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おもいで

2日酔いのまま引越し作業を終えて、東京を出ました。4年間過ごした家を見て、意外にも何か感傷に浸ることもなく、ささっと車に乗って実家に帰りました。

4年間、いろんなことがあったなあと思います。

大学1年生、入学して間もなく、IT系のスタートアップで1年ほど働かせてもらって、様々な経験をさせてもらいました。ありがとうございました。


そして、1年生の夏に差し掛かる頃、いとこが30歳で亡くなりました。小さい頃からずっと遊んでもらってた人だったのでショックはかなり大きく、そこから半年ほど精神的におかしくなっちゃいました。いま思うといろんな人に迷惑や心配をかけてしまってて、ほんと申し訳なかったです。

そして、その年の冬には大失恋。「ご飯が喉を通らない」っていうアレを人生で初めて経験し、母親にガチで心配されたりもしました。


大学2年は、「遊んだろ!」と決意し、好きなバンドのライブを見るために日本のいろんなところへ行きました。名古屋、広島、香川、岡山などなど。Dragon Ashのライブを名古屋で初めて見てから、精神的に立ち直ってきたのもこの時期でした。ヒッチハイクで東京→福島に行ったのも2年生の時だったかな。


そして、10月には初めての海外旅行でニューヨークへ。なけなしの金を叩いて見に行ったブルーノートは一生忘れない思い出
になったし、音楽をより一層好きになりました。


他にはヤンキースタジアムでサイヤング投手を見たり、でっけえステーキを食べたり、地下鉄ではハッパで狂った黒人女性にビビりまくったりして、なんかもう、全部楽しかった。


12月からは「浅草おと」という和食屋でバイトさせてもらうことになった。往復2時間かけて週3〜4回通うことになったけど、お店の人たち、そこに集まる人たちのおかげで大学生活がさらにいい方向に向かったと思ってます。

おとの人たちは、優しいです。

自分のようなガキんちょ相手にも、2年間丁寧な態度で接してくださって、自分の中にいい緊張感が生まれてました。

オーナー陣はもちろんですが、特に一緒に過ごした時間が長かった店長、副店長、スタッフさんの3名にお礼を言いたいす。ミスしてテンパってばかりだった最初の頃は、すべて「大丈夫!全然余裕!」とカバーしてくれて助かりました。普通に考えたら、クビにされてもおかしくなかったです(笑)

いま思うと、全然大丈夫じゃないはずのことばっかりだったんですけど、あの時声をかけてくださったおかげで2年間続けることができたと思います

それと、死ぬほどたくさんの音楽も教えてもらいました。70年代〜90年代の音楽を普段の営業中や、イベントを通してたくさん知れたおかげで毎日機嫌よく過ごすことができたと思います。毎日が何倍にも楽しくなりました。

オーナー陣、店長たち、そしておとに関係している人たちには、たっくさん迷惑をかけたり、生意気なことを言ったり、失礼なこともたくさんしてしまいましたが、その分愛ある注意をたくさんしてもらって、ちょっとはマシになれたのかなと思ってます。これからもダメなところは引き続き直して行こうと思います。


あと印象的だったのが、おとといあったDJイベント。

過去最高の盛り上がりだったと思うんですが、今まであまりお話ししたことがなかった人たちからも「最後なんだねー!今までありがとう!」と声をかけて頂き、その時に自分の知らない間に周りに応援してくれる人が増えていたことに気付いて、なんだか「続けてて良かったなー」と嬉しくなりました。

イベントの最中、店長と喫煙所で2人になって、今までありがとうございましたと伝えたら「別に終わりじゃねえからなあ。おまえはずっとオトメンだからさ〜」とボソッと言われて、ちょっと泣きそうになっちゃいました。

おとに出会えて、本当に良かったです。


他にも、就活真っ只中の時にサウス・バイ・サウス・ウェストというイベントに参加するためにテキサスへ行ったことや、3年生の春頃から友達10人くらいと曲を作り発表するようになったことも大きいです。

理由があるやつもないやつも自然と集まって少しずつグループの人数は増えていき、今月2月2日にやった高円寺での初ライブは大成功。

ちょっと異常なくらい楽しい夜でした。

自分は就職なので、一旦グループの活動からは離れますが、修行して力をつけてまた戻りたいと思ってます。とりあえずそれまでは、何があっても続けてくれい。



まだ書きたいことの半分も書けてないですけど、疲れたのでこの辺にしておきます。また、月に何回か東京に行くと思うのでその時は酒場へ連れてってください。

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