カクヨムはブログ化するのか。

 最近、カクヨムのトップページの「注目の作品」を「エッセイ・ノンフィクション」が占めることが多くなった。(6月半ばくらいから見ているけど、多い時は11枠全部「エッセイ・ノンフィクション」「創作論・評論」という「非小説」ジャンルの時があった)

「そのプラットフォームで何が読まれているか、何が人気か」でどういう層が利用しているかは、だいたいわかる。
 書く側も「読まれるために読まれそうなもの」を書くから、その循環によってプラットフォームの傾向は決まっていく。
 プラットフォーム側が「何を重視するか」「どういう方向性で行きたいか」によって手を入れなければ、この傾向はどんどん進んでいく。

 前にも少し書いたけれど、カクヨムとなろうの大きな違いは「書き手同士のつながり」を推奨しているかいないかでは、と自分は思っている。
 カクヨムは書き手同士の評価のつけあいに制約を設けていない。
 自主企画内の評価はランキングには反映させていないけれど、つけることは出来る。また自主企画を通さない相互のつけ合いはランキングに反映される。(*現段階で利用規約を確認した限りでは。なろうは利用規約第14条「禁止事項」15で「評価を依頼すること」を禁じていたり、評価やブクマを誰がどのタイミングでしたかがわからないようになっているので、評価のつけ合いをすることがシステム的にかなり難しい。可能かどうかではなく、プラットフォームがそういう行為に対してどういう考えを持っているかということが主旨)
 後から参入したカクヨムがなろうと差別化を図るために、こういう方向性にしたのではないか。ただの推測だけれど。

「書き手の利益」が大きければ、当然書き手が増える。
 プラットフォームは「いる人間に読まれるもの」が増えるので、つるはし売りが増えるが如く「創作論・評論」が増えるのではないか。
 こう予測していたので、「創作論・評論」が増えると思っていたから「エッセイ・ノンフィクション」が増えたのは意外だった。
 ただカクヨムは非小説が読まれるようになっていくのではと思っていた。(事後諸葛亮~)

「はてなブログ」では、自分が書き始めのころは短期間でブクマを3つ集めればはてなブックマークの新着に載った。新着に載るとはてブの利用者の目に入るようになる。そこでさらにブクマが集まってホッテントリ入りすると、PVが一時的に増大するという仕組みになっていた。
 そのために書き手同士でブクマを付け合う行為、いわゆる「互助会」が問題になり長い間揉めていた。
 結局、はてながアルゴリズムを変更して「相互のブクマの付け合い」は新着のためのブクマ数としてカウントしないようになった。

 はてブに読み手の意思が反映されなくなれば、キューレーションとしての価値が落ちて人がいなくなる。
 人がいなくなればはてブにホッテントリ入りしてもPVは増えない。PVが増えなければはてブのメリットはなくなり、結果的にはてなブログを使おうと思う人も減る。 
 理屈としてはこうなっているので(理屈としては)、最終的にははてなは「互助会によってPVを増やせる→それを狙った書き手が増える」というメリットよりも「はてブのキューレーションとしての信頼性を担保すること」を取った。 

 話を整理するとプラットフォームは
①無料で提供することで人を集める。
②無料で使う人が無償でコンテンツを提供する。
③そのコンテンツを見る人が集まる。
④ある程度、コンテンツが充実して人が定期的に流入するようになったら、どういう方向性でいくかを考える。
⑤その方向性に従って、内部を管理して統制する。
 だいたいこういう道筋を辿る。
 カクヨムは④の段階で、今後どうなるのか決まっていくのかなと思う。

 仮にこのままカクヨムで読まれるジャンルは非小説が多くなり半ブログ化しても、それはプラットフォーム側が決めることだ。
 ただ自分は自分の書いたもののの生の評価を知りたい(自分の書いたものが自分を知らない人にどう読まれるかを知りたい)というのが目的なので、カクヨムがこのまま半ブログ化して、小説を読む人(いわゆる読み専)が少なくなったらちょっと困るなと思う。

「読み手が読みたいもの」と「書き手が書くもの」は、相互補完関係にある。
「読んでもらうためのものを書く」→「それがプラットフォーム内でどんどん増えていく」→「それが読み手の目につくようになる」→「目につくものが読まれる」→「読まれることで注目される」→「読んでもらうための『読んでもらえるもの』を書く」

 書き手は「そういうものを求める読み手が多いから、そういうものを書くしかない」と思いがちだが、「そのジャンルしか読まない読者」は「そのジャンルしかないプラットフォーム」が生み出している。
 自分の中に「こういう人に読んで欲しいな」と思う読者像があるなら、どれだけ迂遠に見えても「そういう人が読んでくれそうなもの」「自分がその人たちに読んで欲しいもの」を書いて存在させ続けるしかない、というのが自分の持論だ。
 
そういう人に集まってもらうことが出来たら読者層が変化し、そうすればプラットフォームや書き手も自然と変わっていく。

「こうしたほうがいい」と思うことは自分がやる、「これはおかしい」と思うことがあるなら自分がやらない。
 その行動の積み重ねでしか「こういう世の中であって欲しい」という思いは実現しない。(というより、それくらいしかできることはない)

 書くことに限らず、大きなシステムの一部として生きながら「自分がいる場所を変える」には、自分が信じる可能性にかけて出来ることをやるくらいしかない。(虫眼鏡でも見えないような存在なので、それくらいしかできることがないのだ)

 自分も書いていて落ち込んだり迷走したりすることがしょっちゅうあるから大きなことは言えないけれど(言ってから言う)幸い一瞬で決まる一発勝負ではないのだから、気長にぼちぼちやっていきたい。

ということとは別に、ここからちょっと深堀り。

◆カクヨムはどうする気なのだろう?
 あれだけジャンルが偏っているということは、「注目の作品」のアルゴリズムにまったく手を入れていないのだろうか。だとしたらそこは好印象だ。
 たださすがに

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