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【「東京最低最悪最高!」感想】「女性が自らの能力を誇示し、その成果を誇ることは悪である(性格が悪い)」という「女らしさの規範」の最後のハードルを超えられるのか。


「東京最低最悪最高!」は、自分が見るところ「女らしさ」の性規範から脱することを試みる話である。
「女らしさ」とは何か?
 男に頼って(立てて)生きていくことか?
 女らしさをアピールしてすることか?
 自分に不本意なことを言われてもされても、反論せずにその場の和を重んじることか? 
 自分も長いこと、これらが女性に強いられてきた性規範であると思ってきた。
 しかし実はこれら以外にも女性に強いられているものがあり、それは未だに言及されていないのではないか、と最近思うようになった。

 それは何かと言うと、
自分が持てる能力によって他(の女性)よりも抜きんでること、そしてその成果を誇示することを悪とすること」である。

「競争して何かを勝ち取ること」「その能力をいかんなく発揮すること」は、男らしさにおいては良しとされている……むしろ求められることだ。
 反面、女らしさにおいては「競争をすること」「自らが優れているとその能力を誇示すること」は悪とされやすい。

 スポーツ漫画、バトル漫画を見ればわかるが、男らしさは時に仲間同士ですらお互いの能力を誇示する。
「スラムダンク」で「俺たちは別に仲良しこよしじゃねえし、お前らには腹が立つことばっかりだ。(でも、俺と一緒にバスケをする能力や気概を持っていてくれて)ありがとよ」というセリフが象徴する通り、男の性規範においては「能力を信頼できる」というのが最も重要なことである。
 
性格は二の次だ……というより、性格が良くとも(仲良しこよしになれても)能力がなければ信頼されない。
 女性の性規範はその逆である。
「いくら能力があっても、性格が悪ければ信頼されない」
「性格が悪い」は女性の性規範では、最悪の罪である。

「東京最低最悪最高!」を読んで、最初に思ったことは「ヒロイン・アキは、凄くモテる女性なんだな」ということだ。
「結婚したい」と思った瞬間に、アキの都合にピッタリと合う男・圭と結婚することが出来たからだ。

 アキは自分の人生において、実家を離れ、好きなことを仕事にし、実家に戻らないためのリスクヘッジとして結婚し、その結婚相手も自分の価値観に合う男を選ぶことができた。
 自分の人生におけるすべての希望を把握し、それを叶える能力を持っている。
 その能力は何か。
「内心でどれほど不満を持っていても、周りの人間(作内では親や妹)に従い和を乱さず、角を立てずに、自分の思い通りの言動を相手が取るようにハンドリングする能力」だ。

(作内で言われている通り)「女らしさ」と呼ばれる性規範の中で、かつて最も必要だと言われていたのは、「決して和を乱さない」「自分を殺してでも相手を不快にさせない能力」だ。
 アキは母親から受け継いだその能力に強い嫌悪感を抱きながらも、その能力によって自分の思い通りの人生を手に入れる。

 内面については「自分を殺して相手を不快にさせない能力=女らしさ」は使わない。
 だから本音がダダ漏れしている。

 私はこんなに優れている。
 何でも思い通りに(ハンドリング)出来る。
 糞みたいな能力だが、これを自分に授けてくれた母親には感謝している。

 アキは、優しいからそうしているわけではなく、そのほうが自分にとって物事が有利に運ぶからそうしているに過ぎない。
 性格ではなく能力なので、使う必要のない場面(内面)では、その能力によって得たものを自慢しつつ、その能力に対する嫌悪を「読み手という他人」に遠慮なくぶちまける。

 無茶な仕事を振られても文句ひとつ言わずに笑顔で「大丈夫です!」と引き受け、自分に嫌味を言う妹にも嫌味を言い返さず、内心は不満たらたらでも言われた通りに実家で働く。
 そうやって自分を抑えて波風立てないようにすることで、自分が欲しいものを選び、自分の生きたいように人生をカスタマイズして生きてきたのだ。

「ハンドリングしている(自分の人生のすべての盤面を自分がコントロールしている)」と、その能力に優れていると自負するのも当然だ。

「他人より優れている己が能力を誇示し、その成果を誇ってはならないという女らしさ」という性規範を外して読めば、「東京最低最悪最高!」は不遇な環境に生まれた人間が、持って生まれた自らの能力(特性)を最大限生かしてその境遇から脱出し、自分が望む仕事、パートナー、人生を選び、勝ち取る話だ。 

 この話は「アンチマン」と合わせて読むとなかなか味わい深い。
 レイプ願望に悩まされ、父親を怒鳴りつけ、同僚には揶揄を口にし、女性とレスバしながらも「男らしさ」という責任から逃れられず、最後には植物人間になった溝口。
 周りを嫌悪し怒りを感じながら、表立っては決して逆らわず和を乱さず、その「女らしさ」という自分が嫌悪する能力によって、自分の望むものを手に入れた「東京最低最悪最高!」のアキ。
「アンチマン」で溝口が父親を罵った瞬間に父親が死んでしまったように、アキが両親と戦った瞬間に、家庭は恐らく崩壊する。
 アキがもしそういう女性であれば、彼女は東京に出ることもデザイナーになる夢を叶えることも、理想の男との結婚というリスクヘッジを手にすることも出来なかった。 

 アキの内心は確かに露悪的だ。
 むしろだからこそ、その悪どい(?)内心を抑えきって周囲の調和を優先させる、他人のためではない、自分の人生のためにそうしたことは、主体的な選択、聡明さとして評価されるべきだ。

(「スラムダンク」24巻 井上雄彦 集英社)
性別限らず「自分の行動はすべて自分のためだ」と言い切る人が好き。

「アンチマン」と二作を並べて読むと、一見「女のほうが得だ」と思われるかもしれない。 
 しかし自分はこの二作を読み比べた時、「女らしさ」の性規範のほうが問題が見えにくいことに根の深さを感じる。

「自分の思い通りの人生を思い描き、表面はひたすら波風立てずに、持てる力はすべて自分が望む人生を掴むために注力し勝ち取った」
 そんな能力を持った女性に、
私みたいな女に引っかかって、こいつも可哀想に」
と思わせてしまうものは何なのか。

「自分が疑いもなく他から優れていると思う部分を認め、抜きんでること。その能力をただ自分のためだけに使うと言い切ること」
 自分も他人も、そうすることは正当なことだと認めること。
「女らしさ」という規範の中で、最後に乗り越えなければいけないのはこのハードルだろうと思う。

「東京最低最悪最高!」は、「性格が悪いと思うのは構わない。私が自分の人生を選択し、その人生を自分の手で手に入れたこの能力のみを以て、私のことを認めて欲しい」ということを体現した女性像を描いている。

「自分の持てる能力で戦い、自分が望むものをすべてもぎ取った」
 十分、凄い人だと思う。

※余談
 この話はアキに近い(能力を持つ)人ほどいわく言いがたい違和感を覚えるような気がする。「そんなのは普通のことで大したことではない」と反発がわくのでは、と推測している。
 自分はアキのような能力がほとんどないから尊敬の目で見てしまう。
 いや……普通じゃないって。全然(小声)

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