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自由から遠くはなれて:若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

一度だけ、一人旅というものをしたことがある。

「旅」なんていえるほどのものではないけれど、20代の前半の頃、「そうだ。京都、行こう」とまるで広告そのままに、久しぶりの3連休を、ふと思い立って京都で過ごすことにした。

大きな鞄に着替えを詰めて、仕事帰りにそのまま夜行バスに飛び乗った。

修学旅行以来初めての京都。そして初めての一人での旅行。そもそも旅行がそれほど好きでもない私だ。今になって考えればもう血迷ったとしかいいようがなかった。

案の定、その旅行はあまりいい思い出にはならなかった。修学旅行で観光に来ている学生さんに頼まれてシャッターを押したり、ただひたすら街を散策したり。たまたま入ったMAYA MAXXの個展で嗚咽がもれるほどなぜか号泣してしまったのが決定打となり「この旅行は失敗だ」と確信した。

「ことりっぷ」みたいにおしゃれな喫茶店でコーヒー飲んだりするぜ、ゲストハウスに泊まって知らない人と楽しくコミュニケーションしたりするぜ、と密かにはりきっていたのに、結局孤独に苛まれてしょんぼりしたまま帰路に着いた。

上手くいかない仕事や、思うように築けない人間関係から一度距離を置いて、自分の何かが変わることを望んでいたのかもしれない。10年近く前の、あの頃の自分の気持ちと答え合わせをすることはできないけれど、きっと何かしらのリセットがしたかったのだろう。その旅行から約半年後に仕事を辞めることになったのだが、私なりにもがきたかったのだろう。

この本の著者は、東京を離れる飛行機の中でこう思う。

5日間、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばない所までぼくを連れ去ってくれ。(p.40-41「ruta3 キューバ行きの飛行機」)

東京は自由の街で、どんな職業も生き方も許される。一見、そんな場所に見える。でも、少しぼんやりしているとあっという間に出し抜かれたり侮られたり、些細なことで深く傷ついたりする、気の抜けない場所でもある。

著者のキューバでの日々は楽しそうだ。文化も歴史も人も何もかも違い、自分を知っている人もいない。有名人の開放感はとてつもないだろう。

著者の不器用さや人との独特な距離感は、旅行の苦い記憶をもった私にも優しい。キューバは物理的にも精神的にも私にとっては遙か彼方だけれど、なぜかほんの少しだけ身近に感じてしまう不思議な紀行エッセイだ。


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