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現役最年長Fリーガー金山友紀選手と歩んだ20年間の島根県のフットサル④

島根県サッカー協会に携わるようになり、20年目に突入しました。

ボランティアとしての関りでしたが、出会いや別れ、多くの思い出と学びを経験させていただきました。島根県サッカー協会を通じた、これまでの記録と思い出を、ここnoteに全8回に渡って綴ります。

今回は4回目。今回はフットサル日本代表の金山友紀選手と私の出会いの話し。彼なしには、今の島根県と特に浜田市のフットサル普及はなかったとも言えるのではないでしょうか。

フットサル日本代表、金山友紀選手との出会い

島根県の浜田市・江津市・大田市を統括する浜田支部フットサル委員会の委員長として、どのように、プロジェクトチームを運営していこうか考えていた矢先。

『フットサル日本代表の選手の中に、浜田市出身の金山友紀選手がいる』と教えてもらいました。とはいえ、当時すでに首都圏に在住し活躍する金山選手に対し、どのように関わっていけばいいのか分からずにいて、まずは手紙を書きました。挨拶に加え唐突ではありましたが『浜田市のフットサルの普及に力を貸してほしいです』と、気持ちも伝えました。

半ば強引のようにも思えた手紙でしたし、フットサル日本代表選手として忙しくする中で返事が返ってくる保証はどこにもありませんでした。しかし、金山友紀選手は温かに対応してくれました。それがとても印象的でしたし、私にとっては今後を大きく変えていくキッカケにもつながりました。

出会いによって開かれた、さまざまな活動

金山友紀選手と一番最初に会う約束をしたのは、浜田市にある『ゆうひパーク』。市民にとってはなじみの深い場所で、東西に長い島根県西部、石見地方と呼ばれるこのエリアで一番の夕日を一望することができる有数の道の駅です。

まず、ここで待ち合わせをし挨拶を交わしました。そして、自分の中にある『浜田市でフットサルを盛り上げたい気持ち』を伝えました。金山友紀選手は、その場で私の気持ちを汲み取って共感・協力してくれる意向を示してくれました。

その後、互いのスケジュールを調整し、まずは小学生向けのフットサル教室を開催しました。初回だったのにもかかわらず、大勢の子どもたちが集まってくれましたし、楽しんでくれているのが目に見て取れました。これを皮切りに、私は金山友紀選手の力を借りながら島根県及び浜田市のフットサル普及に力を注ぐようになりました。

同時に、私は前向きで熱心な金山友紀選手のファンになり、自然と彼の継続的な応援をするようになりました。そんな彼が地元浜田市でのフットサルの普及を応援してくれることがとても喜ばしかったです。

これが私と金山友紀選手の出会いとスタートです。

次回は、私自身のフットサル委員会の活動について。思い出のエピソードをいくつかお伝えします。

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