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「東へ西へ」

たよりの自分は睡眠不足で だから
ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて東へ西へ

Yours truly, the one who should be strong, is sleep deprived,
so everyone hang in there, hang in everybody
The moon flows out to the east, then to the west.

井上陽水「東へ西へ」
英訳は、ロバート キャンベル (2019)『井上陽水英訳詩集』講談社, p.196より


『井上陽水トリビュート』

生ビールが美味しい季節となりました。みなさま、元気でお過ごしでしょうか。25歳ゲイ、さいとうです。

(おそらく)最後にまともに飲んだ酒。絵面の治安がすこぶる悪い。

最近、Apple Musicで『井上陽水トリビュート』を聴くのにちょっとハマっています。井上陽水の音楽活動50周年を記念して、2019年に発表されたトリビュート・アルバムです。

参加アーティストは宇多田ヒカル、福山雅治、槇原敬之、椎名林檎、King Gnu など、現代日本を代表するアーティスト勢です。どの楽曲を聞いても聴き応えがあり、そして面白い。

十数曲あるカバー曲の中でも、ひときわ自分の心を捉えて離さなかったのが、iri による「東へ西へ」。どうやら Apple Music のリンクが埋め込めるようだったので、こちらからぜひ聴いてみてください。

2番の歌詞にそうあるからか、この曲を聴くと現代的な都市を走り抜ける電車を連想します。使われている音も、都会のターミナル駅のプラットフォームなんかで聴こえてきそう。

電車は今日もスシヅメ のびる線路が拍車をかける
満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う

井上陽水「東へ西へ」

しかし、井上陽水による原曲を聴くと、また少し違った印象を受けるのではないでしょうか。

カバー版がターミナル駅のプラットフォームに進入する電車だとすれば、原曲は下町を走る列車なんかを思わせる。よかったら、ぜひ聴き比べてみてください。

勿論、受ける印象が違う理由として、作られた時代が違うからということもある。原曲が発表されたのは1972年、iri によるカバー曲の発表が2019年であるから、50年近い差がある。

ただ、不思議なのは、両者がそれぞれ全く違った印象を与えるのに、曲から提示されるテーマはそのどちらにも違和感なく馴染んでいるように感じるというところです。

お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ
身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ

井上陽水「東へ西へ」

先ほど引用した歌詞は、上のように続きます。「電車」「スシヅメ」「満員」「床にたおれた」「呼吸も止められ」「身動き出来ずに」……。どこか人間疎外を思わせる歌詞が並んでいく。電車は近(現)代の象徴でもある一方、そこから弾き出された人間性をも連想させてきます。そういえば、漱石は『草枕』で以下のようなことを書いていました:

いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸滊の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。

夏目漱石『草枕』

時代背景がこれだけ違う原曲とカバー曲の間でも、違和感なく両者に共通するテーマを提示できるというところが、この曲の名曲である所以であるように思えます。

※ なお、ほんの一瞬だけ(それだけ社会が変われてないからじゃないの)って思ったけど、元も子もないので考えるのをやめたことを申し添えます。

そんなことを考えながら、都会とは遠く隔絶した北海道の小さな街で、今夜もこの曲を聴いている次第です。

余談:『井上陽水英訳詩集』について

冒頭に引用した「東へ西へ」の歌詞を、再度提示します。

たよりの自分は睡眠不足で だから
ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて東へ西へ

Yours truly, the one who should be strong, is sleep deprived,
so everyone hang in there, hang in everybody
The moon flows out to the east, then to the west.

井上陽水「東へ西へ」
英訳は、ロバート キャンベル (2019)『井上陽水英訳詩集』講談社, p.196より

この訳によると、「たよりの自分は睡眠不足で」の一節は以下のようになっています。

Yours truly, the one who should be strong, is sleep deprived,

ロバート・キャンベル (2019)  『井上陽水英訳詩集』講談社, p. 196.

Yours truly は、日本語で言えば手紙の末尾に置く「敬具」に相当するものです(以下の引用中の"1"の用法)。それに加え、このフレーズにはもう一つの使い方があって、戯けて「私」を指し示すことがあるのです("2"の用法)。

yours truly​
1. Yours Truly (North American English, formal) used at the end of a formal letter before you sign your name
​2. (informal, often humorous) I/me:
- Steve came first, Robin second, and yours truly came last.

The Oxford Advanced Learner's Dictionary, s. v. yours truly

なぜこういった訳が可能なのか。それはこの一節が「掛詞」の解釈を許すからなのでしょう。つまり日本語歌詞の方で、「たよりの自分も」とは「頼みになるはずの自分」という解釈の他に「手紙に書かれている自分」の2通りの解釈ができる。ここでいう「たより」には2つの意味があると読めるのです。そのことを、"Yours truly" という表現で写しているのではないでしょうか。

全部てんこ盛り(+α)にしてみたらおよそ次のようになるでしょうか:

「(母親からの)便りには、自分の健康を気遣う文言が並んでいるが、実際力強く社会を渡ってゆくべき、頼りの自分自身は睡眠不足で」

英語というフィルターを通した翻訳を見て(こんな解釈もできるのか)と気付かされたという話でした。


ロバート キャンベル先生については、朝のテレビ番組に出てくる人というイメージがあるかもしれません。

2023年現在、早稲田大学特命教授であり、専門は近世・近代日本文学とのこと。ちなみに、彼は2018年に同性のパートナーとともに暮らしていることをブログで公表しています。そんなところにも、一ゲイとして勝手ながら親近感を覚えている次第です。

キャンベルさんは 「キャンベルの四の五のYOUチャンネル」というYouTube チャンネルもされているのですが、最近は更新がないので少し寂しく思っています。また更新されるのかな。


さて、夏の短夜に『井上陽水トリビュート』、いかがでしょうか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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