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エビデンス依存症

依存いぞんは、悪い行為ことでしょうか──

やや深刻しんこくなご相談を頂きました。
いつものように、賢者さまのお話です。

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くもわるくもない。依存そのものに、意味などないのじゃ。ただ、現象があるだけ。善悪に意味づけするのは夫々それぞれの自由じゃ」

『でも賢者さま、善い依存って』
「まぁ、言葉の印象イメージはあるがの」
『悪いイメージしかきません』
「ドラマとか、なっとるじゃろ」

『あ。たーしかに確か。好敵手ライバルがいるから頑張れたり、良好♡♡♡協力関係パートナーとか。いなくなった途端とたん気落ちする。これも依存か』

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ドラマや実話で、美談としてたたえられる物語も、依存というとらえ方は可能なのです。

子供を可愛がる思いは、わずかな違いズレで、善悪どちらへもかたむきます。長年、教育業界で、そのような実例を数多く見て参りました。

愛は地球を救う。愛さえあれば上手うまくいく。そう信じたい方もいらっしゃる。しかしながら、裏目うらめに出ることもいなめめません。

今この瞬間とき、愛する誰かを守るため、戦争が勃発ぼっぱつしています。人類を救う愛ある研究によって、害を成すことさえあるのです。

柔和やわらか包容力あふれる無条件の愛ではなく、条件づきの愛情で固執こしゅうしてしまう。境界線は引きにくいのです。

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「そこで、証拠集めけんさくじゃな」
エビデンスってやつですか』
主観じぶんに自信がないのじゃ」
『でも、専門家の調査分析は重要です』

捏造ねつぞうできるぞ。利害関係よくとくじゃ」
『うーん。同じ数値データ真逆の結論もあるか』
「より多くから許可ゆるされて力を持つ」
承認欲求みとめてよってやつでしょうか』

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私たちは、外に許可を求めます。自分が自分に許可を与えるなんてできません。そのような厚顔こうがん無恥むちは、許されないと信じています。

自分勝手じぶんかって秩序ちつじょを乱す。そうおそれます。何故なぜなら、自分のなかに信じられるが見当たらないから。中心を見失っているのです。

一方、万人ばんにんが受け入れる、絶対的な客観性は存在しないと気づいています。絶対はないという命題めいだいさえ、絶対ではないのです。

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『どうすればよいのでしょう』
「しつこいヤツじゃのぅ」
『あ。このままでよい
殊更ことさら、何もする必要ことはないぞ」

『うーん。でも、やっぱり許せません。自分がこのままでよいのなら、相手もそのままでよい。わかります。わかるんですけど──』

「おいおい。語るに落ちとるぞ。つまりキミは、許したつもりで許せておらんのじゃ」

『ギクッ。厳しいお言葉です』

すでに許しておる。許されておるのじゃよ。そのような在り方を、見直すだけでよい」

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これは、斬新ざんしんなお考えです。私たちは、既に許されている。え。何方どなたさまにでしょう。

そもそも、許すとか許さないとか、一体どのような行為ことであるのか。

根本から見直して、探る必要があるように感じました。如何いかがでしょう。明確ですか。

 ❔ ❔ ❔

「これまでわしが語ってきた中心を、ちょっと此処ここらで復習した方がよいかな」

スビバセンm(__)m。同じことを何度も、おたずねしているように思うのですが』

「それはかまわんよ。わかったつもりで、別件ほかあらわれると、途端すぐに混乱するものじゃ」

『あいつだけは許せない、なんて言います。許すという行為が、賛同・共感・承認であると理解しているのです』

「何度でも言おう。許すとはゆるめる、力を抜く作業ことじゃ。つまり、手放すのであるよ。許せんのは、つかんでおるからじゃな」

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私たちは、何かとらわれます。その状態を、賢者さまは掴んでいると表現なさる。

なるほど。右手でバナナ、左手が林檎りんごを持てば、目の前にある葡萄ぶどうは取れません。一層いっそ、フルーツパフェで、まとめて食べますか。

果物くだものならわかる理屈りくつも、思想や信念いては、滑稽こっけい悲喜劇ひきげきを演じてしまうのです。

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「考えは、なかなか変わりません。それで、プラス思考にえます。バナナの上から林檎を持つ。手がいてえ』

「どんな考えも、そのままでよいと手放せばラクじゃ。本来、許すのは簡単カンタンであるぞ」

『もしかして私たちは、許せないという言葉に、依存しているのかもしれませんね』

「ふむ。そんな自分も許せばよい。許せないで悩む自分を許す。許せば許すほど、自分は広がるじゃろう。宇宙ここにある全て許せば、自分は宇宙そのものとなるのじゃ」

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如何いかがでしょう。あらゆる人、あらゆる現象ことを許せますか。許せば楽になれます。解放されて自由自在となるのです。

とはいえ、掴んでいた力を緩め、手放すだけでも、むずかしかったり致します。

現実では、なかなか思うように参りません。ゲームの世界ファンタジー体感しては如何だろう。連載中の物語で、今そのような展開です。

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 🔮 🔮 🔮

『でも賢者さま。どこまで行っても、許せないのです。許したと思ったのに、しばらくして、また許せない自分があらわれます』

「わっはっは。当たり前じゃ」
『え。ど、どういうことでしょう』
「この世にある限り、完全な許しはないぞ」
『は。なんですっ( ̄▽ ̄;)て』

「神なる法則の仕組みシステムで、相反あいはんする二つが相互に支え合って存在するのじゃ。許せないという現象が存在するためには、完全な許しが必要となる。片方ひとつだけでは成り立たん」

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これはまた、深いお話ですね。暑さがなければ、寒さは存在できない。つまり、対立概念があってこそ、互いに存在できるのです。

まずしき人々ひとがいなければ、お金持ち成功者は存在できません。全員みんなお金持ち勝ち組になったら、それはもうフツーの人々です。

同じく、この世で許せないという体験が存在するためには、あの世という、完全な許しの世界がなければ成り立たない道理どうりなのです。

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『それなら賢者さま、この世で、完全に許せないとしても、よろしいのでしょうか』

「そうじゃ。気が楽になったろう。できるだけ許せばよい。まぁ、中心を意識した刹那せつな、完全な許しの次元と通じるのアクセスじゃが」

『中心を意識するだけで、すでに許された世界と通じている。つまり、私たちは其処そこで、許し許されているのですね』

「うむ。眠るあいだ誰もが通じておるよ。起きとるうちから通じるシフトのであるなら、最早もはや人生の達人マスターじゃ。達人鉄人変人フジミドリわっはっは(*⌒▽⌒*)

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ではまた💚



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