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豊臣秀吉が愛した幻の銘茶「三献茶」

昨年は「プロフェッショナル仕事の流儀」や「よ~いどん!」などメディアの露出が激しい年でした。流れに任せていたのですが、さすがにスピードが速すぎて周りの方に「体大丈夫ですか」とご心配をおかけしました。暇よりは忙しいほうがリズムがあって僕には性に合っているみたいです。

まだ始まったばかりですが、今年もありがたいことにちょくちょくテレビや雑誌のお話をいただいています。昨日は朝日放送『ココイロ』の撮影でした。放送日は2月の、えーっと、いつだったかな、たしか2つほど候補日を言われたのですが。

ところで

近江牛って銘柄牛のなかでもっとも歴史があるんです。って言ったところであまり興味ないですよね。へーって感じでしょうが少しだけお付き合いください。

いまから約400年前、戦国時代に秀吉の小田原城攻めのとき、高山右近が徳川家康、細川忠興らに度々肉を振る舞ったのが近江牛の始まりだと言われています。史実によると1590年、天正18年の頃です。

このあたりの話は、ちょっとばかり詳しくて1時間は余裕で話し続けられます。というのも2000年に立ち上げた「近江牛ドットコム」というサイトでいくつかの賞をいただきまして、そのたびに分相応な講演などもやらせていただいたりと。そのときに資料作りのために近江牛の歴史、その時代にまつわる史実をかなり勉強したのです。そのかいもあって、すこしばかり詳しくなったというわけです。

その近江牛ドットコムもいまは扱う商品が多岐に渡り、ここ数年モヤモヤしていたのですが、ようやく近江牛という冠を外して2月1日よりサカエヤONLINE STOREとして生まれ変わりました。URLはそのままですので、ご利用みなさまにおかれましては、引き続きご愛顧いだけますようお願い申し上げます。

天正18年からさらに16年さかのぼることの天正2年、秀吉が39歳、石田三成が15歳のとき、長浜城主の秀吉が、鷹狩の際に米原の観音寺に立ち寄り茶を所望したのです。

そのとき、寺の小僧をしていた佐吉(三成)が大きめの茶碗にぬるいお茶を持ってきました。それを秀吉が飲み干すと、佐吉はその表情を見て、次に普通の大きさの茶碗に、先ほどより熱いお茶を入れて持ってきました。それも飲み終わった秀吉に、今度は小さく高価な茶碗に、熱い濃い目のお茶を入れて差し出したのです。

世に言う「三碗の才」の話ですが、秀吉は佐吉の気配りに感心して長浜城へ連れ帰ったといいいます。

このとき秀吉が飲んだお茶を「政所茶」といい秀吉が生涯愛したお茶として知られていいます。

茶木は種を落とし、実となり現在も幻の銘茶として受け継がれているのです。

いまから9年前、テレビの撮影(地元のテレビ番組でレポーターやってまして)で訪問したお茶屋さんでのこと。「政所茶」の在来種が2本だけ生存していて、そのうちの1本をわしが持っていると言って見せてくれたのです。戦国時代にタイムスリップしたいと思っていたほど歴史好きな僕は、さぞ欲しそうな顔をしていたんだと思いますが、なんと光栄にも持って帰ってもいいと。そのかわり大事に育てなさいと・・

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毎日毎日、眺めては戦国の世に思いをはせながら水をやり、いや、やりすぎて一か月ほどたったある日、いつものように眺めていたら、ぽとっと実が落ちたのです。それ以来、なにをしても枯れていく一方で残念ながら復活してくれませんでした。

9年経ったいまでも、ときどきこのときのことを思い出すのです。


ありがとうございます!