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【Board Game Design Advent Calendar 2023】『個別』と『全体』の問題

 この記事はBoard Game Design Advent Calendar 2023の9日目の記事として書かれたものです。



 筆者の経験・技量・考察不足から、誤った情報を含んでしまっている可能性があります。誤りや不足している情報、ご意見等がありましたら、筆者のTwitterアカウントにご連絡いただければ幸いです。

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。



前提

  • (狭義の)ゲームデザインに関しての内容。
    アナログゲームを中心として考えるとわかりやすいが、デジタルゲームでも本質は同等である。ただし、後者の方が広範な領域を扱うことが多いため、直接的な影響範囲は小さいと考えられる。

  • 翌週以降に投稿予定であるひとまとまりのシリーズの一つ目だが、単体でも記事として成り立つように努める。(追記:後日投稿した記事は以下)

  • あくまで個人の考えや感想が主体。
    (なので、造語や独自の使い方をしている用語があるかもしれず、その疑いの強いものに関しては『』という書式を使用している)



目的

 ゲームによって生成される『問題』について考え、その種別の軸の一つについて取り上げることで、プレイヤー側・デザイナー側の双方がよりゲームについて考えやすくするようにする。



結論

 『選択・影響・評価』を行うものがゲームである、と定義すると、選択を求める状況があると考えられる。それを『問題』と呼ぶことにする。

 この『問題』を測る尺度の一つとして、『全体』であるか『個別』であるか、という軸がある。これはデジタル的に分類できるものではなく、アナログ的に分布するものである。

 『全体の問題』は、すべてのプレイヤーに共通していると思われる問題である。この度合いが高いほど、再現率が高い問題であると言える。

 『個別の問題』は、各プレイヤーが個別に遭遇すると思われる問題である。この度合いが高いほど、再現率が低い問題であると言える。

 両者にはそれぞれ特徴があり、デザインに求められるものが異なる。

 また、詳細は後の記事に譲るが、ゲームの性質の種別にも繋がる、と筆者は考えている。



定義

 そもそも、ゲームという用語が指すものは広範囲になってしまい、事実上、複数の意味合いで使用されてしまっていると言ってもよい。その中から比較的広範囲で、しかし狭義のゲームを定義するとするならば、そこには『選択・影響・評価』がある、と筆者は答えることにしている。『入力・処理・出力』という言い方をしてもいいかもしれない。

 つまり、プレイヤーからの何らかの入力があり、それをゲーム側で処理し、何らかの出力が生まれる。そして、それは最終的には評価に繋がり、多くの場合には勝敗や、ゲームクリア・オーバーと言った形に収束する。(狭義のゲームにおいては、優劣関係のある出力が発生することを前提とする)

 この時、『選択』は、何も選べれば何でもよい、というわけではない。少なくとも最終的には、状況が理解でき、それぞれの選択肢における影響が理解できていなければならない。

※補足※
 この点に関しては、その影響を理解すること自体をゲーム体験に組み込んでいたり、部分的に明示させないことを利用しているゲームも多いので、完全に公開する必要はもちろんない。ただし、常にまったく公開していない、プレイヤーがまったく理解していない、という状況では、ゲームとして成立しない、と考えている。(『選択』が本質的に『選択』ではなくなるため)

 この『選択』を迫っている状態・状況のことを、『問題』と呼んでいる。

 この『問題』には、いくつかの考え方の軸が存在すると考えているのだが、この記事では『個別』と『全体』という軸を考えてみたいと思う。



考察

概要

 『全体の問題』とは、全プレイヤーに、言い換えれば、全ゲームプレイに表れる『問題』のことである。

 たとえば、「チェス」や「将棋」、あるいは、セットアップにランダム性のないゲーム(たとえば、「カヴェルナ」など)の初手(ランダム性がない場合には、数理的にはその後の手もすべて)がわかりやすい。

 すべてのゲームにおいて、その『問題』は発生する。言い換えれば、すべてのプレイヤーがその『問題』について考えることになる。

 結果として生じるのは何かと言えば、定石である。

 つまり、皆が研究している手でもあるわけであり、最適解の研究が早まりやすく、集合知による『選択』の解析が進む。

 また、少し変わったところで言えば、たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」などのTCGにおける競技的なデッキビルド・チューニングが挙げられる。

 これもまた、カードプールという共通の『問題』が提示され、それに対する『選択』(事前デッキ構築)が必要となり、この『問題』はすべてのプレイヤーに等しく降りかかるものである。

 もちろん、実際には、メタゲームの進行があったり、カードプールの変更などが行われるが、逆に言えば、それらが存在しなくなり、十分な研究が行われれば、それは前述した例と事実的には同等になる。


