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第6話 被災後の進学と就職活動 | Saito Daichi

 震災から数カ月後には、被災前と同じような高校生活に戻りつつありました。

 そして、進路を考えなければいけない時期になっていきました。

 理工系を勧められました。

 自分の夢とは違いますが、また新たな目標ができました。

 成績は途中から一番を維持し、無遅刻無欠席を3年間貫き、進学しました。

 兄弟が私立大だったので、実家から離れ、寮生活もできるので、そういう意味では安上がりです。

 ただ寮の部屋はとんでもなく狭く、3畳のスペースにベッドと机と椅子とクローゼットが備え付けられていました。

 ベッドは乗った瞬間、初日で真っ二つに折れました。

 身長に合っておらず、身体を真っ直ぐにして寝ることはできません。

 クローゼットが邪魔で、身体を横にして蟹歩きしないと、室内を移動できませんでした。

 最初はエアコンがなかったので、共有スペースや友人の部屋の冷房にあたらせてもらいました。

 電子レンジは寮内の共有スペースにあるので、せめて冷蔵庫だけ置こうと思いました。

 リサイクルショップにやけに安いのが置いてあったので、それを買って冷凍チャーハンを入れると腐りました。

 現代では珍しい、冷蔵庫ではなく保冷庫だったのです。

 昭和の冷蔵庫のように、氷が必要でした。

 私の主食は、墨汁の臭いに近い傷んだチャーハンとなりました。

 寮の食堂は病院食のようなラインナップで、いわれのない罪を犯して入れられたかのような錯覚に陥りました。

 学校には自転車で通学しました。

 休日は寮で本や映画、ゲームをしながら過ごしました。

 実験と研究をまとめたレポートも毎週出るか、一気に出るかの違いくらいです。

 とあるレポートを教師に見せた時、「何かやってましたか?」と言われました。

 RS-232に関するレポートでした。

 簡単に言うと、デスクトップPCのディスプレイとPC本体を繋ぐケーブルに使われている規格のことです。

 現在はUSBやLANと言ったポートが標準ですが、昔は9本のピンが付いたジャックを互いに差し、相互通信していました。産業系はいまだに使っています。

 内容は「『シリアル通信』と『パラレル通信』の違いについて」だったと思います。

 現在はシリアル通信(USBなど)が主流であり、パラレル通信(私が小学生くらいの頃にFAXなどに使っていた)のメリットがなくなりつつある、といった結論だったと思います。

 ちなみにRS-232はパラレル通信です。

 いずれにせよ、小説を書いていたことは気恥ずかしさから伏せました。

「そういう仕事が向いているかもしれないですね」と言われました。

 その時、義務教育の時にやった職業分析の結果が「作家」や「ジャーナリスト」だったことを思い出しました。

 作家になる、ならないは別として、そういう方向で生計を立てるのも悪くないかもしれないと、何となく思った瞬間でした。

 実際、企業見学はしました。

 が、行きたい企業は見付かりませんでした。

 色々考えましたが、大企業や学歴といった肩書きだけではやっていけない時代に備えようと考えていました。

 バイト時代から感じていたことです。

 働いている内に「こうすれば効率化できる」と考えてしまい、従業員気質とは言えませんでした。

 何でも良いから、まとまった金を稼いで独立しようと考えました。

 何かないだろうか――

 テレビやネットでも暗いニュースばかりで、同級生も就職先に悩んでいた時代です。

 今思えば、メディアは自衛隊に一斉にスポットを当てていました。

 被災した経験から、人々を救うことを意識した、というのもあるのかもしれません。

 一番大きかったのは、年齢的に政治などを調べて愛国心というものを考える時期だったからだと、今は思います。

 そして、若さという勢いと、好きなものからは自身にとって都合の良い情報しか仕入れないという未熟な時期が相まったのだと思います。

 作品のジャンルによりますが、私の場合は比較的シビアな方に分類されるので、実体験からのインプットは重要です。

 そして、やはり自分の作品は映像でこそ真価を発揮できるのではないかと考えていました。

 そのためには資金も必要。

 しかも、駐屯地内での生活なので衣食住は無料であり、給料の貯金もできます。

 20代で1000万以上貯金できれば、退職後の事業も上手くいきそうだと考えました。

 若年層で貰うお金と、壮年期以後に貰うお金では価値が違います。

 映画関係の仕事を考えていましたが、やりたいのは役者でもスタッフでもない脚本――演出を含めた監督でした。

 しかし、創りたい題材もスケールが大きすぎて実現性が薄かったのです。

 そして映画を創りたいという目標も、自衛隊の中でも一番きつい職種を一兵卒から経験しておけば目標達成への粘り強さに繋がると考えていました。

 退職後に辛いことがあっても、大抵のことは乗り越えられるという自信です。

 自分の中に説得力を持たせるためにも、人生の一幕で軍隊経験というのは良い修行にもなりそうでした。

 退職して振り返ってみると、入隊者の入隊理由というのは非常に複雑で、一括りにすることはできません。

 入隊試験は駐屯地で行い、筆記試験と面接をパスして入隊が決まります。

 何となくこの時から、「毎年新しいことに挑戦し、インプットし続けよう」と考えていました。

 私は学校を卒業し、寮を引き払い、陸上自衛隊に入隊しました。

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