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221212 間に「ただいる」ということ



私は昔から、
関係が悪化した人たちのちょうど中間にいること
が多いように思います。



最近、同じ出来事に関わる二人の友達それぞれから話を聞きました。

起きていることは同じでも、考えていることは違うものです。
その時言葉にしなかっただけできちんとした理由があって行動しているものなのだけれど、やはり伝わらないものですね〜〜〜〜。


私は予備校時代の恩師に言われた「事実は一つでも真実は一つではない」という言葉を信条としていますが、まさにその通りです。それが人間関係の難しいところでもあり、面白いところです。

伝わりきらないから
人は想像するし、
気にかけて、
優しくするのだと思います。



また同じような状況になったとしても、
私はこれまでもこれからも自ら進んで間を取り持つつもりはありません。
声がかかったらひたすら話を聞くだけです。



好きな人の良くない部分を他の人から聞くことは、心地良いものではありません。

けれど私は自分が見てきたものを信じているし、
同時に
私に話したいと思ったその人の気持ちも信じたいと思っています。

八方美人と揶揄されそうですが、私はできる限りどの人も大事にしたい。

きっと私は
ほかの人のことを、
ある意味では大好きで、
ある意味では無関心なのだと思います。

だから誰のことも嫌いになったことがありません。(ムカつくことはあるよ^_^)


そんな感じなので、
自分が当事者になったとき私の代わりに怒ってくれる人がいると「愛ある人だな」と尊敬します。
(怒りの話はまたいつかしたいです)

対立する人たちの間に「ただいる」ということはすごく難しいけれど、異なる意見や感情を受け止められるだけの芯を持っていたいなあと思います。

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