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保育園年長から大学進学までの13年間の子育て奮闘記③

今現在、シングルファザーとして育てた『息子とのこれまで』について、全7回に渡ってお伝えしています。

今回は、ひとり親になったばかりのころのこと。息子が小学校に就学するにあたっての逸話です。誰かのお役に立てたら幸いです。また、息子にも何か届くものがあれば嬉しいです。

入学説明会で不安になる

息子はこれまで通っていた保育園とは異なる校区の小学校に通うことになりました。それは、保育園時代の友達が誰一人いなくなるということを意味します。これは、私の一存で決めたことです。傍からみると、身勝手な行動に捉える方も居るかもしれません。しかし、最終的には子どものことを一番に考えてとった行動です。

離婚当初、最も困っていたことのひとつは『子供のことを相談する人がいないこと』でした。当時は、男性の子育て進出が今より全く進んでいませんでした。どこもかしこも、母親が子育ての中心者であることが一般的な時代で、どこに行っても父子家庭は目立ちます。

それもあって、校区内(保育園から繰り上がりの区域)の小学校入学説明会に行ったときはかなり焦りました。知り合いが誰一人としていなかったからです。知り合いがいないどころか父親の参加は私だけす。

息子がここへ通うことになった場合『相談出来る人がおらず、しっかりと子育てが出来ないかもしれない』と感じました。将来的に自分が育児で躓いてしまうことが想定できてしまったのです。

時代も時代なので、知らないお母さんに声を掛けるにも相当の勇気がいることです。自分が孤独になることで、息子のことまで孤独にしてしまう可能性はかなり高いと考えました。

行政に相談をする

すぐに、そのことを相談するために行政に足を運びました。『校区外となる、隣の区域の小学校に通わせてはもらえないか』と、お願いをしました。

隣の区域の小学校なら気心が知れた知り合いも何人かいるし、困ったことがあれば悩みの相談もしやすいように思いました。また、そちらの小学校の方が自宅から近かったです。さらには、その小学校は私の出身校でもあるため、なんとなく安心感がありました。自分が数十年前にお世話になった先生方が役職を変えて在籍していて、助けを求めやすい環境にも見えました。当時、育児と事業の立て直しに奮闘ていた私です。その日その日を、何とかやり過ごしていた私にとって、校区外の小学校が育児を少しでも救ってくれるように思えました。

行政に相談を繰り返した結果、希望する校区外の小学校への入学を無事に受け入れていただくことができました。

息子が小学校へ行き渋るように

とはいえ、子育てというのは次々に問題が起こります。小学校に入学して間もなくの息子が『学校に行きたくない』と行き渋りをするようになりました。

原因には、様々なことが思い当たりました。私都合で決めた小学校だったために、今まで仲の良かった友達がいなくなったこと。親の離婚によって、生活環境が大きく変化したこと。また、『就学』というライフステージの変化もこの頃の子ども達にとっては大きなストレスです。当時の息子にとっては、短期間に次々と強いストレスが降り注いでいました。行き渋ってしまうのは、当然のことだったのかもしれません。

育児と仕事の狭間で

学校へ行き渋る息子を見て、私は全て自分のせいだと感じていました。いつも以上に『子どもに向き合わう必要がある』と、重々承知していました。ただ、そうした方が良いのはわかっているけど出来なかったです。事業が傾き大きな借金が目の前に立ちはだかる中で、するべき仕事がどんどん増えていました。事業立て直しの歩みを止めたら、即座に生活が立ち行かなくなります。一方で、育児との課題から目を背けるわけにもいきませんでした。

気持ちのせめぎ合うなかで、私自身にも大きすぎるフラストレーションが積み重なっていました。

それもあってか、学校に行き渋る息子を一度だけ強く叱ったことがあります。言った途端に大きな後悔となりました。それきり、息子に感情を振りかざしたことはありません。しかし、その一回が今でも強く心に刻まれています。本当に申し訳なかったと感じています。

父子家庭での育児は、課題と問題、葛藤の連続でした。それでも『子どもを引き取らなければ…』とは、微塵にも考えたことはありません。むしろ、子どもが私の生きる原動力でした。

だから、小学校選びにしても長期的な視点で考えました。自分にとっての『子育てしやすい環境』をとることで息子と正しく向き合えると思っていました。その選択はあながち間違っておらず、息子が小学校に通う6年のあいだ、周囲に頼りながらしっかりと子育てを出来たと感じています。

次の記事では、息子が小学校時代のあれこれをお伝えします。

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