多様性の話
友達と多様性の話をした。
ハリウッドへ留学にいって、いろんな人に出会って、全然違う価値観と触れて、自分の考え方も広がったねって。
そしたら友達が、「でも私の好きなYouTuberが言ってたんだけど、『視野を広げるっていいことって言われるし、そうした方がいいって言われるけど、私は今の生活に満足してるし、今目の前にある友達との幸せが好きだし、視野を広げないといけないとは思わない』って話してて、それも納得できるんだよね」って。
私はそれに対してすぐに言いたいことがまとまったから、
そうだよ。目の前の世界で幸せが完結してるならそれ以上いいことはない。でもさ、それが難しい人もいて、私は幸せを見つけていく方法の一つとして視野を広げていくことが有効な手段の一つだと思ってるし、それを必要な人に伝えてあげたいと思う
って話した。
少しして、ダイバーシティと文学の授業を受けた。
授業内で「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」の中にある母と息子の会話が引用されていた。
息子「多様性っていいものなんだよね?学校で習った」
母「うん」
息子「じゃあなんで多様性があるとこんなに物事が複雑になるの?」
母「そうだね。多様性は物事をややこしくするし厄介なものだし、無いに越したことはないんだよ。」
息子「じゃあなんでそんなややこしいものがいいものなの?」
母「確かに多様性は厄介で面倒なものだけど、無知を無くしてくれる。無知をなくしてくれるからいいものなんだと思う。」
なるほどと思った。
私は多様性に対する疑念に割といい回答をしたと思ったけど、それは自分の視野しか含まれてないと気づいた。
確かに私の周りを取り巻く人生以外のことはほとんど関係がない。
能登半島で200人以上の犠牲者が出たことも、パレスチナやウクライナでの戦争のことも、関係はない。
私は仲のいい友達といい環境の中で幸せだしそれでいい。何も視野を広げる必要はない。
でも私は社会の中で生きていて、1人で生きるなんてことは決してできない。今着ているこの服も、今日歩いてきた道路も、ここまでに乗った電車も、どれも顔も知らない誰かのおかげで何も気を止める必要もなく享受できている。
関係はないけど、無知でいるのはやっぱり心が落ち着かないなと思った。
それでもやっぱり普通の生活をしている中で全ての人がこれを意識して生きていくのは難しいと思う。
だからこれは学者の仕事なんだと思った。考えて研究して一般的な方法を見つけ出して、システムとして日常に浸透させる、それが学者の仕事だと思ったし、だから私は学者になろうと思った。
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