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第11話 海外射撃(ラスベガス編)| Saito Daichi

 連隊検閲と災害派遣も経験し、残すはベガスだけとなっていました。

 駐屯地祭などもあり、お客さんで自販機を探していた子が居たので誘導したりしました。

 創立記念行事では列中に立っている隊員だったので、特に珍しい動きはありません。

 ベガスにはGW中に行く予定でした。

 ただ、熊本地震の影響で災害派遣に行くかも知れないという雰囲気になり、JTBに連絡してキャンセルしていました。

 キャンセルした場合、預けた金額は戻ってきません。

 グアムと違い、その金額は数十万でした。

 気落ちしながら来店し、その旨を伝えたところ、「今回は特別に大丈夫です」と言ってくれました。

 実は今回の災害の件でキャンセルが多発していました。

 JTBの上の方で、自衛官などの災害に従事する方には払った金額をそのまま返そう、という話になったようです。

 10年以上前の当時は、「他のお客様もいるので、内密にお願いします」と言われてました。

 JTBさん、ありがとうございます。

 代わりに年末年始を利用し、ベガス行きのチケットを確保することができました。

 今回は2席確保しました。

 同じ中隊の先輩が「一緒に行っても良い?」と言ってくれたのです。

 英語が堪能で、メキシコなどでも射撃経験があるので心強い人でした。

 唯一の懸念は、GWの時と違い、利用する航空会社がデルタ航空になっていることでした。

 デルタ航空の場合、搭乗時間の表示が他社と違って「搭乗可能時間」ではなく、「それまでに乗ってくれ」という意味の場合がありました。

 中隊には渡航理由を「観光」と言い張りました。

 新任の中隊長が来て、「撃ちに行くのか?」と訊ねられました。

 ですが、「観光です」という理由で通しました。

 恐らく、私達が観光だけの目的ではないことは周知の事実でした。

 ただ前回の件も含め、波風を立てないことに決めていました。

 まずは日本からロサンゼルスまで。

 確か17時間以上のフライトをしたと思います。

「ロサンゼルス空港からは出ない方が良いと思います」と、JTBの方にも注意されました。

 今はそうでもないと思いますが、アメリカの警察系特殊部隊SWATが設立された理由の一つに、ロサンゼルスの治安が悪すぎたというものがあります。

 どの道、乗り継ぎは初めてなので、先輩の誘導により何とかラスベガスのマッカラン国際空港行きに搭乗することができました。

 途中で便の変更があったらしく(最初は分からなかった)、その先輩が居なければ、私は今もロサンゼルスで立ち往生していたかも知れません。

 機内では座りっぱなしなので、脚がかなり冷えました。

 2人で交代しながら、たまに通路を歩いて、血行を改善しました。

 マッカラン国際空港に到着後、バスで「モンテカルロホテル(現:パークMGM)」に宿泊します。

 仲井氏の送迎地域に含まれていたのと、日本人に人気だったのが、選んだ理由でした。

 仲井氏のデザートシューティングツアー(現在はハワイのマークワンを経営)は、『ゴルゴ13』のスタッフも劇中のリアリティーを高めるために通っていたようです。

 砂漠に囲まれているので乾燥が強く、喉をやられないように水分補給やリップ、ハンドクリーム、サングラス、帽子などを身に着けます。

 事前情報として仕入れていました。

 ただ寒さ対策が足りなかったので、厚手のパーカーを仲井氏からお借りしました。

 翌日から約1kmに及ぶロングレンジフィールドで射撃し始めました。

 風が強い日はアサルトカービンだと200m先も真っ直ぐ飛びませんでした。

 最後は50mくらいの射場で、主に拳銃を撃ちます。

 ガンストアという室内射撃場にも行き、フルオートを試しました。

 射撃以外では、ベガスのメインストリートであるストリップ通りを、先輩の解説を受けながら練り歩きました。

 食事はパンダエキスプレスというアジア料理のチェーン店があり、そこで米を食べることができます。

 あとはアメリカンバーである「TGIフライデーズ」がありました。

 私はフライデーズにあるステーキが好きで、日本、グアム、ベガスと通っていました。

 しかし、ステーキは日本のものが一番美味しく、アメリカは基本的に冷めてべちゃっとしていました。

 最後にデザートとしてチーズケーキを注文する際、ベガスでは警戒してサイズの一番小さいものを頼みました。

 面白かったのは、サイズがラージでもスモールでも結局、ホールサイズであることは変わらなかったということです。

 マクドナルドに行って、ハンバーガーとシェイクを頼む際、全てをなるべく小さいサイズで頼みました。

 ハンバーガーは小さかったです。

 シェイクは大きい上に頼んでもいない生クリームがトッピングされていました。

 国民の半分が肥満である理由にも頷けました。

 ホテルの部屋では、銃声のようなものが外から聞こえました。

 定期的に事件が起こるベガスでは何があってもおかしくはありません。

 窓にはカーテンがあり、外の様子が気になりました。

 が、開けて確かめることはしませんでした。

 仲井氏は車内で「ベガスは遠いですよね? ハワイとかの方がまだ良いかな」と言っていました。

 現在はハワイで「マークワン」という射撃屋を営んでいるらしく、機会があれば、また会って話したいと思います。

 帰国便は日付変更線をまたぐため、時計で言えば、29時間くらいのフライトになりました。

 日本とベガスの時差は16時間あり、日本→ベガス間は-16時間、逆は+16時間です。

 帰隊遅延にならないように、それも計算して渡航申請していました。

 機内で年末年始を過ごしたので、結局、1連隊に在籍している間に実家で年を越せたのは、1回くらいでした。

 帰国して半年以上が経過した頃、「ラスベガス・ストリップ銃乱射事件」が発生しました。

 最終的に60名が犠牲になり、自分達が闊歩していた道に大量の銃弾が撃ち込まれました。

 もしその場に居たら、無事でいられたか、上手く逃げられたかは分かりません。

 犯人は「バンプストック」を使用していました。

 ベガスのM4の場合は、「ライトニングリンク」というフルオート化する部品がインストールされていました。

「もちろん、これは申請された物です」と仲井氏は語っていました。

 89式小銃の制限点射機構を抜けば、「3」で「タ」が撃てたりするのと同じ構造です。

 当時、ユーザー側で射撃機構部をいくらでも改造することが可能でした。

 現在は規制されており、海外で観光客が民間でフルオートを撃てる銃はほとんどありません。

 規制に緩いベガスから仲井氏が去った以上、コネがなく、英語の話せない日本人には更に厳しいと思います。

 今はもう体験できない、貴重な経験を私は積みました。

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