「エタるか、エタらないかは自分次第」なので、「自分」が「エタり体質か?」を知ることが重要。


「エタらない」ためのたったひとつの方法

「エタらない唯一の方法」
これは誰しも分かっているだろう。

「完結させてから公表する」

これならば、「書けない」「飽きた」「力尽きた」「モチベが上がらない」全ての理由を回避できる。


「コスパが滅茶苦茶悪いことが出来る」のが趣味の強み。

「それが出来れば苦労はない」という声が聞こえてきそうだが、「どんな長い作品でも完結させてから公表できる」のは、アマならではの強みだ。

生活がかかっているプロだったら、「売れるか売れないか、契約を継続できるかわからない作品に労力を割く」などとても出来ないだろう。

直球の言い方をすれば「コスパが滅茶苦茶悪いことが出来る(結果を出す必要がない)」。

つまり「エタるかエタらないかが、全て自分にかかっている」のが、趣味でやっている人間の強みだ。

「趣味で楽しむが一番の目的」なら、その強みを存分に生かしたほうがいい。


「エタり体質」とは?

とは言うものの、「『全部、書き終わってから予約投稿でコンスタントに公表する』ことが理想だとしても、そんなこと出来ないよ」という気持ちも(すごく)わかる。

仮に「エタるかエタらないかは自分次第」だとしたら、その「自分」とはどういう体質なのか? を知ることが大切だ。

というわけで、ここからは「エタり体質」「エタら体質」について考えたい。


「エタり体質」というと、どんな人を思い浮かべるだろうか?

・飽きっぽい
・無計画
・根性がない
・要領が悪い

「エタる」こと自体が、「いいこと」とは考えづらいので、ネガティブな体質ばかりが浮かびそうだ。



自分が考える「エタり体質」の最も重要な項目は、「物事の詳細を把握することが得意か、全体像を把握することが得意か」だ。

「詳細の積み重ねから全体像を把握する」(Aタイプ)
「全体像を把握してから詳細にピントを絞っていく」(Bタイプ)

ざっくりこの二タイプに分けたときに、後者(Bタイプ)のほうが「エタり」にくい。

何故なら、Bタイプは「全体像を把握しなければ、物事を始めないから」だ。自分の中でエタらない、という目算が立たなければ書き始めない。

Aタイプは「詳細から全体像を詰めていく」ので、詳細を累積させて全体像を組み上げていく。累積させていっても全体像に結び付かない場合がある。(結果的にエタる)


あなたは「エタり体質か?」「エタラな体質か?」

自分がどちらのタイプか、を見分けるのは簡単だ。
「他の人間が作った完結していない作品をどの観点から見るか」で分かる。

「全体像が把握できるかどうかわからない(完結していない)作品には手が伸びない」というタイプの人は、Aタイプである可能性が高い。
一方で「話数ごとや1シーン1シーンが面白ければ、それが一番いい」と思う人はBタイプである可能性が高い。

書き手としてだけではなく、読み手としても物の見方は同じなのだ。

ちなみに自分は、プロの作品であっても基本的には完結したものしか読みたくない、他のシーンとのつながりがないワンシーンにはさほど興奮しない、小説でも漫画でもアニメでも映画でも、読み手である自分に最終的にかかるコストがどれくらいなのか把握しておきたい、典型的なBタイプだ。


「エタラな体質」でも実はエタっている。

Bタイプもエタる。
Aタイプとエタる地点が違うだけだ。

Bタイプは、全体像を把握していないと物事を始められないので、エタるときは構想の段階でエタっている。
ひと目に触れる段階では、既に頭の中で話が全部出来上がっていることが多い。(だから一見、エタりにくく見える。)

「エタる、エタラない」の観点から言えば、多少有利かもしれないが(それでもエタるときはあると思うけど)、他の観点から言えば欠点もたくさんある。

・既に全体像が出来上がっていて、詳細がその一部になっているから、何かの理由で方向転換しなければならない場合、それが出来ない。もしくは細部まで全て直さなければならない。

・勢いで物事が始められないので、結局計画倒れ(プロット倒れ)になる。

・自分が把握、コントロールできる範囲でしか物事が進行しないので、話が壮大になりづらい上に自己完結的。


要は鈍重で小回りが利かず、それでいながらどこかこじんまりまとまっている。

「エタりにくい」ということは裏を返せば、「エターナルに近い、壮大な物語を展開しづらい体質」ということでもある。

「エタる」ということは、裏を返せば「完結すればエターナルに果てしなく近いものになる可能性がある」ということでもある。


「エタり体質」と「エタラな体質」はどちらがいい悪いというわけでもない。一長一短だ。

ここで言う「体質」は性格ではなく、物事の認識パターンや思考の癖だ。
Aタイプだったら「まったく全体像は把握していない」というわけではなく、「どちらの物の見方をしがちか」という偏りに過ぎないので、意識すればパターンを変えることは出来る。(ただし、利き手でないほうをずっと使うようなものなので、とても疲れるとは思う)

大事なのは、自分がどういうタイプで、どういう方法なら「エタりにくいか」(もし、エタるのが嫌なのであれば)を知ることだと思う。


Webで創作をするには、どちらのタイプが有利か。

自分はWeb小説(漫画も)は、動画に近いのではないかと思っているので、Aタイプのほうが書き手としては有利だと思う。

以前も書いたが、Web小説は「従来の小説の読み手」と同じくらい(もしくはそれ以上に)「本来は小説よりも動画のほうが情報を把握しやすい読者層」がいるのではないか。

セリフ(音声)でストーリーを把握するのは、動画もそうだ。

だから「書籍で読むことを想定した小説」だと、そこまで受けない可能性が高い。

またそう言ったフォーマットの問題以外に、書き手の信用がゼロであることが上げられる。(プロだと名前は知らなくとも、『デビューを認められた』という実績がある。)

「この人の書いたものは面白い」という信用がない段階で、「話の積み重ねを楽しんでもらえる」「全体像が見えるまで読んでもらえる」と思うは、ちょっと虫が好すぎる。(猛省)

「作品に目を惹きつけ続けて、読み手の中に書き手への信頼や作品への愛着を積み重ねていくしかない」

読み手は貴重な時間を割いて読んでくれているのだから、これくらいは考えてしかるべきだった。
たぶんAタイプの人は、こういうことを(Bタイプよりは)無意識でも出来ると思う。


ここまでの話は、MBTIのS型(感覚型)とN型(直観型)の考えに基づいた、自分の独自解釈だ。
MBTIは、創作のキャラ作りや分析にもよく使うので、創作好きの人なら楽しいと思う。


心に残る「エタり作品」

自分が「エタり作品」で一番心に残っているのは、「グイン・サーガ」だ。「完結したら一巻から一気読みしよう」と思っていたのに……。

「グイン・サーガ」くらい、全体像も壮大でシーンごとの興奮度も高い話だとどっちのタイプかはもはや意味がない。
ただそういう天才でさえ、肉体の制約はある、ということが辛くもある。

同じように未完で終わってしまった「ベルセルク」のグリフィスのモデルが、「グイン・サーガ」のアルド・ナリスであることに因縁を感じる。
ただこの二人、自分の中ではまったく似たところがないのだけれど。(共通点は、美形でレイピア使うところくらいだ)

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