タイの仏像の表情を見ていて現代人のキャリアの選択について考えた話


はじめに

こんにちは。スタートアップ企業で人事をやっている池田です。最近言語化欲求が高い(脳で考えていることを外に出しておきたい)ので、過去に考えたり勉強したりしたことをnoteに記述していこうと思います。noteに書こうとすると論理的に書こうというインセンティブが働くので良いですね。

注意①

このnoteは2022末~2023年始にタイ・カンボジアを旅行した際、タイの仏教施設をブラブラしながら考えていたことです。特定の宗教をどうこう言う類のものではありません。

注意②

このnoteでは偉そうにマインドフルネスとか言っていますが、専門的な勉強をしているわけではないので、学術的な後ろ盾はありません。個人の脳内で生み出された話しです。

このnoteは誰を対象としているか

特にないです。考えたことを脳の外に置くことを目的にしています。

タイの仏像の穏やかな表情に違和感を抱いた

2022年の末にタイに行きました。ワット・パクナムという寺院に訪れました。↓の空間がとても神秘的ということでSNS映えするらしいです。確かに綺麗でした。

https://www.thailandtravel.or.jp/wat-paknam/  より拝借

で、この寺院、↑の空間以外にも資料館的な機能も持っていて、仏像が大量に展示されています。暇だったので見ていたのですが、ふと、なんでこの人たち(基本同一人物だけど)こんなに穏やかな顔をしているんだろう?と気になりました。

普通にマインドフルネスだった

一周回ってマインドフルネスが流行る理由に腹落ちしました。「今、ここ」に集中して、不安や焦りから解放されているのでこうした穏やかな顔ができるんですね。マインドフルネスについてはいくらでも解説されているので割愛します。

幸福度をちょっとでもコントロールする方法

「今、ここ」に集中できていればいるほど良いということであれば、逆を可能な限り明確にして対処すれば良いんじゃないかなと思いました。

明確にして対処すべき「今、ここ」ではない何か

今、は簡単ですね。過去、もしくは未来。もう一つの軸を何にしようか迷ったのですが、ポジ感情を生むものと、ネガ感情を生むものに分けました。
※それぞれ具体例を書きすぎるとすごい長くなるので割愛

  • ポジ×過去:過去の楽しかった思い出。浸るのは短期的には良い(例えば友人と思い出話をするなど)効果を生む。ただし様々な要因によって徐々に効果は薄れる。
    →短期的に浸るのは良いが、浸ることを継続すると、「今、ここ」で集中すべきことが疎かになり、中長期的に悪影響が生まれる。

  • ポジ×未来:一ヶ月先の旅行に思いを馳せるなど。短期的には、それによってモチベーションの向上等につながる。この特定のイベントはいつか訪れて過去になってしまうため、永続性はない。
    →短期的にモチベーション向上のカンフル剤として活用するのは良いが、それを拠り所にしても永続性がないので意味がない。

  • ネガ×過去:過去の失敗経験、後悔している決断などを反芻してしまうこと。
    →大事なことは過去の失敗経験を反芻することではなく、過去の失敗経験を分析して再発防止を講ずることである。再発防止をしたあとは「今、ここ」に集中した方が良い。

  • ネガ×未来:憂鬱な試験が控えている。緊張する会議が控えているなど、訪れる未来に対して不安等の感情が発生していること。
    →未来に思いを馳せて不安に支配されるより、「今、ここ」でできる限りの対策をすることが最も有効な対策となるので集中した方が良い。

そんな簡単に割り切れたら人生は苦労しない

それはそう。人はそんなに強くはないので、「あの時ああしていれば」とか、「明日のMTGで詰められるのが嫌だ」とか思わずにはいられません。実際、軽くマインドフルネスやら禅やらを調べているだけでも、思考を制御したり、不快感を即解決することではない、と言われています。
色々探している中で↓を見つけたので引用します。

(前略)もう一つは、自らが何かを気にしているという事実を、心の中で言葉にしてみて、自己を客観視してみることです。気にしないように努めるのではなく、あえてそれを言葉で表現してみることで『自分はこういう状態だったのだな』と今の状態を理解し、受け入れることができます」と言います。

https://halmek.co.jp/life/c/tips/6165

なるほどみが深いです。(これ以上なく浅いコメント)

ただし、本当の意味で客観視するのは意外と難しい

日常においても、自分としては「◯◯に怒っている(◯◯を生み出した△△が悪い)」と自覚している一方、実際は「☓☓という状態の自分を認識し、心配してほしかった」とか、「☓☓という状態に陥ってしまった自分の未熟さを認めたくなくて◯◯への怒りで覆い隠している」みたいなことってあると思います。
これはまだまだ言語化ができていないのですが、自分のモヤモヤを生み出している根っこに向き合う、というのは他者との対話とか、自己の鍛錬が必要なのかな、、、と思っています。

キャリアの選択に照らしてみた

これってキャリア選択においても一緒だなあと思いました。仕事をしている中でもたくさんのモヤモヤを抱えますが、自身のモヤモヤに誤った説明を与えてしまっている状態だと、誤った軸で仕事を探してしまいかねないです。

  • 細かいところまで指図されたくない

  • もっと評価されてチヤホヤされたい

  • モテたい

とか、モヤモヤの奥にあるもっと本質的な人間くさい感情をまずは言語化することが大事かなと思います。
当然、それだけで職業選択をするのはあんまり良くないです。その上で現実を直視して、今踏むことのできるステップを堅実にクリアしていく、ということが必要になります。

誰かの最適解は自分の最適解ではない

「この会社に就職するのが良い」という発信がとにかく多いなと思います。どの会社にいくか、ということは、自分の心を満足させる上でのhowの最後の部分なので、どの会社にいけば失敗が少ないか、ではなく、今の人生において何を満たしたいのか、というのを、自身の感情の深いところにまで目を向けて考えるのが良いかなと思っています。



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