domingo, 20 de agosto de 2023,
「週末は、坦々麺かソーキそばを作ろうと思うんだ。でも、」
「でも?」
「どっちを作ろうか、全然決められない」
「そんなの簡単よ」
彼女の家のソファはアフリカゾウくらい大きくて、僕らは互いに反対側に足を投げ、頭をくっつけるようにして横になっていた。
「どっちも作ればいいのよ」
「だけど、そんなこと」
「いいの。どっちかを選ぶなんて、まずその時点でスタートを間違えていると思わない?二者択一を放棄するの。どちらをも選ばず、でもそこに居続けるの」
wow、二項対立からの脱構築だ、と思った。
古くなった構造主義と西ヨーロッパの香りがする。
本質はきっと本に書かれていない。彼女は本を読まないから。
「それは素晴らしいアイディアだね」
この週末は国政選挙で、人々は各々決められた投票場へ向かっていく。国の行く末が決まる午後、僕らはそれをマンションのベランダから見下ろしていた。
金曜日からの三日間、酒類は販売・提供が禁止されていた。そのおかげで、街がいつもよりもクリーンに見える。交通規制で車も少なかった。
肝臓と肺を洗車して、ワックスでピカピカに磨き上げてもらった気分だ。
バスの運転手が主人公の映画を観た。
自分が生きている日常では大きなニュースや事件なんか起こらない。
いつだって、それらは自分とは遠く離れたところで誰かを巻き込み、悲しませる。
僕らの方からその渦に飛び込むことはできるだろうか。
後戻りができないところまで、無責任に飛び込んでみたい。誰かを傷つけたまま、自分だけ知らんぷりをしてシャワーを浴びる。さぞかし爽やかだろう。
そして、明日の犠牲者が自分だとは知らないままに。
社会にムーブメントを起こすことと、身勝手な愉快犯の違いはどこにあるのだろう。
あるいは、それも二項対立からの脱構築なのか。
バスは毎日同じルートを走行する。秋晴れの爽やかな朝と、寂れた公園に差す西陽が、どうしようもなく抜け出せない循環をスクリーンごと強固に支えていた。
僕は坦々麺とソーキそばの両方を作った。彼女の言った通り、どちらかを選ぶことも、また捨てることもしなかった。
坦々麺には胡麻ペーストをたっぷり入れ、ソーキは2回も圧力鍋で煮込んだ。
彼女はどちらから食べてくれるだろうか。
アフリカゾウのソファに横たわって、寝息を立てていた彼女。
二項対立から抜け出そうと手を引きながら。
僕はバス揺られ、寂れた街を回り続ける。
繰り返す景色から何も見つけられないまま。
国政選挙に関与できない僕らは、目の前で起きている渦を上から見下ろしていた。
鍋の中を見つめる。
日曜日は午後の真ん中を過ぎていく。
明日の犠牲者が自分たちだとは知らないままに。
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