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児童文学 1


ヨシオは 今日も どこへ 行く でもなく いいえ 「今日」 とか 「一日」 という 考えが あるのかも わかりませんが ウロウロ ウロウロ と じめんを 歩いたり あなの 中に 入ったり 出たり していました。
だけれど それは ヨシオの よい 動き でした。

ヨシオを いつも 空から 見て いる 太陽の タケシ からすれば

「彼は いま やれることを やっている。 コースを 切っている。」

と ほめる ことでしょう。

ヨシオの 目の前を カケルが 歩いて いました。

いいえ ヨシオは 目の前の 黒い 動く ものを 見て 「カケル」 だと思う ことも もしか すると 自分と おなじ いきもの という こと ですら わかって いない かもしれません。

もちろん 先生は アリは アリのことを アリだと わかっている などと 言うかも しれませんが こと ヨシオは そうでは ないのです。 バカ なのです。

カケル の後を ついて 歩く ヨシオの 後ろを シュンスケ アヤカ ユウダイ が つぎつぎと ついてきました。
三ひきは ヨシオと おなじ ねんれい です。 シュンスケ は はやうまれ です。 そんな ともだちが 三ひきも そろった のにも かかわらず ヨシオは 決して 後ろを ふりかえったり することは ありませんでした。いいえ それは まじめに しごとを してると 誰かに わかって もらおう といった かんがえが あっての ことでは ありません。 そういう いきもの なのです。

ヨシオたちは 長い 時間 まっすぐ 歩き 続けました。
人間の こども 「タカヒロ」は おばあさんに もらった お金で おかしを 買いに いく ところでした。

タカヒロの ふらふらと 歩く コースは ヨシオたちに 近づいていました。
タカヒロの くつの そこが 空を おおい ヨシオの まわりが きゅうに くらく なりました。

それでも ヨシオは 空を みませんでした。
先生は 「アリの からだは 上を 見ることが できない」と 言う かも しれませんが いいえ ヨシオの それは 「天気 なんて 気にしない」 という 男らしさの アピールに すぎないのです。そういう いきもの なのです。

タカヒロの 足は すっかり じめんに ついて しまいました。
ヨシオたちの 体は とてつもない ちからで つぶされて しまいました。
いたみや このよに みれんは あった のでしょうか。
そうまとうの ように 思い出が 頭の中を かけ めぐった のでしょうか。
そこは 先生に ぜひとも 聞きたい ところです。

かなしい ことに つぶされて しまった ヨシオたちを きにせず ふみながら ケンタと カナエが 歩いて いきました。
何が おきても かんけいない かなしんで なんか いられない 前に すすむ だけだ。 とでも いわんばかり でした。 
太陽の タケシも いつもと かわらずに 空を オレンジ色に そめて とおくの うみ に しずんで いきました。

「かわりなら、いくらでもいる」

タケシは まっ赤な 色で 言いました。
いいえ タケシの 言った ことを 聞き とれる いきものは いませんでした。


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