昔の部活仲間

08.3.16日曜日

「また家の前に着いたら電話するよ」

その時間を聞きたかったのだが、友好関係はそこまでには至ってなかった。
いつでも家を出発できるよう身支度をすませておいてから、だいたい一時間後に電話がきた。

急いで外に出ると、当然のこと見覚えのない車が一台止まっていたが、その運転席の男には見覚えがあった。
車に近づき助手席に乗るべきか、後ろに行くかオーバーに迷うそぶりをすることで、丁寧に促してもらった助手席に乗り込んだ。

2分ほどで車はセブンイレブンで待ち合わせていた1人を拾い、車内の最初の会話が始まると、どうやら車はもう一人を拾う場所に向かっていることを知った。ほどなく次の1人が乗車すると車内は一気に活気付いた。

彼らは以前にも増して仲が良くなっているみたいだったが、私はといえば小、中学校のサッカー部仲間だった彼らとは中学校の卒業以来、全く交流もなかったのだから、たまに笑いながら黙っていれば上出来だった。

相変わらず寂しく暗い幹線道路を進むと、闇に抗う白くぼやけた箇所が目に入った。慣れてきてせっかく入っていけそうな会話というところだったが、もうすぐ車を降りることになるのだと、唇をしっかりと閉じた。

開始予定時間の5分遅れでコートに着くと、他の現地集合のメンバーが着替えているところだった。準備できた者から順にコートに入り、ルールや規則性もないボール回しが繰り広げられるのが常なのだが、いつでもそこに私自身が参加しているのかわからなかった。それでもほとんどの場合、疑心暗鬼に浸る間もなくボールがこちらに飛んできて、彼らに私が見えていることを認識した。それから、ボールと私自身の足の関係よりも彼らの目線や表情に集中し、突然に終了するボール回しの展開を探っていた。それが終わる間際に転がってしまう自分のパスは痛切だった。

試合中、私はダイレクトや2タッチでボールを回すことを意識したが、彼らは自由にドリブルをしたり、安易にボールを奪われたりすることで仲間との絆を確認するようだった。

顔から流れる汗の分だけ参加した意義を感じた。

試合が終わってもすぐには解散しなかった。
彼らはタバコを吸い歓談した。
彼らとはここ二ヶ月でもう三回目のフットサルになるのだが、それでも何を話しているのかわからなかった。しかし、それもそのはず我々はレアルマドリードにフランス、オランダ、そして私はアウェイのアルゼンチン代表のユニホームを着ており、会話が成立する方がおかしかった。意味のない携帯電話を意味があるかのようにずっといじっていた私の左手はマラドーナの神の手だった。

帰りの車内での彼らは万物の法則のように、抗うことなく当たり前に「スノーボード」についての計画を淡々と話していた。彼らと一緒にいれば四季の訪れをいち早く感じることができた。

また彼らは私を誘い、まだまだ冷え込む夜に暖房をきかせた車内で花見の計画でも聞かせてくれるのだろうか。

全くいい奴らだ。


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