【蛇恋考察】謎だらけの関係を考えたまとめ

この二人の関係について、今まで考えたことを整理してまとめたもの。

・本編から読みとったことを元に、あくまで自分個人が「こういう風にも考えられる」と思ったことです。
・ブログ記事、前回記事と若干重複している箇所があります。


二人の関係で一番面白いのは「関係性に対する認識のズレ」

自分にとってこの二人の関係の最大の面白さは、恋愛以前のお互いの関係性に対する認識のズレにある。

一般的にはストーリー内の二者の認識のズレは、客観的に見れば何が原因でどこがズレているのかだいたいわかるようになっている。
伊黒と蜜璃の関係は、関係の認識に齟齬がある(ように見える)のに、その齟齬の原因が本編を読んで考えてもわからない。
その齟齬が解消された描写がないのに、いつの間にかなくなったことになり、思いが通じあって終わる。

「認識のズレ」がそもそもあったのか、あったとしたらそれは何故生じたのか、どこで解消されたのか。

結論としては、恐らく二人の恋愛設定自体が当初はなかった後付けで、さらに伊黒の背景設定が追加されたため、こんなに奇跡的に面白い関係が出来上がったのでは、と思っている。


そもそも何がそんなに疑問なのか?

一番は、伊黒→蜜璃の態度である。
悪く言えば「上から目線」、良く言えば「保護者目線」で、(好意を持っているとは言え、というかそうであれは余計)「ただの同僚」に対しているような遠慮がない。
「自分が相手を庇護する立場であるという了解が、暗黙のうちにお互いのあいだで成り立っている関係」に見える。
炭治郎の禰豆子に対する態度に近い。

「関係性の認識が一致していない段階でも、そういう関係もありうる」と思えない理由は、
①伊黒は元々そういう性格ではない
②片思いの女性に対する態度として想定しにくい
からだ。
悲鳴嶼のような立ち位置や性格ならばまだしもわからなくはないが、それでも違和感がある。

率直に言うと、「伊黒は、なぜこんなに蜜璃に対して自信があるのか」ということが不思議なのだ。
伊黒の言動はすべて「甘露寺も自分のことが好き」という前提があり、「だから当然庇護(干渉)する」という意識で動いているように見える。

さらに突き詰めると、「伊黒はなぜ、蜜璃が最終的に自分のことを好きになると知っているのか?」ということがすごく疑問なのだ。

ストーリーを読む限りでは、蜜璃が伊黒を好きになったのは、最後の告白のシーンとしか思えない。

15巻までの描写だと蜜璃が伊黒に(せよ誰にせよ)特別な好意を持っているようには見えない。(2019年7月発売の公式ファンブックの情報によると、蜜璃の心情は「伊黒と文通したり食事に行くのは楽しい」ものの「しのぶを含め全員気になっている」となっている。)

もちろん好きになっている「可能性」はある。
だが、その「可能性」を裏付けるもの(蜜璃→伊黒の態度が以前と変わるなどの描写)が何もないので、明示された情報だけを追っていくと、最後の告白の瞬間に「伊黒のことを好きなことに気づいた」ように見える。

22巻の会話も違和感がある。
蜜璃が側にいて欲しいと思っている前提がなければ、「側にいることも憚られる」も何もない。しかしそれに対する蜜璃の認識は、「誰にも」死んでほしくないで、細かく見ていくとこの時点でも二人の認識は一致していない。
好きなシーンではあるが、二人の認識だけを取り出せば、善逸が禰豆子のことを「妻」と連呼しているのと余り差はない。

直前までこういった状態にも関わらず、最後の最後で蜜璃が伊黒に告白する。
このシーンの伊黒も「蜜璃が自分のことを好きなことに対する驚き」が一切ない。二人は元々好き同士で、気持ちを確認しあっただけにすぎない、ような話の流れだ。
伊黒の言動は、「相手に好きだと言われていないし、そういう素振りも見られないのに、相手が自分のことを好きだと最初から確信している」ように見える。
これだけでも驚きなのに、もっと驚くのは「伊黒のその確信が合っていた」ことだ。

ここまで考えたことで、自分が認識できる二人の関係は、
「二人は初登場時点から相思相愛だったが、蜜璃はその事実を忘れており、最後の最後で思い出した」
こういう風に見える。


二人の認識の差は「違う設定の世界で生きている」からではないか。

そこから思いついたのが、二人の認識の差はメタで見たときの設定の差ではないかということだ。

蜜璃→元々の設定の世界を生きている
伊黒→後付け設定の世界を生きている

二人は本編最後まで違う世界で生きていると考えると、文通したり食事に行ったりしているのに、「君の側にいるのさえも憚られる」と考えているのも納得がいく。
「同じストーリー内にいるのに、違う設定の世界を生きている」
自分がこの二人の関係を面白いと思う理由のひとつはここだ。

この設定の差が本編内で具現化した姿が「伊黒が背負わされた罪悪感」であり、「伊黒の罪悪感が消滅する→蜜璃が後付け設定の世界に戻ってくる→(同じ世界にいるので)生まれ変わらなくとも蜜璃に気持ちを伝えられる」条件が「無惨の死」では、と考えた。


