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私の作品について/見るなの座敷から

「私が留守にしている間、この屋敷内のどの襖を開けても構いません。けれど、あるひとつの座敷だけは、絶対に開けて見ないでください。」
木こりは、自分がよく見慣れたはずの山で道に迷い、見た事もない豪華なお屋敷で歓待を受けた後、屋敷の主人に前述のように告げられます。しかし、禁忌は好奇心への誘惑・・・ついには禁を破り、その座敷を覗いてしまいます。刹那、もとの山道にいる自分に気づき、呆然と立ち尽くすその頭上を、一羽の鳥が飛び去ります。

 儚くも美しい昔話「見るなの座敷」を、私は事あるごとに思い出します。見慣れたはずの現実が、ふとしたきっかけでずれ、その隙間から別の景色が覗く。それらがいつもと異なる表情で自らに迫ってくるということは、決して空想の話ではなく、現実感のある事です。
 翻ってそれは、自らの心が何段階かの層を持つように、時と場所、巡り合わせによっても変化するということでもあります。そして、見るなの座敷を覗いた昔話の主人公のように、何度も元の場所に戻ります。

 話中に象徴的に登場する襖。見慣れた日本人にとっては、単なる間仕切りも、西洋建築の鍵付きのドアと比較すると、プライバシーを仕切るには余りにも頼りない存在に感じられてきます。
木こりが襖をあけたて(開け閉め)することが繰り返し語られるシーンは、この昔話のひとつのリズムとして機能しています。この動作を、西洋と日本という2つの視点から比較してみます。
前者は、奥に押したり手前に引いたりと、三次元的な動きなのに対し、後者は二次元性を保ったまま隣の空間に干渉せず、独自にスライドします。そしてこれは、それぞれの近代絵画の美学にもそのまま通じるものです。

次回は部屋のしつらえと絵について

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