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依存的な人の自己肯定感を上げるには?実は依存的な人は誰よりも幸せに近い?

自己肯定感が低くて、依存が強い人にどうやって関わるかはとても大変。
ついつい何かしてあげたくなって疲れてしまうから。
そんな人の自己肯定感が少しでもよくなるためにはどうしていくか。

①依存してくる人の「全体像」を知り、依存に巻き込まれない
②依存できる人は、「人生を幸せに生きる」ことに近い?

という2点の視点から見てみます。

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①依存してくる人の「全体像」を知り、依存に巻き込まれない

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「無条件に愛する」ことが自己肯定感を育むとは、よく言われています。

でもそれは、子供の時に親や身近な大人から、そうやって愛されてると育まれる感じです。

自己肯定感が低いまま大人になってしまった人も、無条件に他人から愛されることで、自己肯定感は育まれるのだけど、

少しそれだけでは足りないというか、時間がかかる。

なぜか?

こちらがいくら無条件に愛しても、
本人は家族から無条件に愛してもらいたかった。という思いがとても強いから。

本人の自己肯定感が本当に上がるのは、親への、その思いが癒されて、

親は無条件に自分を愛することができないくらい、傷ついていたんだな。

そんな風に親のことを想像できることが必要になってきます。


親の状況を想像するというのは

親がどんな風に祖父母から育てられていたかとか、その当時の仕事の状況とか、夫婦関係とかを想像すると、その状況なら子どもの自分にも求めてしまうよね。その親の状況において最大限愛してもらっていたんだな。

っていうことに本人が気づくこと。

その親の状況を想像できなければ、
親からの無条件で愛されなかったという想いは、残ったままになる。


けど、親のことを想像するためにはかなり本人の健康度と知識と技術が必要になってくる。

だから、すぐには難しい。

そこは後々できるだろうって思っておくくらいにしておきます。


まずは本人の親への想いを癒していくためにも、まずは健康度を上げることが先。


健康度を上げるというのは、本人の自立度を上げるということに近いんだけど、

自立度を、関わる側が上げようと促すと、逆に下がってしまうことになりやすい。

依存が強い人だと特に。

誰かに促されてやると、依存が強化されるから。

じゃあどうやってくかっていうと、本人が気づいて、自立に向かっていく流れが生まれたらよくて。


けど、そこで、

この人が自分で気づいて、自立にいけるんだろうか?こちらが介入しないと無理なんじゃないか?

っていう風に、たぶん頭に浮かんでしまう。

けど、その意識が浮かぶのは、すごく健全な反応とも言えます。

それは、これまでに、そのような人にあまり対応したことがないから。
自分とは違うから、その状況だと助けてあげたいと思ってしまうから。

ただ、その意識が浮かんだ時点で、相手の強い依存に巻き込まれている
という風に精神医学や心理学では捉えます。

そういう風に見た方が、どちらか一人のせいではなく、その二人の人間関係の中で、相互作用の中で何かが起きているのが実際だから。

その状況(頭に助けたいって思いが浮かんできている)を俯瞰して捉えて、

お互いが巻き込み、巻き込まれている、という風に考えるということです。


そこで、関わる側が、その相手に巻き込まれないためには、

どうやったら、その人が良くなるかっていうストーリーが明確に見えることが必要になります。


どんなに依存体質でも、どんなに家庭環境が最悪であっても、そこからよくなる方法はあるから。

そういう参考事例をまずは知ること。

条件付きの親に育てられて、昔はめちゃくちゃ依存体質で、彼氏や彼女なしでは生きていけなかった。けど、今は自分らしく生きてます。

っていう参考事例や、

こうやると良くなるという治療方法や研究や理論や、個人のエピソードを何個も何個も知識で知っておくと、


あぁ、この相談相手も、いまはこういう状況だけど、 この後に、こういう人に出会って、こういう会話をして、自分に気づいて、相手と喧嘩しながら関係を深めていって、そして、それを繰り返していくうちに、また誰かに出会って、そこで親のことを想像できるようになっていくんだな。

っていう風に、関わる側が確信できると、

その人の良くなった未来、その人にとっての最高の未来を信じることができるようになっていきます。

その最高の未来も、こちらが定義するのではなく、本人の語る中に現れているので、本人が望む最高の未来を信じることが重要です。

本人の語る中に現れると言っても、
明確にこうなりたいとは本人は言わないし、自覚もしていないことも多いけど、
こうなりたくない、こんなことが嫌だ、ということからこちらが想像しながら、そして少しずつ本人が求める最高の未来を語ってもらいながら。

