水民マガジン 脳内達人師匠の芽生え 雲梯(うんてい)にハマった頃

雲梯(うんてい)というものがある 
元々は 中国の攻城兵器だったので 歴史は超古い
日本では 体力増進を兼ねた遊具として 全国の小学校や公園 池江さんの自宅などにある
わたしの小学校にも 木造の 朽ちかけたうんていがあって 1年生のときに 運動能力・学業 共に抜群 体も大きく 力も強く 頭も良く その事を全く鼻にかけることなく 雨の日の休み時間には 自由ノートに仏像画を描いていた聖人君子のような 眉が太く 質実剛健を絵に描いたような少年 イサ君が 放課後 誰も遊んでいなかった校庭の隅っこで うんていから落ちて フニャ〜 と泣いた
『イサ君が泣いた!』
わたしは 何か 見てはならぬものを見てしまった気がしたが まあ 泣くわな 小1なんだもん
イサ君は その後転校していったのだが 毎年100人以上を東大に送り込んでいる ナダ高に入った というのを 風の噂で聞いた
おそらく 東大に入り 官僚になって 天下りを目指してるのだろうが イサ君には 生活に苦しむ日本国民を導き 助けて欲しかった 救世主モーゼのように 
まあ そんなイサ君を 痛みのどん底に叩き込んだ うんていであるが(前置き長すぎ)わたしが小4のときに 新しい 鉄製のうんていが 設置された
さっそく やってみる
ぶら下がるのがやっとで なかなか次のバーまで たどり着けない
片手で前のバーを握り 身体を振ってから次のバーを掴む というやり方を覚える
端から端まで行くのは かなりの重労働だ
そんなある日 同じクラスのサヌキ君が 
『端から端まで 何回やったか 競争せえへんか?』
という
それから 毎休み時間 放課後 うんていをやるのが日課になり サヌキ君と顔を合わせるたびに 回数を言い合ったのだ
サヌキ君との競争は 抜いたり抜かれたりだったが 確か43回ほどやったところで サヌキ君が
『ボクもう やめるわ』
と言ってきた
だが わたしの 毎休み時間 放課後 うんていをやる というのは 日課として残った
回数をカウントするのは ずっとやり続けたが 400回に達したところで 
『もう これ以上は 数える必要ないやろ』
と思い やめた
その頃には 端から端まで行くのが あまり苦ではなくなっていたのだ

うんていをやっていると 手にマメができる
それが 破れると 痛くてできなくなる
そこで マメが破れていない部分を使ってやった 小指側とか親指側とか
しかし 手のひらの中で マメが破れていない部分がなくなる そうすると 指の腹を使って やり続ける
指の腹にできたマメが つぶれる頃には 手のひらのマメが かなり回復している
そうした マメ潰れ&回復ローテーションで やり続けた
そんな中で 脳内達人師匠が 育っていったのだと思う
脳内達人師匠は うんていに関するあらゆる相談に乗ってくれる

子どもはせっかちだ 
うんていをやるにせよ 早く向こうに着きたい
バーをひとつずっと握って行くのが かったるくなる
そこで バーをひとつ越えて 1段抜かしで
やる
1段抜かしがスムーズになったところで脳内達人師匠が提案する
『次のバーを握ったら 一回後ろに身体を振り返してから次行ってるけど あれやめたら?』
そうやって 連続的に パッパッとできるようになると 次に挑戦するのは 2段抜かしである
2段抜かしを普通にやると バーで頭を打ってしまう
脳内達人師匠は こうのたまう
『次のバーに手が引っかか前に 後ろのバーを離したらええねん』
もうひとつ 手が届かなくても2段抜かしをする方法を 下級生がやっていた
首を折る という方法だ
すげえ オレにはない発想やんか
やがて 脳内達人師匠が あることを提案した
『手ぇを 回し込んで前に運ぶんやのうて 最短距離で前に運んだほうが 速いで』
つまり 背泳ぎのような腕の使い方をするのではなく 阿波踊りのような腕の使い方をせよ というのだ
流石は脳内達人師匠である
さっそく それを試してみた
速い!
次の目標は 当然の如く(3段抜かし)である 
このやり方を 脳内達人師匠は 簡単に言い放った
『飛べ!』
まあ それしかないのだが わたしが無謀で勇敢な少年なら 最初から何回続けて 3段抜かしが続けられるかと考えたかも知れないが そうではない少年の頃のわたしは どこが3段抜かしを 1番やりやすいか と考えた
うんていは 上り勾配 水平 下り勾配 の3パートで構成されており 下り勾配の方が 勢いがつく また 勾配と水平の継ぎ目が屈折しているので その間は バーとバーの距離が短い
それらを利用しつつ 飛ぶのである
結果として 水平から下り勾配の屈折部分と  最後の2回は 3段抜かしで行けた 
最終的には 4段抜かしまでは 成功した
しかし その先を続けるには 時間がなかった
その頃には 小6になっていたからだ
中学には 残念ながら うんていがなかった

あの頃 サスケとか ボルダリングとかがあったら それを目指していたと思う
6年ほど前に 久々にうんていをやってみた
バーを握る両腕が 自分の体重にすら耐えられないのに愕然とした
でも サスケを目指してうんていを極めたい方で わたしの脳内達人師匠のパーソナル・レッスンを受けたい人は 連絡して下さい

その後 わたしの出身小学校は 阪神淡路大震災に被災し 避難所になり 建て替えられた
校庭の片隅にあったうんていは まだ有るのだろうか?




#私のスポーツ遍歴


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