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「ライチ☆光クラブ」や「鉄血のオルフェンズ」のような、閉じられた子供の互助コミュニティの話が好きだ。

 古屋兎丸と和山やまの「ライチ☆光クラブ」のコラボ本を買ったことをきっかけに、「ライチ☆光クラブ」への熱が再燃している。
 本編を読んだ時は、ジャイボはイカレたヤバい奴としか思わなかったが、コラボ本の短編で描かれたゼラへの恋心を前提にして本編を読むと、まったく別のキャラに見える。
 本編でも「ゼラが本当に好きだったから、大人の男になることが怖かった」という内面が、もう少しジャイボに寄り添う形で描かれていたらな。
 それにしてもゼラはひでえ奴だ(まあ好きだけど)
 元が劇だから仕方ないが「ライチ☆光クラブ」は本編が短すぎる。キャラたちの掘り下げが物足りない。9人の背景や日常をもっと見たかった。
 光クラブの少年たちの群像劇とカノンとライチの恋愛が噛み合っているように見えないこともあり、光クラブ単体の話で読みたかった。

 元々、「蠅の王」や「スタンド・バイ・ミー」「鉄血のオルフェンズ」「IWGP」「無限のリヴァイアス」のような、「社会から離れた子供だけのコミュニティ(関係性)」の話が好きだ。
 大人が関与しない(関与できない)、もしくは大人から見捨てられた子供だけのコミュニティは成り立ちが不安定で、一度タガが外れたら一番底まで周りも自分たち自身も壊しながら落ちていく。
 その危うさがたまらなく好きなのだ。

「ライチ☆光クラブ」はどこが面白いのか。
 第一に、九人の少年が特定の世界観を信じることで具現化した社会(光クラブ)が、独特なところだ。

(引用元:「ライチ☆光クラブ」古屋兎丸 太田出版)

「常識」は、その枠内に存在する人間が強固に信じているから「一般的な認識」になる。その枠内で多数の人間の認識が変われば、常識は逆さまに引っくり返る。
 光クラブの面々の言動は、(リアル中学生なだけに)一般的な認識では中二病だ。
 だが閉ざされた世界で、九人全員がその認識を強固に信じていればその認識が「常識」になる。
 だから光クラブの中では、少年たちはどんな残酷なことでも平気でする。

(引用元:「ライチ☆光クラブ」古屋兎丸 太田出版)

 大人が形成する場でも、これくらい歪むことは往々にしてあるので、特に光クラブの面々がおかしいわけではない。

 子供の互助システムの話は、たいてい社会に顧みられない子供たちが自分たちの手で生きのびられる居場所を作らなければならない、という背景がある。
「ライチ☆光クラブ」の舞台である蛍光町は、工場から出る煙によって常に暗く閉ざされている。大人たちは貧しい生活に疲れ果て、希望を失って無気力になっている。
 子供たちはその環境で生きなくてはならないこと、自分たちは大人になってもこの世界から出られず、親と同じように希望のない人間になるのではないかという不安におびえている。
「ぼくらの☆光クラブ」で語られるように、光クラブの子供たちの親は貧困の中で生きているため、余裕がない。ゼラやニコの親は、子供たちを重荷に感じ厄介者扱いして冷たく当たる。
 自分を守ってくれない、どころか「いらないもの」として認識する。
 少年たちは、「光クラブ」という極端に閉じられ尖鋭化した世界観を作ることで、自分たちを閉じ込め規定する現実の社会や大人たちの認識に抵抗する。
「常識」から見れば荒唐無稽に見えても、光クラブは自分たちに冷たく無関心な社会を生き延びるために、少年たちが必死になって作り上げた居場所なのだ。

という同情すべき背景はあるけれど、かと言って社会において許されない犯罪をし続ける彼らは自分たちのやったことの報いを受けるように破滅していく。
 子供は共同体のモデルケースになる「社会」を知らないため、作る共同体は狭い世界観によって極端に偏る。そのため大抵、内部が統制できなくなって自壊したり、社会との認識争いが生じて潰されるなど悲惨な運命を辿る。

 読み返して思ったけれど、「ライチ☆光クラブ」は「鉄血のオルフェンズ」と凄く似ている。
 社会から見放された子供たちが、自分たちで居場所を作り、何とか生き延びようとする。その過程で社会と衝突し、自分たちのやったことの報いを受けるように破滅していく。
 古屋兎丸と岡田麿里は他の作品を見ても「社会と宥和できること」を良しとしている節がある。そのほうが子供に寄り添っているとは思うものの、自分は(創作だし)とことんまでやって欲しいなと思ってしまう。
「蠅の王」は自壊した上に、生き残った子供たちも社会の中でやっていけそうもない(社会と和解できないことを示唆しているところ)がいい。

「ライチ☆光クラブ」は本編はもうあれで終わりだと思うしかないが、もっとキャラの話やif設定の話が見たい。
 今のところ支部で補給しているが、公式で出ないのかなあ。出て欲しい~。

◆余談

「オルフェンズ」のオルガやドラマ版「IWGP」のキングのように優れたリーダーがいる場合は、社会とうまく宥和する方法を模索して内部の人間を守るために組織を存続させていくことができる。
 ただいくら「優れて」いてもリーダーも子供(若者)なので、そんなケースは稀だ。
「オルフェンズ」で鉄華団が壊滅したのは、「IWGP」のマコトのように組織と社会の間で争いが生じた時に、それを抑えようとする人間がいなかった……というより、マコトの役割を果たすはずだったビスケットが死んでしまったために、マコトとキングの役割を両方ともオルガがやらざるえなかったからだと思った。
 ビスケットが死んだ時にもう鉄華団の行く末は決まっていたけれど、それでもオルガはその運命に抗おうとしていた(こういうところが好き)
 ストーリー的には、どう考えてもクーデリアがその役割を果たすはずだが、(三日月のことを好きなのにも関わらず)クーデリアが不自然なくらい何もしないところを見ても、ストーリーが意図的に鉄華団を破滅に導いている。
 まあそこが好きなんだけど。

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