梅雨
梅雨
1黒背景
ゆかり 「蛙の死体の匂いがするから」
2田園風景 朝 雨(回想)
田園の真ん中を走る古びた農道。
遠くにはぼんやりと山岳地帯が見える。
3アパート 昼 雨(回想)
激しい雨の音が聞こえてくる。
床に桜色の便箋が置いてある。
便箋の表紙には『しおりへ』と書いてある。
人が倒れるような大きな物音がする。
4歩道橋 昼 雨(回想)
雨の音と、車が激しく行きかう音がしている。
傘を持ったゆかり(20)がこちらにふり返り話している。
ゆかり 「通学路で毎日見てたから。蛙が潰れてぐちゃぐちゃになってるの」
5田んぼ 昼 雨(回想)
水を張った田んぼ。
水面をうつ無数の雨。
水面から若々しい緑の稲が顔を出している。
稲のそばを泳ぐ蛙。
6アパート ベランダ 昼 雨(回想)
可愛らしくデフォルメされたモアイ象と埴輪をかたどった植木鉢に、手のひらサイズのサボテンが植えられている。
雨がサボテンをうち続けている。
7歩道橋 昼 雨(回想)
雨の音と、車が激しく行きかう音がしている。
傘を持ったゆかりがこちらにふり返り話している。
ゆかり 「だから匂いで思い出しちゃうんだ。潰れた蛙も、あの頃のこととかも」
8踏切 昼 雨(回想)
田んぼに囲まれた踏切。
警告音が鳴りはじめ、遮断機が動き始める。
9道路 昼 雨(回想)
踏切の警告音が鳴り響く。
車に轢かれてぐちゃぐちゃになった蛙の死体。
電車の走る音が近づいてくる。
10踏切 昼 雨(回想)
轟音と共に、電車が踏切を通り抜ける。
遮断機が上がり、静寂が訪れる。
学生服姿のゆかり(16)が、踏切の目の前で立ち尽くしている。
彼女が持っているスクールバッグを、佐恵子(44)が掴んでいる。
11歩道橋 昼 雨(回想)
雨の音と、車が激しく行きかう音がしている。
傘を持ったゆかり(20)がこちらを向いて話している。
ゆかり 「だから、梅雨は嫌いなの」
12アパート 昼 雨(回想)
床にへたり込み、絶望的な表情で何かを見上げるしおり(23)。
しおりの前には、桜色の便箋が置いてある。
しおりの視線の先には、宙に浮くゆかり(23)の二本の脚。
13タイトルイン
14アパート 昼 雨
カーテンの閉め切られた十畳ほどの部屋。
しおり(23)のえずく声が断続的に聞こえてくる。
本棚は小説や美術系の書籍で溢れ返っている。
本棚の上には幻想的な田園風景を描いたイラストが載った、六月のページを開いたカレンダーと、ジッドの『田園交響曲』の文庫本が置いてある。
本には、桜色の便箋がはさんである。
床にはデッサンの本や写真集、カメラのフィルムや飲食物のごみが散乱している。
かろうじてベッドだけが、ごみの侵攻を免れている。
トイレの流れる音、扉の閉まる音がして、しおりが部屋に入って来る。
しおり、急に顔をしかめて片足を跳ね上げる。
痛そうな表情をしながら床を見つめるしおり。
足元にはデッサン用の人形。
しおり、表情を歪め、奇妙な声を漏らす。
体を震わせ、唇をかみしめじっと何かをこらえるしおり。
しばらくそうして立ち尽くしていたが、力が抜けたようにその場にへたり込む。
そのまま這うようにテーブルにたどり着き、散乱したごみの中から頭痛薬と抗うつ剤を手にとり、手近にあったペットボトルの水で胃に流し込む。
そのままベッドにたどり着き、寝転がる。
しばらく天井を見つめるしおり。
おもむろにスマホを手に取り、時間を確認する。
スマホには九月二十日十四時五十七分と表示されている。
背景にはゆかりとしおりが楽しそうに笑う写真が設定されている。
スマホを脇に置き、再び虚空を見上げるしおり。
15ラブホテル 夜 (回想)
照明の消えた部屋。
テレビの青白い光に照らし出された大理石のような床、高級そうに見せるソファ、大きなベッド。
巨大なテレビには、待機画面だろうか、雨が降る海外の田舎の風景ともに、雨の音が流れている。
ベッドの上には、裸でシーツを被るしおり(20)とゆかり(20)。
しおりはゆかりに背を向け、ゆかりはしおりの背に寄り添うように寝ている。
ゆかり 「だから、失敗したの」
しおり、ゆかりの言葉に反応し何かを言いかけるが、やめてしまう。
ゆかり 「あいつね、私の手掴んで、なんでこんなことするのって泣きながら呟き続けてた。は?って感じだったよほんと」
ゆかり、身体が震えはじめ、呼吸も荒くなっていく。
ゆかり 「あいつ、ああまでなってまだ誰のせいかわかってなかった」
ゆかり、涙を流し始める。
ゆかり 「全部お前のせいだよって言ってやればよかった。なのに、なのにね……。なんか全部ばからしくなっちゃって、喋る気力もなくなっちゃったの」
ゆかり、涙が止まらなくなる。
しおり、ゆかりを背後から抱きしめなが ら、ゆかりの頭をなでる。
ゆかり 「あいつ、全部奪った。私の最後の望みだったのに…」
しおり、ゆかりを力強く抱きしめる。
しおり 「私の幸せは、ゆかりの望みが叶うことだよ。だからゆかりが辛いと思うなら、いっそ全部やめちゃってもいいと思う。それがゆかりの望みなら。もうここにお母さんはいない。だから、ゆかりの好きなようにしていいんだよ」
ゆかり、しおりの方へ向き直り、しおりの胸に顔をうずめる。
しおり、ゆかりを強く抱きしめる。
ゆかりの声を殺した、それでいて激情的な鳴き声と、テレビから流れる雨の音が部屋を満たしていく。
16アパート 昼 雨
ベッドの上で目をつむっているしおり。
しおりの閉じられた目から、涙がこぼれる。
しおり、ゆっくりと目を開ける。
起き上がり、そばにあった煙草を手に取り火をつける。
ベッドから立ち上がり本棚に向かう。
本棚の上に置いてあった『田園交響曲』を手に取り、はさんであった桜色の便箋を取り出し、中から手紙を取り出す。
しおり、手紙を見つめながら何かを決意した表情をする。
しおり、たばこを吸い殻で溢れ返った灰皿に押し付け、足早に部屋を出ていく。
扉の閉まる大きな音が響く。
本棚の上には、先ほどしおりが見ていた手紙が置かれている。
手紙には、鉛筆でゆかりとしおりが仲睦まじく笑いあう姿が描かれている。
その横に、ありがとう、と一言だけ添えられている。
雨の音が、誰もいなくなった部屋に響き続けている。
END
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