見出し画像

服を断捨離したら「自分」が見えてきた話

もうすぐ6月も終わり。
5回目の転職から早3ヶ月。
流動性の極めて高い職業に就いているため、転職自体は慣れたものだ。
仕事内容も大きく変わることはないので、これといって新しく買い揃えなければならないモノはないのだが、いい機会だと思って、色々と整理(断捨離)して、必要なものは買い足すことにした。

まず最初に捨てたのは服。
90Lのゴミ袋4袋分(!)を思い切って捨てた。
基準は以下。

  • 10年後に(デザインとして)着られないモノ

  • すでに服としての役目が終わっているモノ(手入れをしても復活しないレベル)

  • 今の体型にあっていないモノ(大きすぎる、小さすぎる)

なので、学生時代に買って手入れをしつつ着続けてきたブラウスも、社会人になって仕立てたスーツも、また痩せたら着れるはず…としまったままにしていたワンピースも、捨てた。

服は、クローゼット一つ分と決めている。
なので、90Lのゴミ袋4袋分も捨てると流石にクローゼットがスカスカになった。
残ったのは、本当に自分が必要としているものだけ。
毎日着るモノと、出番は少ないけれど大切な時に必ず着るモノ。
あとは、どうしても捨てられないモノ(母にもらった服など)。
特にハイブランドの衣類は、自分へのご褒美として買ったものが多く、思い入れが深かったので、あまり捨てられなかった。
例えば、春秋冬には必ず使うHERMESのスカーフ、冬に巻くとホッカイロがいらないぐらい暖かいGUCCIのフォックスファーストール。自分の背丈や体型が変化する度に都度お直しして着ているGIVENCHYとDolce&Gabbanaのコート。
これらは大切にしているので、多分今後断捨離する時も捨てないと思う。

もうここには私の好きなものしか入っていないんだなぁとスカスカになったクローゼットを感慨深く見ていると、なんとなく自分の服の好みが見えてくる。

  • 無地

  • モノクロ

  • 少しだけ遊び(意外性)があるデザイン

例えば、
右のDolce&Gabbanaのコートは一見普通のシンプルなコートだけれど、実は裏地が豹柄。
Kate Spadeのベルベットのミニバッグは持ち手が真珠。

ANTIQUAというブランドで買ったこのジャケットも裾にプリーツが縫い込まれているので、一見普通のジャケットだけれど個性的。

へー、私って意外とデザインで遊んでる感じ好きなんだーと今更に自覚。
柄物や原色は私は好みではないので、無地の、黒、白、灰色、ベージュの服ばかり選んでいる自覚はあったが、デザインに関してはあまり自覚していなかった。

でも、なぜ私はデザインで遊んでる感じ好きなのだろう?

デザインにおける遊びは、いってしまえば不要な部分だ。
例えばシャツであれば、究極着るという機能が満たされていればいい。
でも、そこに、わざとフリルをつけてみる。
わざと複数の生地を組み合わせてみる。
わざと一部をカットしてみる。
もしかしたら、私はそういった余分な部分が好きなのかもしれない。
デザイナーの人間らしさ、「こうするともっと素敵でしょう?」「私はこの商品をこう解釈したのよ」といった、隠しきれない、表現したいという人間らしさ。

そうした服は少し価格が高くなってしまうけれど、服を通してその人とつながれている気がする。
「私もそのデザイン素敵だと思います」
「その解釈面白いですね」
きっと、私はそういった「いいよね」「素敵だね」といったささやかなつながりの感覚が好きなのだ。

「誰かとささやかに繋がっている感覚」というキーワードで、自分の周りを見直してみると、確かに私の家は「誰かとささやかに繋がっている感覚」のモノで溢れている。

例えば、私は古伊万里の食器が好きで、いくつか気に入ったものを購入して、日常使いしている。
骨董的価値を求めているわけではないので、大体江戸中期〜明治の求めやすい値段のものだ。

200年近く前のモノが今もこうして残存しているのは、この食器を気に入って使っていた人たちがいるということで、その人たちの「この器って素敵でしょう?」「このデザインって可愛いでしょ?」という想いを、食器を通して200年後の世界に生きている私が受け取っている気がする。
「私もこの器好きですよ」「このデザイン可愛いですよね」という、気持ちはその人たちには届かないけれど、私も大切に使い続けることで、その人たちとささやかにつながれている気がする。

ささやかに人とつながるのは、現実では難しい。
仕事の人間関係でささやかにしていたら、仕事は進まないしチャンスも掴めない。
人間関係だって、ささやかに過ごしていたら進展しない。
社会では積極的につながっていくということが求められている。
なので、社会の中で人とつながることは、ささやかに人とつながりたいという私の希望、私の求める心地良さからは程遠いことだ。
そんな世界で毎日生きるのは、正直疲れてしまう。
でも、誰ともつながりたくないわけではない。
誰ともつながれないのは、さみしい。
だからこそ、「自分からつながりを求めていかなければならない」という強制力から離れさせてくれる、向こうから無言で手を差し伸べてくれる、ささやかにつながれるモノに惹かれるのかもしれない。

そんなことを、服の断捨離をしながら思った。