2022/01/18(火)

何かを評価するときに、ほぼ全てのそれに対して何か指標のようなものが使われると思う。でも、その指標が見当たらない場合に、あるものを評価しなければならなくなったとき、僕らはどうするのだろう。

今日は一日家での活動という形になってしまった。英語で書かれた記事を少し読んでいたら、

「自己肯定感?そんな質問がバカげたものになる社会を僕は待っているんだが。でも、例えば、働きすぎて体調を崩してしまったとする。そして医者にかかり、胃潰瘍だ腫瘍だなんだと言われる。その時、”俺はここまで働いたんだ。よくやったなぁ。”と思うことが、大切なんだ。いいか、後悔じゃない。それは達成なんだよ。」

みたいなことが書かれているのを見つけた。

別に胃潰瘍や腫瘍が評価基準ではないけれど、ただ、視点決定と事象の切り取りがとてもおもしろく思った。

何かを見る時、それは見るということだけではなく、探すということでもあるのだ。

そして大切なのは、それを他人や外に向けて行うこと以前に、まず自分に適応させてあげることだと思う。

家にいて主夫として生活していると、どうしても気持ちのコントロールが難しいことがある。(まだ慣れていないというのもあるし、色々と甘えていることもあるからなんだろうけど。いいから働きなさい。)

それでも、どっしり(図太く)構えるくらいの、それを許せるくらいの”いいところ探し”を自分にも向けてあげたいなぁと思った。

今日もよく生きた、僕。

・・・

今日も夜が来ました。

Good night.

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