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ベボベ『Cross Words』に見る、恋愛のわかりあえなさ

目次

1 恋愛のふたつのかたち 「神聖視」と「ふたり」
2 ベボベの「神聖視」期
3 ベボベの「ふたり」期
4 まとめ

1 恋愛のふたつのかたち 「神聖視」と「ふたり」

Base Ball Bear(以下、ベボベ)(※1)というバンドがあります。僕はこのバンドがとにかく好きで、ツアーファイナルのために夜行バスを使い0泊2日で広島へ行ったこともあります。
本論はベボベの歌詞から読み取れる恋愛のあり方を、「神聖視」と「ふたり」に類型化して分析します。

12月25日より、新曲『Cross words』がYoutubeや音楽配信サービスにてリリースされました。(※2)
https://www.youtube.com/watch?v=Nv3CDgx9qdA

この曲の歌詞から、作詞をする小出祐介(以下、こいちゃん)の恋愛論の転回が見られました。その転回は端的に、以下の質問と回答に見て取ることができます。

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(※3)
このことを意識して改めて歌詞を読むと、僕自身、これまでの恋愛を恋愛と呼べなくなるほどの衝撃を受けることになりました。まずは以下にその感動を記します。

これまでの筆者は恋愛において、相手をすごく好きになったつもりでいた。世界で誰よりも美しい存在だと、あらん限りの賞賛を贈った。
とても高いところに相手を置いて、そんなにステキな人と一緒にいれることに救いを感じていた。
相手の方をずっと見ていて、とても高いから首が疲れて、一瞬でも目線がかえって来ればそれで満たされていたような気になっていた。まるで、信頼ではなくて信仰のような。
相手が自分を完全に理解しようとしてくれるという信頼はできない。だから、すごく高いところ、つまり努力してもお互いに到達できないくらい遠い存在ということにした。そうやって諦めれば、何度か見出した美しすぎる思い出だけでやっていける気がした。相手の美しさを神聖視して、救済だと思い込んでいた。
でもそれは結局、ふたりが永遠に近づけないということだ。恋人は「他者」として対象化され、自分はひとりの別個体としてそれを見上げながら、空は飛べないと諦めて無関係な道を歩む。相手の目をどうしても引きたいともがくし、それが叶っていない全ての時間が苦しい。

それが、新曲を聴いてからは。
相手にちゃんと近づきたいと思った。
「ふたり」になりたいと思った。「私」と「愛すべき他者」ではなく。
それは、定義上不可能だ。ふたりが別人であることは変えられないのだから。
それでも、近づくのを諦めないこと。
美しさに胸打たれた過去の瞬間を信仰するのではなく、未来において「ふたり」でひとつの人生を歩めると信頼すること。
そんな風にちゃんと近づくためには、相手を高いところに置いて遠ざけてはいけない。等身大の相手と「ふたり」でいるためには、同じ平面で、横に並んで歩かなきゃいけない。
そうなると目線はお互いに前を向いていて、基本的に目が合うことはない。それはきっと不安で、相手を信頼できなければ難しい。信頼していても、寂しいはずだ。
でも、たしかに横にいてくれる。たまに肩が触れ合うから、おたがいが隣にいることを感じられる。
いつまで同じ道を歩むかは全くわからないけど、ずっと一緒だとなぜか信じられる。様々なことを、いつしか、「ふたり」という主語で考えられるようになる。

それこそが、相手に本当に近づいているということだと思った。本当にしたい恋愛だと思った。
それこそが、一緒に生きるということ。
他者だからとそれを諦めて遠ざけないで、時に訪れる不安から逃げないで、ちゃんと隣にいる人を愛するということだと思った。
そういう風に思えるような「好き」を、いつか見つけたい。

では、なぜ僕はこんな風に思えたのでしょうか。
以下、ベボベの歌詞を見ながらそれを述べていきます。

2 ベボベの「神聖視」期

ベボベの歌詞に表れる恋愛観は、単純に二分したり、同時期のものを同カテゴリに分類したりできるものではありません。しかし先述の通り、こいちゃん自身が恋愛観の変遷を語っているため、ひとまずアルバム「光源」以前を「神聖視」期として、それを分析します。
「神聖視」期の恋愛に関する曲をここではその雰囲気から、青春・精神世界・大人に分類します。青春と精神世界が重なる曲も存在し、大人は独立して存在します。
曲数が非常に多いので、僕の独断で抜粋して分類してみると、以下のようになります。
青春ー『PERFECT BLUE』『BOY MEETS GIRL』『恋愛白書』
精神世界ー『十字架You and I』『SIMAITAI』『抱きしめたい』『協奏曲』
重なりー『short hair』『 すべては君のせいで』『不思議な夜』
大人ー『そんなに好きじゃなかった』『yellow』『FUTATSU NO SEKAI』『初恋』

