「全てあって大丈夫!」りえさんの言葉からの氣ずき。

りえさんからの
「全てあって大丈夫!」

この言葉でした
これが、響いた!

どこか、心から湧き上がってくる気持ちに
そんなの嫌だ、そんな考え持ちたくない、
と思い始めると
たちまち、いっぱいいっぱいになる
ああじゃない。こうじゃない。
と対立する意見の声がうるさい。

そんなことない。
わたしはそんな事考えるような人じゃない
消えろ消えろと
心から湧きあがってくる気持ちも嫌ってた
こんな風に思わせるあついがメンドクサイからだ
とも時に思う

どこか、そことは距離が取れない
むしろ、そう思う事で、

こんなんじゃ駄目だ
(どうにかしろ)

もっと頑張れ
(あいつに負けんな)

なんか安心してきた
(褒められたり納得したり)
安心した

のサイクルを維持してた

そこに価値があると思っていた
そうやって頑張ってきた
(わざわざ、自分はまだまだなんだと大変な状況にしてストレスかけて
他者比較をしてモヤモヤしてる様に見せて、裏では、そのストレスをエネルギーにして、したい事頑張ろうとしている非効率エネルギー効率じゃんね)

実際これで動いてきた。だから過去データが取れてる分、有効かと思ってたけど、これよりいい案はある。モヤモヤイライラを使って力にするんじゃなくて、ゆるやかにウキウキと興味の力がエネルギーになる在り方

そして、この
「全てあって大丈夫!」は、

そんなどんな心も嫌い必要は無い
存在させてればいい
ただ、そこにその考えや体感を使って提案があるだけ

この心の提案を実行するかしないかは、
わたしはどう在りたい?の質問で。
自身のクリエイションに見合ってるか無いか。判断で
ただ決めればいい

だから、否定する事も肯定する事もいらない
そこにある提案をわたしがどうするか、
落ち着いて決めればいい

明日の呼吸法での
心の「苦しい」が出て時に実践してみようと思います('ω')ノ

んじゃ!


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