「後付け設定の伊黒」は「甘露寺専用設定の伊黒」である。

この二人は、他にも面白い点がある。
設定がことごとく逆な点もそうだ。

蜜璃「ご飯を大量に食べる」
伊黒「食事にトラウマがある」

蜜璃「家族と仲が良く、全員健在」
伊黒「家族に生け贄として育てられ、自分が原因で親族が全員死亡」

蜜璃「後天的に髪の色が変わった」
伊黒「先天的に目の色が異なる」

蜜璃「常人の八倍の筋力」
伊黒「座敷牢を出るまで、箸より重いものを持ったことがない非力な手」

蜜璃「普通の女の子」
伊黒「業が深すぎて普通に生きられない」

蜜璃「自分の身体的特徴を隠すことなく自分自身でありたい」
伊黒「一度死んで汚い血が流れる肉体ごと取り替えたい」

ここまで真逆だと、話の設定としては二人は組み合わさったピースで、お互いがお互いの補う部分なのだと思える。

伊黒に至っては「甘露寺専用の人格」まである。
11巻で片目と片腕を失い、禰豆子がいなければ死んでいた宇髓には、「引退するのは許さない。死ぬまで戦え」と言っているのに対して、22巻で無惨の攻撃を受けた蜜璃を自分の身を危険にさらして助け、「もういい、十分やった」と言って休ませている。
また蜜璃が鳴女に対して先走って失敗したときは、言葉を選びながら助言しているが、炭治郎を助けたときは「足手まといの厄介者。引っ込んでろ」と言っている。
よくある「好きな子に対してだけ優しい」なら態度は変わっても、根底にあるものまでは変わらない。
他のキャラに対する伊黒の態度を見ると、いくら好きな相手に対してでもあそこまでロマンチストになるのはちょっと信じがたい。

「元々設定の伊黒」と「後付け設定の伊黒」に分けて考えた場合、「後付け設定の伊黒」は、「蜜璃専用設定の伊黒」に見える。
考え方や二人称まで専用設定があり、そこにさほど違和感がないのがすごい。

「好きな相手にだけ態度が違う」という萌えもあるが、それ以上に「特定の相手にだけ、設定そのものが入れ替わる」という発想が面白いのだ。

どれだけうまく描いても、二人の絡みがもう少し多かったら(「元々設定の伊黒」と「後付け設定の伊黒」を同時に描写する場面があったら)違和感が出たろうと思う。
無限城突入以前だと、二人が直接会話するのは、痣のことを話し合った柱合会議のシーンだけなのが効を奏している。


「罪悪感をどう乗り越えるか」はそれだけで話が作れるくらい大きなテーマ

この二人の関係が成就するための障害が、「伊黒が背負わされた罪悪感」だ。
他の登場人物は鬼に虐げられ鬼殺隊に入るか、人間に虐げられ鬼になるか、どちらかのケースが多いが、伊黒は鬼と人間、両方から虐げられている。しかも生まれてからずっと閉じ込められ虐げられてきたのに、その相手から理不尽な罪悪感を背負わされている。
本人が述懐している通り、背負っている業が他のキャラ以上に重い。

「罪悪感」は、特に人とのつながりにおいて非常に厄介な感情だ。

「自分は悪いもの、存在自体が相手にとって害」という感覚があるため、(伊黒が「自分が何か少し『いいもの』になれた気がした」と言っている通り)人との深い関係を持つことが難しくなる。

罪悪感に耐えきれなくなると、猗窩座のように周りにその苦しさを撒き散らす本当の「悪」になってしまう。
悪=加害者=強者という感覚になるためだ。
猗窩座と周囲の人間の関係では、この構図がわかりやすい。
猗窩座が恋雪に「守れなくてごめん」という自分の弱さを認める言葉を言えないために、何百年も鬼になって人を殺し続けていたところにも、罪悪感という感情が厄介さが表れている。
「自分は強くいなければならない」という呪縛は、「自分もまた弱い存在である」と認めるくらいならば「自分がいかに強い(悪である)か」を証明するほうに向かわせるのだ。
猗窩座が恋雪に涙ながら謝るシーンは単体で見ると感動的だけれど、周りの人間の不幸の責任をぜんぶ背負い込んでしまい、背負いきれないがために鬼になって人を殺し続けたと考えると怖いよなと思う。

「罪悪感をいかに乗り越えるか」は、「自分の弱さ(自分も他の人と同じように傷つく存在であること、または傷ついていること)を認める強さをどうやって手に入れるか」につながる。
伊黒単体で見ると、この点は少し物足りない。
「鬼滅の刃」自体はそういう話ではないし、少年漫画でそれ単体として取り組むべきテーマとも思えないのでいいのだが、猗窩座のエピソードよりはこの二人の関係で描いて欲しかった。


この二人の関係の面白さは、メタで見ることによって初めて意味がわかるところ

自分から見たこの二人の関係の面白さは、「設定を乗り越えて」結ばれたところにある。
ストーリー内だけで見ると、「サブキャラ同士が死ぬ間際に何となく思いが通じあった」というよくある話だが、ストーリー外から見るととんでもない道のり(次元)を乗り越えている。
一見「先走りやすい蜜璃を伊黒がフォローしていた」ように見えて、「憚ることなく側にいるために、蜜璃に相思相愛の事実を忘れさせ、後付け設定の世界から元々設定の世界の蜜璃を見ることで満足していた(諦めていた)伊黒の下に、蜜璃が自力で戻ってきた」というねじれ構造になっている。
「設定越え」については、伊黒は最後まで「生まれ変わらないと好きとは伝えられない」と諦めモードだった。「設定の差=罪悪感の深さ」と考えると、伊黒の絶望も理解できる。
「生まれ変わらないで」蜜璃に気持ちを伝えられたのは、奇跡的なことなのだ。自分が蜜璃によって、「救われた」と認識しているところもいい。

「こういうこともできるのか」という興奮が、いくら話しても話し尽くせないくらい面白い関係なのだ。

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