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軽々しく扱われる「お言葉」──かつては法と同格だったのだが(2009年06月16日)

(画像は平成20年6月、秋田県で開催された全国植樹祭でおことばを述べられる陛下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます。https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/photo-200806-1045.html)


 今月(平成21年6月)7日、福井市で全国植樹祭が行われましたが、恒例となっていた陛下のお言葉はありませんでした。ご負担軽減を意図する宮内庁の方針から、とされています。

式典の「おことばはなし」とする方針を公表した宮内庁のHP
〈https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/gokomu-h21-0129.html〉

 しかし官僚たちのご負担軽減策はいかにもちぐはぐです。繰り返しお伝えしてきたように、1月末の具体策の発表以後、ご公務の件数がいっこうに減らないばかりか、歴代天皇がもっとも重視してきた宮中祭祀を、伝統をかえりみずに「簡素化」し、そして今度はさらに、天皇と国民をつなぐ大切な「おことば」を官僚たちは省略してしまいました。

 ご負担軽減とは名ばかりで、むしろ天皇の祭祀、天皇のお言葉を軽々しく扱っている結果であり、これでは祭祀王としての天皇が単なるお飾りとしての「象徴」天皇に成り下がってしまいかねないと私は危惧します。

▽1 お言葉の重み


 古来、天皇の言葉は、社会を律する法と同格で、重い意味を持ちました。日本人の正義の感覚と直結しているからです。

 人は誰しもみずからの存在の小ささを自覚するとき、人智を超えた大きな存在のまえにへりくだり、智恵を求めようと祈ります。まして祈りの霊力によって国を治めるという重責をになわれる天皇は、みずからの穢れ(けがれ)を祓(はら)いに祓って、ひたすら国と民のために切なる祈りをささげてきました。

 私を去って、神々に近づき、神々の意思を求める国家的、国民的神事をなさる存在は、天皇しかいません。神の世界に通じる天皇のお言葉が、「みことのり」「おおみこと」とよばれ、重視されてきたのは当然です。

 昭和天皇も今上陛下も気軽にお声をかけられますが、国民はその重みを感性で理解しています。であればこそ、皇居清掃奉仕に地方から出かけた人たちはご会釈の際のお言葉に感激し、自然災害で被災した国民はお見舞いのお言葉に涙しています。

 たとえば、あの阪神大震災のとき、途方に暮れる被災民たちが陛下のお出ましとその言葉にどれほど勇気づけられたことか。ワシントン・ポストは、陛下のお見舞いを大きく取り上げ、村山首相が震災2日後に被災地を訪れたときに「あざけりと不平に迎えられた」のとは対照的に、「あたたかい気持ちが芽生えた」と書いたほどです。


▽2 俗物侍従長の後継者


 しかしこの外国メディアに遠く及ばないのが宮内官僚なのかもしれません。

 あろうことか、ご負担軽減の美名のもとに、天皇から祭祀を奪い、お言葉を奪ってしまいました。祭祀嫌いのあげくに天皇の祭祀の破壊を敢行した、かの「俗物」入江相政侍従長の忠実なる後継者を演じている、というほかはありません。

 陛下のご公務軽減は急務です。陛下のご負担を本気で削減しようというのなら、また天皇がご臨席になる国家的式典を重く考えるのなら、お言葉の省略というようなことではなく、ご名代として皇太子殿下にお出ましを願い、陛下のお言葉を代読していただくことをこそ検討すべきではないでしょうか。

 地球環境問題の深刻さが語られない日のない現在、陛下みずから国土緑化の先頭に立たれる植樹祭の役割は小さくありませんが、要は中央官庁主体のイベントです。官庁の都合に合わせて、ご高齢で療養中の陛下を利用するようなことはあってはならないと思います。


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