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おとうさん

年明けから始まった夫の父の在宅看護に、私も参加させてもらっています。

義母は施設や病院ではなく、自宅での看護を選んでくれました。
今はいろいろなサービスがあり、母の負担を少なくするために利用させてもらっています。

私から見ると大姑に当たる、母の母は病院での看護でした。
いろいろな管に繋がれ、苦しがっていた姿を見るのが辛かったと言い、義母は自宅で義父を見る決断をしてくれました。

食事の形態は、噛まずに飲み込めるものになり、量も少なくなっています。
それでも母は、父の食べたいもの、食べられそうなものを作ります。
自分で食べることが難しいので、母がスプーンで口に運びます。

毎食事の後は、薬です。
粉になった薬を、服薬ゼリーに溶いてスプーンで。

夕食後は入れ歯を外し、スポンジで口腔内のお掃除、うがい。全てがベッドの上で、母の介助で行われます。

喉が渇くと、吸飲みやストロー付きの容器に「飲みたいもの」を入れて、父のもとへ運びます。

嫁の私がお手伝いできることは、限られています。
父に直接関わる以外の、母の仕事を減らすこと。

先日嬉しいことがありました。
訪ねてすぐ、父の部屋に顔を見せることなく台所仕事をしていると、食事介助から戻った母から
「○○ちゃん(わたし)は、今日来ないのか?」
と、父の口から出た言葉を伝えてくれました。
「○○ちゃん(私)には、何にもしてやれなかったなぁ」
とも、言っていたそうです。🥲

頭はしっかりしている父ですが、私の事をまるで、娘のように気にかけていてくれたようです。

私の父は、36年前に亡くなりました。
夫と結婚した時、「お父さん」と呼べる相手ができ、嬉しかった事を思い出します。
子供が生まれてからは「おじいちゃん」と呼ぶ事もありましたが。

私の父は自分からこの世に決別しているので、お世話する事もなく、恩返しする事もできません。

もちろんいただいた恩を返せるとは思わないけど、親孝行の真似事を少しでもさせてもらえるなら、できる範囲でお手伝いしたいと思っていました。

母が、自宅看護を選んでくれたおかげで、そのチャンスをつくってもらえました。
施設や病院にお願いしていたら、こんな近くに存在を感じることは、できなかったでしょう。

私の実家でも、曽祖父母は自宅看護でした。当時はそうするしかなかったというのが実態ですが。
今は別な意味から、自宅看護を選択する方も増えていると聞きます。

誰もが向かう道でありながら、見えにくくなっていた道、そこに居させてもらえることが、本当に幸せです。

おとうさん、おかあさん、ありがとうございます🙇‍♀️



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