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「私説三国志 天の華・地の風」感想2 主人公・孔明に見る「プリンセス」の厄介さと恐ろしさ

前言撤回。大人になった今でもわからない。

一巻に続いて二巻の途中まで読んだ。

前回の感想に「子供だった自分には、その時読んでもこの愛憎劇はわからなかっただろう」と書いたけれど、早くも前言撤回。

今でも分からん。

二十代の時でさえ「結局、好きなのか嫌いなのかどっちなんだ」というしょうもない感想を言いそう

とも書いたが、いま読んだ時点で「結局、周瑜のことが好きだったのか」と仰天してしまった。(しょうもない感想)

周瑜に本気で恋をしてしまったが、玄徳とは「水魚の交わり」と言えるほどの強い結びつきを感じている。だから周瑜への恋心を断ち切るために、毒を盛って(しかもあの方法で)殺した……らしい。

恋する相手を殺してまで玄徳の下に戻って来たのに、玄徳が新しくやってきた龐統を重んじているから玄徳が新しい者にすぐに目移りするひどい奴、という認識になり、孔明は「一体自分がしたことは何だったのか」と孤独を感じて病んでいる。

「お気持ち」ここに極まれりだ。

徐庶に裏切られたときも

完全に、虚をつかれた。かつての兄弟子、無二の親友に、これほど手ひどく出し抜かれるなど、誰が思いえたろう。

(引用元:「私説三国志 天の華・地の風2」 江森備 復刊ドットコム)

と言っているが、自分が周瑜や棐妹にした仕打ちはどう考えているのかと突っ込みたくなる。

自分が苦手な「プリンセス」の匂いがプンプンする。

「プリンセス」は、自分が考えるある特徴を持つ人物を表す造語だ。
あくまで概念を表す言葉なので、性別は関係なくその属性に当てはまる
と思った場合は「プリンセス」に分類している。

「プリンセス」とはどういう人か、試しに説明してみたい。


「プリンセス」の人物像。

ひと言で言うと「自分の認識のみで世界を支配してしまい、他人もその認識でいて当たり前だと思っている」だ。

だから他人が他人の認識で行動して、その行動によって自分が傷つくと物凄く理不尽な目に遭ったかのような被害者意識を持つ。

孔明のように、他人は自分の認識の通りに動くものだと思っているので、その認識を裏切られると凄く怒る。だが自分の認識通りに自分が他人を扱うぶんには、何の違和感も持たない。

玄徳や徐庶が自分の認識を裏切った時にすさまじく傷つくことと、自分が周瑜や棐妹にした仕打ちとは何の矛盾も感じない。

「プリンセス」には、「人間(自分も他人も含めて)はそんなもの」という時の、「人間」という「自分という個を包括する上位概念が存在しない」、もしくはそこから無意識に自分だけを外しているのではないか、と思っている。


孔明の心の動きで言えば、孔明は玄徳との絆を信じて周瑜を振り切るために自分が恋をしていた周瑜を殺した。

確かに玄徳も孔明を期待させるようなことをしているが、玄徳には玄徳の世界観があるのだから、その言動を発した玄徳の認識と受け取った孔明の認識にはズレはある。

だから「どのように受け取ったかの責任」は多少なりとも孔明にある。

玄徳の言動をどのように判断したか、そしてその判断に基づいて周瑜と玄徳のどちらを取るかは、孔明の認識の問題でもある。

ところが「プリンセス」にとっては、「自分の認識と他人の認識の違い」が存在しない。「玄徳(他者)の認識」は存在しないのだ。

自分の認識=「玄徳も周瑜を殺してでも自分の下へ戻ってこいと思うほど自分のことを思っているはず。自分はそういう玄徳の想いに応えるために周瑜を殺したのに、そんな自分を裏切った」

この認識しか世界には存在せず、他の人間もこの認識に基づいて判断や行動をしているはずだ、と「プリンセス」は思っている。(たぶん)

ちなみにこの「想いに応えるために」のように、自分が選んだ主体的な行動をあたかも「やらされた」かのように考えがちなのもプリンセスの特徴だ。

主体的な行動を受け身的に転換することによって、常に被害者のポジションを取る。功利的にやっているのではなく、主体的に世界に関与する力が自分にはない、という無力感が根底にあるのではないか、と考えている。

孔明の過去を考えると、大人になっても世界に対して無力感を持つ、だから主体的な行動も受動的に転換してしまい、被害者意識を持つ、という風になるのはわからなくはない。

わからなくはないが、周りの人間にとっては厄介だ

「自分は玄徳の想いに応えるために周瑜を殺したのに、そんな自分を裏切った」という認識に基づいて全てを見る。

そのため玄徳は気持ちがコロコロ変わるひどい人間であり、そんな玄徳の言葉を信じてあんなに好きだった周瑜を殺した自分、なんてかわいそう、というストーリーを作り、それが事実になってしまう。←びっくりした。

普通は……という言い方が微妙であれば、少なくとも自分から見ると、この事象においては玄徳が特にひどい人間だとは思わない。

新しい人が来るとそちらに興味が惹かれがちなのは性格なので仕方がないし、玄徳は龐統を信頼した後も孔明を粗略に扱ってはいない。(少なくとも孔明が僻むほどには)

多少八方美人気味なだけの普通の人だと思うが、こういう認識は「プリンセス」の世界には存在しない。

だから少しでも裏切られたと感じると、その相手に対して強烈な被害者意識を持つ。


「プリンセス」は異常にモテる。

しかしこういう特徴にも関わらず、というよりこういう特徴だからこそかもしれないが、「プリンセス」は異常にモテる。

ひとつの認識しかないがゆえに閉じられた完璧な世界が、深く強烈な引力を持つからだ。

その世界観が大勢の人を理屈抜きで惹きつけられる上に、その世界に閉じ込められた人間はそこから抜けられなくなる。

「天の華・地の風」の周瑜など「惹きつけられて抜け出せなくなった」典型だ。


「天の華・地の風」の孔明ほど、「プリンセス」の特徴と恐ろしさを巧みに描いている話は見たことがない。

「よくそんなに自分だけを可哀そうがれるな」
と感心半分呆れ半分に思いつつも、「プリンセス」孔明の行く末が気になってついつい話を読み進めてしまう。

しかし……ずっとこの調子なのだろうか。ついていけるかな……。


おのが麗姿には自信がある彼女であったが、軍師の前に立ってみると、身内に咲く華が、あえなく色あせるのを感じずに居れぬ。

(引用元:「私説三国志 天の華・地の風2」 江森備 復刊ドットコム)

プリンセス対決で孔明に負ける貂蝉。文章も世界観を補強していていい。


続き。三巻までの感想。


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