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221210 生まれただけで


宗教について友達と少し話したのをきっかけに、

教会に生まれた自分が「そうではない人生」を望んでしまう理由を考えました。



私は家族のことは好きだけど家業のことは好きではないので、普通の家に生まれたかったなと思うことが時折あります。

どんどんネガティブになってしまうので、教会に生まれることの具体的な損害はここには書きません。

もちろん得るものも多く、ここに生まれなかったら持てていないだろう性格が私の長所になっているのも分かっています。

それでも、私が常に抱えている悩みに対して、それは解決策にはならないのです。それとこれとは別、と思ってしまうのです。




私は色々と勉強するなかで、
人の意思や理由を重視するようになりました。

生まれ持った才能よりは、努力してきた痕跡に輝きを見るようになりました。
その人が自分で考えて選び取ったものに、価値を感じるようになりました。
好きなキャラクターがヒロアカのデクなのは、そういうことです。



だから、

「自分の意思ではないのに」

「ここに生まれたというだけで」

諦めた多くの物事に対して未練があるのだと思います。



家が教会ではなかったら

受けられたはずの授業、
行けたはずの旅行、
言えたはずの言葉、
軽く流せたはずの冗談、
勉強できたはずの時間、
必要なかったはずの気遣い、
できたはずの休み、
流さなかったはずの涙。

しなくて済んだはずの我慢ばかりがずっと頭にあるのです。


私には色々とやりたいことがあるので、これから先それらを諦めずに叶えられることを祈るばかりです。

生まれた場所はもう変えられないので、自分の意思で選択肢を増やしていくしかありません。

背負うことが勝手に決まっていたデリケートな問題を、ある意味では軽く受け流しつつ、ともに生きていくしかありません。

とても残酷だなあと思うけれど、得られたものを見つめるしかありません。



正直これは同じ人生を送らなければ分からないことなので、読んでも全く伝わらないかもしれません。

家庭についての悩みは誰にでもあることで、そこに大小も優劣もありません。

とりあえずみんな色々あるよねってことで。


全てをひっくるめて自分の生まれを肯定できるほど今の私は大人ではないけれど、

ただ嫌だと言うだけではなく
こうやって振り返ることができるくらいには成長した、ということにして
今日は終わりにしようと思います。

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