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雑草に学ぶ持ちつ持たれつの「競争環境」の大切さ

何事もライバルの存在は大切で、厳しい環境を共に乗り越えることができる共闘的意味合いでも大事なのではないかという話。

7月は草との闘いです。段々畑の草刈りをしていると、1週間前に草刈りをしたはずの場所がすでに元に戻っているなんということも、冗談のようなリアルです。再生能力の高さでは漫画に出てくる敵キャラよりもよほど厄介な強敵…。

そして何でもないいつもの草刈りをしながらふと気づいたのです。「草と草、草と作物は生存競争をしながらも、お互いを支え合っている。」と。

最近はとてもこまめに草刈りをするようになりました。草が太く高くなってから刈るよりもその方が結果的に効率的だからです。ところがどっこい、本来であればスクスク育ってほしいシソや菊芋の茎が強風で倒れる倒れる…。

作物の周りに草が生えると管理がしにくく、栄養も吸い取られるので良いことは一つもないと思っていましたが「周囲が草に覆われていると、風で茎が折れたり倒れたりしにくくなる」という一定のメリットはあるな、ということに気づいたのです。

根元までキレイに草刈りをした作物はわざわざ支柱をしなければ立っていることができないものもあります。支柱を立てたり、ヒモで養生したりしながら「なんでわざわざこんなことしないといけないんだろう」とふと考えた訳です。

作物は、草木の茂る中で育っていけば、競争をしつつもお互いが風避けになりながら成長していきます。

もちろん雑草の方が勢いが強いことの方が多いので、放っておいたら当然作物の生育は悪くなるし、一緒に伸びた草たちと一気に倒れることだってあり得ることは事実です。

でも、例えばカボチャのツルも、完全に下草を取り除くより、ある程度伸ばしておいた方がツルが風でグチャグチャになってしまうリスクは低減します。

私たちは一見邪魔に見えるものと共存せず、すぐ排除しようとしてしまっていないだろうか。

例えば、アスファルトを地面に貼ってしまったり、虫や動物を生活空間からできる限りシャットアウトしてしまったり、冷暖房を必要以上に効かせて快適さばかりを追求していないでしょうか。

「便利で過ごしやすい」「ストレスがない」ということは一見良いことのように思えるものの、不便さやストレス、競争環境というのはもっともっと大きな外圧から実は自分達を守ってくれている存在なのではないか、ということに思いを馳せながら日々暮らしていきたいな、と思った草刈りデーでした。


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