 『個別の問題』とは、その逆のものである。各ゲーム、各プレイヤーにしか生じないものであり、それぞれがその場で解かなければならない。

 基本的には、ランダム性などで、各ゲーム固有の『問題』が生成されることになる。多くの一般的なゲームにおいて、これら『個別の問題』は存在することになる。

 この度合いが最も高い場合、つまり、完全に再現率がない状態、完全に一度しか表現されない『問題』こそが、究極の『個別の問題』であるが、一般的なゲーム構造であれば、事実的には生成し得ない、と考えてもよい。

 上述の例に従って述べるとするのであれば、たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」をプレイしてる際の特定のターンを思い浮かべればよい。

 自分のターンで手札は潤沢、ただし、マナは限られている。

 この時、何をするのか、たとえば、ドローをするのか、クリーチャーを出すのか、打ち消しを構えるのか、というのは『個別の問題』である。この同じ『問題』(この場合は、その時の手札、盤面などの状況)をネットで検索すれば出る、というものではないだろう。誰かが考え、公表しているようなことはない。これは、自分自身が考える必要のあるものだ。


 ただ、この例からもわかった方も多いと思われるが、基本的には、完全な『個別の問題』というものは存在しない。ゲーム構造によって生まれる定石が存在する(たとえば、クリーチャー対策として除去がある、など)ことは明らかであるし、たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」で言えば、スタンダードで主流なデッキの序盤などであれば、完全に同じ『問題』が他のプレイヤーにも提示されていると考えるのが自然である。それに関して解析・解説している記事なども存在するかもしれない。(たとえば、スタンダードで主流なデッキと当たった時のプレイガイド的なものなど)

 あくまで、『全体』『個別』という軸が存在し、その度合いがどれほどであるか、という考え方をするのが自然であると考えている。(上述のようにこれはそのまま、再現率・登場の頻度、という風に言い換えることが基本的に出来るが、その印象とは異なり、ゲームの性質に強く影響することがあることを印象付ける目的で、『全体』『個別』という名称を使用している)

 では、その度合いが片方に寄った場合、それぞれの問題がどのような振る舞いを見せるかについて、考えていきたいと思う。



全体の問題

 『全体の問題』の強みは、『問題』が共有されている、ということだ。

 たとえば、コツをつかむことによって、ゲームへの習熟を一気に深めることができるようになったり、自身の上達を感じやすくなったり、といったことが考えられる。学習効果が高いとも言える。

 また、他のプレイヤーにも共通していることから、調べることや訊くことが容易であり、他のプレイヤーの結論を流用することができる。

 逆に言えば、これを解くことによる価値が多くの人々に波及する、という点もある。その場合、自身の能力の証明ができたり、自身の発見を認められることがあったり、というような効果が望める。


 弱みもまた、同じことの裏返しだ。

 今更、「チェス」の最善の初手を一から考えよう、というプレイヤーはほとんどいないだろう。多くのプレイヤーに解析されていることは、わざわざ自分で解析しても、それが上回る可能性は低い。

 たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」のスタンダードの強力なデッキは調べれば出てくるわけであって、それを上回るデッキを自らの手で一から組むことはかなり難しい。(あくまで、競技的なデッキビルドの話をしている。また、実際にはローグデッキにはローグデッキ独自の強みがあるが、本記事の本筋とは外れるので、考慮しないものとする)

 これは『問題』が他のプレイヤー(ゲーム)と共有しているから発生する特徴であると言える。端的に言えば、ただ『問題』を解決したいだけだったら、ググった方が早いし、その方がより良いものに辿り着きやすい、ということになる。これがある側面において、プレイヤーの興味を削いだり、ゲームの性質を決定付けることがある。



個別の問題

 『個別の問題』の強みは、『問題』が固有である、ということだ。

 その『問題』は今、このゲーム、そのプレイヤーの前に表れたものであり、二度と生成されることはないかもしれない。

 その答えを調べても、それが直接的にどこかに載っていたり、誰かがすでに考えたものではない。そこが自分で考えなければならない、というモチベーションに繋がることがある。


 もちろん、これは弱みでもある。

 自分で答えなければならない、ということは、他のプレイヤーに助けを求めることはできないかもしれない。他の状況で通用した答えや考え方が、ここでは有効ではないかもしれない。

 上達を感じにくくなったり、また、その『問題』の性質によっては、そのプレイヤーにとって、理解不能であることから、結果として意味のない『問題』になっているかもしれない。『個別の問題』は、その時にしか生成されないので、その(プレイヤーやゲームの)状況で『問題』として成立しないのなら、事実的には成立していない、という欠点がある。



デザイン

 では、これらの軸を考えた時、それぞれの『問題』はどのように生成されるべく、ゲームをデザインすべきだろうか。あるいは、どのような性質を持った『問題』が生成されるようデザインされるべきだろうか?


