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ブラウンスイス牛の販売

2001年に発生したBSEのとき、牛たちは行き場を失った。精肉店では牛肉が売れない。飲食店でも牛肉メニューがでない。取引先の焼肉店は夜逃げした。こういった状況はうちだけではなく、同業者および畜産関係者は日々追いつめられていった。牛を出荷しても牛肉が売れないのでセリでは考えられないような価格で落札されていく。セリにならない状況も何度も見てきた。やってられないと出荷した牛を持ち帰る生産者もいたという。みんなが苦しい。不幸の連鎖みたいなもので誰一人として幸せじゃなかった。

コロナの収束がみえない。飲食店のダメージが想像をはるかに超えている。レストランへ納品予定の牛が行き場を失った。僕の場合は熟成させるので1か月~2か月の賞味猶予がある。そうはいっても、2月と3月に入荷しているブラウンスイス牛がそろそろ食べごろを迎える。ブラウンスイス牛を気に入って使っててくれているシェフがいる。いつもなら「良い感じに仕上がりましたよ」と電話するのだが・・・できない。電話すれば、おそらく気を使って「送って」と言うだろう。それが分かるからなおさらできない。

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ダイナースカードの会報誌「シグネチュアー」4月号に「つなぐ人」として掲載された。会員しか読めないのが残念なくらいすばらしい内容なのだ。書いてくれたのはライターではなく、料理家の山脇りこさんだ。「視点」がおもしろい。岡山の吉田牧場さんにも取材を兼ねて一緒に行った。そのときのことを山脇リコさんはこのように書いてくれた。

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「吉田牧場」はフェルミエ=チーズ農家だ。創業者で日本のナチュラルチーズの第一人者、吉田全作さんを訪ねた。「全作さんは開拓者であり哲学者。道なき道を自ら開拓して頑固に貫く。そういう人って、好きなんです」と、新保は言う。

吉田さんは当初は牛乳を作っていた。しかし、農協の理不尽な生産調整指導に嫌気がさし、欧州にあるようなチーズ農家を志す。ところが、なかなかおいしいチーズができない。意を決して行ったフランスで、生乳がおいしくなければおいしいチーズはできない、おいしい生乳は、牛が健康でなければできないと気づく。

「全頭、牛舎から出して放牧することにしました。食べる草も自然栽培。試行錯誤しながら彼女たちが暮らしやすい環境を整えました」。そう決めてから出会ったのがブラウンスイス牛だった。乳量は少ないが、乳糖とタンパク質を多く含んだおいしミルクを出してくれる。こうして、多くのシェフたちが唸る吉田牧場のチーズが生まれた。

吉田さんはすべての牛に名前をつけ、彼女たちを守りながら家族と共に暮らしている。しかし、牛たちはやがては年老いて搾乳ができなくなる。「かつては、彼女たちがどこへ行くのかわからなかった。ペットフードの材料に使われるとも聞きました。なんとか最後まで大切に扱ってもらえないかと、新保さんに相談したんです」

放牧乳牛で高齢。食肉としての価値は低い。しかし、とびきり健やかな真っ当な牛だ。“つなぐ人”は動いた。

もう少し文章は続くのだが、正直、吉田さんところのブラウンスイス牛はなかなか手強かった。わかりやすく言ってしまうと、おいしくなってくれないのだ。ジビーフも手強かったが、また違う。なんというかジビーフは奈緒子さん(生産者)の頑固さとしなやかさみたいなものを感じるのだが、ブラウンスイス牛は、全作さんの頑固さしか感じなかった。しかし、時間をかけてじっくり付き合っていくと、独特の味がでてくる。熟成させて繊維を緩ませても抵抗するかのように硬い。でも、その硬さがなんともいえないおいしさであり「牛の味」なのだ。

さて、長々と書き連ねたが、ブラウンスイス牛、本来行くべきところへ行けず、さて、どうしたものかと考えたのですが、こういう機会もいままでなかったので、いっそのこと一般販売してみようかと。もしかしたら、いつものシェフが必要としているのかも知れません。まぁ、それはそれとして、まだ在庫がありますので、せっかくなので、ほんの一部ですがお買い物いただけるようにしています。この機会にぜひ知らない世界をほんの少し覗いてみてください。

11歳で8産したおばあちゃん牛の「コショウ」と5歳で3産した熟女の「キツツキ」の2頭からヒレ、カイノミ、フランクを販売します。もう一度言いますね。柔らかい和牛のカイノミやフランクと違ってまぁまぁ硬いです。でも、うまいです。お肉好きな人はかなり楽しめると思います。ヒレも柔らかいイメージがあると思いますが、そこそこ柔らかい、、、そんな感じです。


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