
 「現代の物語」というキーワードが、この「むかしめがね」の企画では頻繁に出てくる。その言葉が出てくる度に、僕がアニメーションを作ることで何が語れるんだろうといつも考えた。川の氾濫が「大蛇」に置き代わっていく中で、スタッフさんがポツリと「急に大蛇が可愛く見えてきた」と言った。それを聞いて「あっ」と思った。まだテレビもラジオも紙すら貴重だった時代、「口伝」という方法、「語り部さん」という役割、それは当時の「メディア」だったのか。と急に腑に落ちた。災害に限らず、伝えていくべきことのリアリティは時とともにどうしても色褪せてしまう。それは、本はもちろん音声や映像、インターネットなど、さまざまなツールがある現代であっても同じように感じる。東日本大震災の記憶であれ、戦争の記憶であれ、どんなに優秀なメディアでも、その生々しい問題意識はいとも簡単に薄くなってしまう。それは、伝える側の記憶も、受け手の興味も同じだ。それでも伝え続ける型として「民話」は大きな役割があったんだと思う。今回企画のスタートになった「とうげのふえ」を思い返しても、水害に「大蛇」というキャラクターを当てはめること、その物語の中に地域の場所や経験や知恵を入れ込むこと、それを爺さま、婆さま、あるいは「語り部」たちが魅力的に物語ること、そうした場の中で、子どもをはじめ、聞く者たちが、物語を楽しみながら、その地域固有の水害への知恵を身につける場になったのだろう。と想像できる。 たとえ、その民話を作った時の本意が、時とともに薄れていってしまっても、同じような事態が起きた時に、その民話のメッセージが改めて浮き上がってくる。その時にどれだけ、その地域に根ざしたお話になっているかで、伝わる情報量も変わってくるように思う。「とうげのふえ」や「蛇骨峠」のように具体的な地名や、その地域ならでは知恵や風習などがあればあるほど、言い換えれば、その地域に根ざした民話であればあるほど、民話に込められた想いやメッセージが蘇りやすくなるのではないかと思う。 それは、民話に限ったことではなく、地名や風習、史跡にも同じようなことが言えるのだと思う。今まで、そうしたことを振り返らずに済んだのは、何十年と大きな災害の頻度が少なかったからなのか、あまりに世界を広く捉えすぎているからなのか、世の中が娯楽や経済に傾きすぎたのか。何が良くて何が悪いということではなく、改めて、自分が暮らす 地域や風土、身の回りのことにも、もっと目を凝らしていかないといけないと感じた。そのヒントとして、こうした民話をはじめとした伝承、特にその地域特有のものであればあるほど、たくさんのヒントをくれるように思った。


「むかしめがね」とは
 「
むかしめがね」は、民話や伝承に込められた、自然と共にあった暮らし、その知恵や技、そして、人々が感じていたであろう感覚を探るプロジェクトです。
 YTRO DESIGN INSTITUTEのディレクターでデザイナーの高橋慶成氏と進めています。株式会社ロボット制作で企画した「むかしめがね〜伊豆大島編〜」他、民話や伝承にこめられた感覚を、さまざまな形で表現していけたらと、可能性を模索しています。

> YTRO DESIGN INSTITUTE
むかしめがね〜伊豆大島編〜


むかしめがね山形編"乱れ川"チラシ