「限界集落」に3年いても実感のない「限界」感
高齢化率75%、人口60名。山口県周防大島町の佐連(され)という地域に住んでいるさかえるです。
対岸の沖家室島というこれまた人口100名高齢化率60%ほどの島で、煮付けにせずサラダで食べてもらいたい高級ひじきの生産者として師匠に教わりながら収穫から加工・販売までやっています。
ふと温泉に入りながら「限界集落とはいうけれど、全然思っていたような"限界感"ってないなぁ」ということを考えました。
高齢化率や人口規模といった数字だけでは見えてこないものを現場で3年間見てきたからこそ分かったことでもあります。限界集落は「限界だから助けるべき対象」ではなく、いまこそ若者が学ぶべき場所なんだと。
会社員という働き方が一般的になってきたのはほんの60〜70年前からのこと。それまでは皆個人事業主として生きていたわけです。人が大幅に「増えすぎた」時代において、一時的に「会社勤め」という働き方が合理的になっただけで、
むしろこれから学ぶべきは人類が長い間どうやって「生活」をし「働いて」きたかということだと強く感じています。
60代はもはや若造。80代でもバリバリ現役。
現在高齢化率の高い地域は、日本全体に先駆けて人が減ってきたわけですが、昔ながらの「個人事業や家業」という働き方が残っている地域でもあります。
そんな場所では80代だろうが段々畑の石段をひょこひょこと飛び降り、磯の上を飛び跳ねて歩き、船で毎日沖に出る、そんな元気な方々がたくさんいらっしゃいます。
その人たちの特徴は「何でも自分でできる」こと。サービスに慣れ切ってしまって「お金を払って誰かにやってもらうこと」に慣れ切ってしまった私たち若者世代には到底持っていないスキルを持っています。
いまの元気な団塊の世代がいなくなったら大変だ?
確かにそうかもしれません。40〜50代がごっそり抜け落ちているのが、小集落の現状です。ですが、実はそこにそこに機会を見出している20〜30代が実は一定数いるのも事実。
あまり焦らなくても「先になるものが後になり、後になるものが先になる」という「最先端感」を、嗅覚の鋭い若者は嗅ぎ取って少数が動き出すはずなのです。
田舎はムラ社会?強いコミュニティ
「田舎はムラ社会である」よく聞き慣れた言葉です。本当でしょうか?
正直なところムラ社会の悪い部分がより顕著に出ているのはどちらかというと一部の企業や部活動なども同じであって、昔ながらの集落を束ねる自治会の役員の方などとお話しすると、実にうまくコミュニティ運営をされていて
周囲からの信頼も厚く、いいムラ社会が形成されていたりします。人間複数名集まれば全てムラ社会。そんな中で他人との関わりしろが減ってきてしまった現代において学ぶべき人付き合いがたくさんあるのです。
確かに30代は2人だけだけれど
いま無理にたくさんの人に集落に入ってもらおう、などとは思っていません。仲間は欲しいし、若い友達は欲しいけれどそれほど焦ってはいない、というのもこれまた事実。
空き家を貸してくれませんか?というチラシを作って集落の皆さんと一緒に広報したり、移住定住のためのお試し暮らしの仕組みを作ったり、仕事のきっかけになるようにインターンや農作業体験を試してみたりしていますが、「焦らず、集落の暮らしに合う人ときちんとお見合いしていく」ようなことが今最も求められているし、大切なのだろうと思っています。
いま住んでいる人たちの姿を見ていると、いま困っているわけではないし、日々とても幸せそうに生きている。まず大切にするのは、日々の暮らしを普段通り過ごせるようにすることだなと。
鶏を飼い始めて集落の早朝から「コケコッコー!!」を鳴り響かせてお姉様方の安眠を妨害している奴が何言ってるんだっていう話ではありますが...w(とはいえ、「昔は皆飼っていたんだけどねぇ、近頃寂しかったよね」という感想をお伝えいただくくらいなのでどっちかというと鶏は「生活の一部」でそれが復活しただけの様子。安心しました。)
危機感を煽るのはいつも現場にいない人
バスがないと不便じゃないですか?困っていることはないですか?
ヒアリングや聞き込みをするとそれは優しい人たちなので「〇〇があったらいいね」「××がないと困るね、困ったもんだね」という言葉は出してくれる。けれど本当に例えばバスがないと困るのか?買い物環境がないと「困る」のか?については、「困る」の度合いにもよるかもしれないけれど、
きっと「まぁサービスなんてなくとも"自分ら"でなんとかできらぁね」とあっけらかんとしている人がほとんどだったりする。
一人世帯が全体の7割以上だったとしても、「一人」で生きている人はいない。それがわしの住んでいるとっても明るくステキな限界集落です。
医療や福祉を支える人材が不足している、というような課題もあるけれど、今ある豊さや、いい面に目を向けられなくなったら楽しく生きられません。
危機感を煽るのもそれっぽく見えるかもしれないけれど、わしは集落の方々と一緒にのんびり「生活」を楽しみながら、焦らずじっくりと腰を据えて、これからのムラに必要になるものを見定め、小さく試し、自分自身の手と脚を使って動いていこうと思っています。
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