ここではそれぞれから『恋愛白書』『short hair』『十字架You and I』『初恋』を取り上げ、歌詞を一部引用します。

「天才には勝てない 君の“好き”にさせるその才能」「やさしい君の眩しさにときめきが広がっていく そんな恋のはじまり 僕は気付いたら…」(※4)
「なぜだろう 君のことだけ 浮かぶのは君のことだけ 君の短い髪に触れて気付いた気持ちがすべてだった あの日のこと」(※5)
「行方知れずの彼女には 光の輪」「首縊り坂の病院の白い部屋 がりりと檸檬を噛む君を見ている 僕は何もかも悟った笑顔して涙を零す」(※6)
「いま、君に恋した 僕が見てる世界は今日も 君色20000色で 夏祭りのような 刹那さじゃない 明日の君に憧れつづけているから」(※7)

以上の抜粋部分だけでも、「神聖化」と述べるのが頷けるでしょう。
この世界に「僕」と「君」がいて、「君」が「僕」の全てになっていく。目線は全てそこに向けられているのです。その点で、恋愛「関係」ではなく、僕から君への恋「心」が主題となっています。(※8)
ところで、「君と僕の恋がどうなるか=世界の全て」といえば、セカイ系作品の定義ともいえる典型的な構造です。(※9)こいちゃんは、セカイ系の影響をもろに受けていることが、彼の公表する好きな作品から読み取れます。(※10)
触れられるはずのない君という存在を、神聖な場所に置き、僕の恋が叶うように祈る。君の美しさをこの世ならざるもので例える……。この点で、ベボベの恋愛とはまさに相手を神聖視する恋愛であったと言えるでしょう。

3 ベボベの「ふたり」期

では、現在の「ふたり」期はどのように恋愛を歌っているのでしょうか。
「ふたり」期はおそらく、ベボベがギタリスト脱退と『光源』での音楽的挑戦を経て3ピースバンドとしての体制を確立させた『ポラリス』以降ということになります。(※11)
そして2020年1月に発売される新アルバムに、表題の『Cross Words』が収録されるのです。

それでは実際に、Cross wordsの歌詞(※12)を解釈していきましょう。平文がその解釈です。

やっと会えた週末 近況の報告 それだけで過ぎてゆく午後 そばで見たかったエピソードばっかだ 楽しいからさみしくて

この冒頭のフレーズだけで、恋愛の困難が全て歌われていると言っても過言ではありません。
僕は君になれない。だから、君の全てを知ることはできない。
恋愛という、好きな人に触れたいという営みは、初めから不完全に終わることが約束されているのです。その人と一緒にいる時間が美しければ美しいほど、同時にそうでない時間を苦しく感じてしまいます。

我慢して 無理して 恋してる日々の中で

ここでいう我慢は、交際を維持するために相手のわがままを聞くような我慢ではありません。「ふたり」でいることを諦めないが故の寂しさを、引き受けること。自分の日常の我慢や無理を、神聖な恋愛の救済に委ねないこと。
恋する二人であるためには、恋が互いの主題であってはいけないのです。互いに前を向いているのだから。

聞きたい言葉がひとつあるよ My Darling 水をつぐように僕の名前を呼んでほしい 感じたいんだふたりを

この辛さから、それでも逃げずにいられるのは、どうにかして「ふたり」でいることを感じられるから。
それは、僕が君にとってあたりまえにそばにいる存在だと思えるような、ささいな呼びかけの言葉。
君を、遠く神聖な存在にするのではない。隣にいてくれる存在として、わかりあうのを諦めない。

同じじゃないから不安になるけど いいんだよ 少しずつ教えて?