 ここで、一般的なゲーム構造では、『選択』と『影響』は連続して交互に行われるということを考える。つまり、『選択』がゲームに対し『影響』を及ぼし、次の『問題』が生成され、それに対して『選択』を行い……ということが繰り返され、最終的に『評価』される、という形になることが一般的だ。(もちろん、各『問題』が切り離されていることもままある)

 この時、『評価』が部分的になされたり、そのまま最終的な『評価』の一部がわかることもある。たとえば、「8番出口」では、異変が起こっているのか、起こっていなかったのか、を『選択』することになるが、それが合っていたのか、間違っていたのか、ということはすぐにわかる。つまり、すぐに『選択』に対する『評価』が明らかになっていることになる。

 これは極端な例としても、その『選択』がどの程度正しかったのか、という『評価』がゲーム中に(部分的にでも実質的に)明らかになる構造は散見される(小ゲーム・中間決算など)し、そうでなくとも、事実的に『評価』をプレイヤーが受け取ることがある。


 また、『選択』による『影響』が、どのような性質を持っているのか、というのはゲーム構造や、その選択によって異なる。

 たとえば、「ドミニオン」において、『最初の手番で銀貨を購入した』という『選択』が最終的にどのように『評価』(ここではゲームの勝敗)に繋がったのか、というのはわかりにくい。一方で、ゲーム終了まで待たなくとも、ある『選択』がどの程度のものだったのか、わかることも多いだろう。

 このわかりにくさ・わかりやすさは、基本的にはその『選択』の『影響』がどのように伝えられるのか、などで測ることができる。たとえば、それが早いほどわかりやすく、遅いほどわかりにくい(即時性)し、また、長期的に影響するものほどわかりにくく、短期的にしか影響しないものほどわかりやすい(持続性)などがある。

 ここで関連を考えたいのは、これらの性質と、『全体』と『個別』のそれぞれの相性である。


 『全体の問題』は再現率が高い。この時、これが『評価』のわかりやすい『問題』であればどうだろうか。

 答えは簡単で、すぐに解かれてしまう。

 それは自明となってしまい、『問題』としての意味を持たなくなってしまう。答えはすぐに共有され、ゲームが成立しなくなる可能性も高い。

 一方で、「囲碁」の初手の最適解というのは非常に難しい。この『選択』における『影響』がすぐにはわからない一方で、長く続くからである。このような性質を持つ『問題』が『全体の問題』と相性が良い。


 逆に『個別の問題』は再現率が低いことから、『評価』がある程度わかりやすい方がよい側面がある。

 なぜならば、その『問題』が正しかったかどうか、ということすらわからないままになってしまう可能性が高まるからだ。

 たとえば、「マジック:ザ・ギャザリング」で、お互いが個性的なコントロールデッキで戦った場合を考えてみよう。この時、試合は長引くはずだし、ちょっとした選択が後々まで『影響』を及ぼしていくだろう。この試合が終わった後で、それぞれの『選択』がどの程度正しかったのか(どのような『評価』に結びついたのか)ということは、非常にわかりにくく、ゲームの『問題』を解く(正解に近づける)ことの面白さは感じにくいだろう。

 もちろん、わかりやすい『全体の問題』とは異なり、わかりにくい『個別の問題』は、それ自体が欠点にはならない。実際に、そのわかりにくさが活用されていることも多い(中重量級ボードゲームの拡大再生産など)。ただ、上述したように、『問題』を解く面白さは減少している、と考える。(これは本稿の内容を超えたものになるので詳細は後の記事で取り上げる)


 また、論理的にはこれらの軸に対して、『問題』を割り振ることができ、ゲーム数理的に計算することができる。

 すべてのゲームで再現される『問題』(再現率が1)が『全体』の極北であり、ある1回のゲームでしか再現できない『問題』(再現率が0)がその対極となる『個別』になることになる。

 ただし、実際に重要なのは、たとえば、再現率が0.3だから~というような話ではなく、プレイヤーがどのように感じ、どのようにプレイするかである。ただ、これは後の記事の内容に含めた方がわかりやすいと考えているので、以降の記事で言及する。



まとめ

 『選択』を迫るゲームの状態のことを『問題』と呼んだ場合、その再現性によって、そのゲームを遊ぶプレイヤー全体へ向けた『問題』なのか、その時、そのプレイヤーにだけ個別に向けられた『問題』なのか、という軸がある、と考えることができる。

 その『選択』がどのような『影響』を与えるのか、どのような『評価』に結びつくのか、というデザインは、この軸と関係性があると考える。

 これを意識して、プレイ・デザインすることにより、より好ましいゲームをプレイ・デザインできたり、そのゲームを深く知るきっかけになったりする、といいなぁ……と思って、本記事は記述されている。

 また、この考えを発展していき、(狭義の)パズルとゲームの違い、未解決性(造語)、ゲームの性質におけるプレイヤーの感じ方の違い、などに繋げることができると考えており、今後の記事でそれらに言及する。


 この記事が何らかのきっかけになれば、それに勝る価値はない。

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