で、その最高の未来を信じながらその人に関わってると、

その相談相手はそんな風に、良い未来、最高の未来を想像しながら生きていないし、 そんな風に信じてもらえたこともない。

だから、そうやって信じてもらえるなら、自分もできるかもっていう風に、思考が自然と徐々に転換していく。

その時の関わり方も、単にあなたには最高の未来が待ってますって感じで提示するわけではなくて、こちらがその未来を確信しているだけで、こっちの言動が変わってくるから、

無理に未来志向でコーチングをするわけでもなく、

かといってカウンセリング的に過去のことばかりを扱うわけでもなく、

やり方や方法論を教えたり、目標達成を促すようなコンサル的な関わりや教育というわけでもなく、

本人のその最高の未来に向かって、今何をするかっていう視点で話をしていく感じで関わっていきます。

過去のことを扱うこともあれば、未来について聞くこともすれば、現実的に今何をするみたいな話もしたり。

けど、どれも、相手の最高の未来を確信しながら話をする。

そうしていくと、相手の低かった自己肯定感が、少しずつ少しずつ変化していく。

誰からも信じてもらったことがないと感じていたから、
そうやって信じてもらえていると感じると、

「その人を信じてもいいかもしれない」

という風になっていくから。


そして、その相談に乗ってくれる人を信じてるのだけど、
実際にはその人が何かやってくれるわけではなく、自分でやっていくわけだから、

どんどん自分を信じていけるようになっていく。


それが自己肯定感が高まっていくみたいな流れで、

そんなやりとりを何回も繰り返していくと、少しずつ思考と行動の変化が見え始めてく感じになるかなと思います。


そして、この依存の強い人に関わる際に、特に大事なのは、

あなたのおかげでよくなったと思われないこと、自分で気づいた、自分で行動したからだったんだって思ってもらうこと。 


実際に、行動するのも、考えが変わっていくのも本人だから、

こちらのスタンスとしては、
自分が関わったからではなく、本人が気づいたから、本人が行動したからでしかないを徹底する。 

相手から「ありがとう」とか、自分の名前がその時にはなるべく出ないようにするくらいのつもりで、

当時は自分で気づいた気になっていたけど、10年後に振り返ればあの時に関わってくれた人のおかげかもってくらいがベストかなと。


見通しが立てば、不安が少なく進めるっていうのはきっと誰もが経験してるんじゃないかと思うんだけど、

そういう生きづらい人との関わりでも同じで、

見通し、良くなる未来がありありと想像できて、かつ今の状況がどこで、そこに向かうステップを知ってると、関わる時に楽になると思います。

ここまでが、全体的なスタンスの話です。


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②依存できる人は、「人生を幸せに生きる」ことに近い?

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あとは実は「依存」という言葉を使わないのもポイント。
依存していると見てしまうと、『依存する人』という認識をこちらがしてしまうから。

何時間も相談者に話を聞いてもらったり、彼氏彼女がすぐできたり、友達がいつもその人を助けていたりと、

確かに周りから見ると依存しているように見えるし、

依存って一見悪く見えるし、弱いように見える。

でも、実は助けを求めることができていると見る方が、その人の本質に近い。

相手に助けたいと思わせるという技術が高いということだから。


それは、どういうことかというと、

目の前の相手の感情を察知する技術が超絶高くて、相手にどう言えば、どう振る舞えば、助けたいと思ってもらえるかをものすごく自然にしているということです。

けど、本人はそれを自覚はしていないことが多い。

なぜ、その技術を身につけたかというと、

親から何かできたら褒められる、何かできなかったら怒られる、同じことをしても褒められる時と怒られる時がある。

どうやったら親から怒られないようにするか、そのために今どう振る舞ったらいいかを身につけざるを得なかったから。

その目の前の親の感情を察知する技術を身につけて、怒られないように振舞わなければ、いい子に見えるようにして親から好かれるように見せなければ、子ども時代を生き抜けないと思っていたし、実際にそうだったから。

その対処法は確かに子ども時代は必要だったのです。

今はそうしなくて生きていけるのだけど、その目の前の愛の感情を察知する技術がすでに超絶高いのと、
それ以外の対処法を身につけてこなかった(身につけることができないくらい、一つの対処法を身につけるために時間を使ったとも言える)から、
今もその方法を取り続けざるを得ないのが、実際のところ。

だから、こちらがそのような人と関わる時には

安心安全な環境で、別の対処法を身につけていこうね。一緒に対処法を学んで身につけていこうね。

という風に考えて進めるのが、その人の自立につながるわけです。


そして、
その目の前の相手の感情を読む技術はこの先も、ものすごく役に立つ技術だからそれを否定するわけではなく、それも今後活かしながらいこうねと。


目の前を生き抜くことに必死だったから、長期的に人はどう感じるかまで想像できていないから、そこも一緒に学んでいく。

今を楽にしたいから、何時間も、いつでもすぐに対応してもらうということを相手に求めてしまう。

最初はもちろん相手からは助けてもらえるんだけど、相手が疲弊してしまうことまでは想像できない。

相手が疲弊した時に、助けてもらえないことで、自分は見捨てられたと感じてしまって、その人に執着したり、しがみつくか、別の相手を探すかということを繰り返してしまうから。

別の対処法を獲得する前に、同じ対処法を繰り返してしまう。

だから、助けを分散することを少しずつ覚え、
一度助けてもらえなかったりしても見捨てられたわけではなく、相手が疲弊しているということを想像できる技術も合わせて身につけていくことが、もっと楽に生きれることにつながる。

だから、関わる側は、そういう風に別の対処法を一緒に学ぶこと、自分で気づいていけることを目指して関わっていけると良いなと思います。

そして、

人生において、愛嬌がある、人から愛される、人から助けてもらえる、人から応援されるっていうのは幸せに生きるために必須の技術だし、頑張ってでも身につけたい技術のはず。

だから、依存が強いと見える人は、そういう人生を幸せに生きるために必須の技術をすでに身につけている人、

ちょっとだけ、その技術ばっかり高めすぎて、他の技術を高める時間も全てそこにコミットしてしまっている人と捉えると、

他の技術を少しだけ身につけると、誰よりも幸せに近い人と見えると思うのです。

そんな風に相手を見れると、
関わる側も、関われる側もよりハッピーにつながると思う。

読んでいただきありがとうございます。もし心に残る言葉があれば、サポートしていただけると嬉しいです。今後も応援を励みに書いていきます。