同じじゃないから、「ふたり」という一つの存在になることは不可能です。だから不安が消えることはない。けれど、少しずつ、そこに近づけるはずという希望があり、僕は君に願います。祈るのではなく。

おはようのついでに 夢夢の話 光のパネルが射す朝 目標の通りにいかない苛立ち 焦げきってしまう目玉焼き

ここでもふたりの間で言葉がやりとりされています。それは今は十分に届かない。
その不可能性に対してできることは何もない。

信じてる 信じて でも未来に縛られないで

それでも、諦めないこと。
そのためには信じるしかない。
いつか未来において二人が分かり合えるということを。
ただ、僕はそれを信じているし、君にも信じてほしいけど、そうやって描く未来すら僕のものでしかない。
君にこの言葉を本当に届けるためには、それに縛られないでほしいということも同時に伝えなければいけない。お互いに、恋を主題にし、対象化してしまわないために。「ふたり」を目指すために。

伝えたい想いが こぼれ落ちても My Darling 息をするように君の名前を呼びたい 感じてほしい 僕を

僕から伝えたいものがどれだけ伝えられるかはわからない。
ただ、僕も君の隣にいることを伝えたい。

埋められない空欄(あな)は今じゃなくても いいんだよ すべてがヒントさ

ここがすごい!
ここで、二人の関係がクロスワードであることを思い出すのです。
埋まらないあなは僕と君の間にあり、同時に「ふたり」で解きたいクロスワードでもある。
だからこれまでずっと言葉の話をしていたのです。
「今じゃなくてもいい」、それは未来に希望を託すということ。諦めずに向き合い続けるということ。
僕と君のあいだに、直接その穴を埋めるような方法はありません。僕は君じゃないから。
でも、君が僕じゃないからこそ、好きになったのです。
だからこそ、「ふたり」の中にはたくさんの言葉がうまれて、それはあなを埋めるヒントになってくれるのです。クロスワードのように。

「どうして」「どうりで」 くりかえす日々の中で 聞きたい言葉が聞けなくても

生きるということは、問いにぶつかって、それをどうにか乗り越えての繰り返しです。そうやって生きている中で、君の存在が感じられなくなる時もあるかもしれない。いつか「ふたり」になれるという信頼すら揺らぐかもしれない。それでも。

ねえ、Darling 水をつぐように僕の名前を呼んでほしい 感じたいんだふたりを 同じじゃないから不安になるけど いいんだよ 少しずつ教えて?

名前を呼んでくれることで、「ふたり」への道を共に歩んでいるんだと思い出せるのです。当たり前のように、その言葉をくれるだけで。

息をするように君の名前を呼びたい 感じてほしい 僕を 同じでこんなに違うからこそ 愛おしいんだよ すべてがヒントなのさ

「ふたり」は一緒にいて、同じで、でも違う存在でもある。僕と君が違うということはすごく不安にさせるけど、クロスワードを埋めるような少しずつの営みが、むしろそれを愛おしいと思わせてくれるのです。そしていつか、いつのまにか「ふたり」になっていたねと、お互いに感じることができるはず。

4 まとめ
恋愛ほど困難なことはありません。
でも、人を愛さずにはいられないとも思います。
そんなとき、美しい曲が、補助線を引いてくれます。
自分一人では解けない問いを、美しい言葉と、そして愛する人と、ともに解いていきましょう。

2020年1月14日
登阪亮哉(※13)


※1 「2001年、同じ高校に通っていたメンバーが、学園祭に出演するためにバンドを結成したことがきっかけとなり、高校在学中から都内のライブハウスに出演。
その高い音楽性と演奏力が大きな話題を呼び、東芝EMI(現 UNIVERSAL MUSIC JAPAN)より、Mini Album『GIRL FRIEND』でメジャーデビュー。」(公式サイトより。2020年1月14日現在。)
※2 2020年1月22日発売のアルバム『C3』の収録曲で、『Cross Words』のみ先行公開されている。
※3 小出祐介氏のInstagram(@Base_Ball_Bear_)ハイライトより引用。
※4-7,12 J-Lylic.netより引用 。
※8 『協奏曲』『夜空1/2』などでは、「ふたり」を意識したように思える歌詞も歌われている。
※9 セカイ系のサブカルチャーにおける立ち位置については以下の論文がよくまとめられている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasi/26/0/26_0_77/_pdf
※10 小出は特に『新世紀エヴァンゲリオン』のファンとして知られる。
※11 『ポラリス』収録曲では恋愛はほぼ歌われていないが、創作の舵切りはこの時点で行われたと言ってよいだろう。『Grape』収録曲の『いまは僕の目を見て』は、言葉によって感情を伝えることの本質的な困難さを歌っている点で、他者の到達不可能性という『Cross Words』と共通のテーマを扱っている。
※13 東京大学教育学部4年。フランス現代思想を、特にバタイユを中心に研究している。バタイユの恋人論から『BACHELOR JAPAN シーズン3』を考察した論考を公開している。そちらは以下のリンクを参照のこと。


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