230329 手放す
私には大学で失ったものがある。
19歳までの私は、自分の辛い経験を誰かに話すことは自分の荷物を相手にも背負わせることであり、傲慢なことだと思っていた。だから他人に自分の過去や感情を話すことは少なかったし、お風呂場で泣きながらシャワーを浴びること以外に自分の気持ちを落ち着ける術を持っていなかった。自分が言葉として口に出すことでその出来事がもう一度現実として目の前に現れることも、他人にそれを話さない理由の一つであった。
けれど、一人で抱えられる荷物など、たかが知れている。
どうしようもなく悲しい気持ちになったとき、誰かに私の話を聞いてほしいと思った。
涙声で上手く説明すらできない私のことを、友人はただ待って、ただ受け止めてくれた。あの夜のことを私はよく覚えている。
強がらず弱いままでいてもいいのだということをその人は教えてくれた。
一人で抱えて声が届かないことのほうが悲しいと。
またある人に私の憧れについて話したときには、「なりたい」じゃなくてなればいいじゃん、と言われたことがある。
あっけらかんとしたその人の全く他意のないその言葉は私にとっては衝撃で、私がいかに「できない理由」を探していたかを思い知らされた。
誰かに笑われるのが怖いから、
できない自分を見られたくないから。
そんなことどうだっていいと言うその人のこともまたただの憧れにしてしまってはいけないと、強く思った。
私はこの4年間で、
人に頼ることを覚え、
自分の感情を曝け出すことを知り、
出来ないことを出来ないと言えるようになった。
私は怖い話も高い所も昆虫も苦手だし、いきなり話を振られても面白い返しができないし、充電器のコードは毎回間違えるし、方向音痴だし、見た目に自信がないし、知らないことも多い。
でも私は赤ちゃんと犬に好かれるし、話を最後まで聴けるし、万が一に備えるから忘れ物は少ないし、ありがとうとごめんをきちんと言えるし、色んなことを知ろうと努力できる。
今の私を見てつながっていてくれる人たちの存在が、私が私を認めることのこれ以上ない理由になってくれる。
周囲の人にどう思われるかばかり考えていた19歳の私は、4年間かけて虚栄心を手放した。
これから先も日々変わっていく自分のことを見つめて、世界を見つめて、大事な人を見つめていくしかない。
きっと幸福も、迷ったときの答えも、その中にあるのだろうと思う。
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