斎藤吉久
「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」

「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」

斎藤吉久

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「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」
(令和3年11月10日、水曜日)
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先月、亡くなったアメリカのコリン・パウエル元国務長官の葬儀が今月5日、首都のワシントン・ナショナル・カテドラル(WNC)で営まれた。

WNCはイギリス国教会を母教会とするアメリカ聖公会の大聖堂で、「全国民のための教会」と位置づけられ、歴代大統領の就任ミサや葬儀が行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサもここで行われた。

今回も、アメリカの宗教伝統に従って、きわめて宗教的に公葬が行われた。そのことはWNCのサイトやFacebook、YouTubeで、誰でも簡単に確認することができる。WNCのサイトには式次第のリーフレットが掲載され、歌われた讃美歌の楽譜までがご丁寧に載っている。〈https://cathedral.org/wp-content/uploads/2021/11/1152021-Colin_Powell_RI.pdf〉〈https://www.facebook.com/WNCathedral〉〈https://www.youtube.com/watch?v=hWMNgIsstYk〉


▽1 アメリカの政教分離の実態

ところが、である。日本の全国紙(電子版)はことごとく、この葬儀ミサについて報道していない。なんと不思議なことか。

通信社は葬儀の事実のみを報じている。共同通信の配信記事では、葬儀が「ワシントン大聖堂」で営まれ、共和、民主両党の歴代大統領や政権幹部がそろって参列し、党派を超えた人望の厚さを印象付けた。オルブライト元国務長官が弔辞を述べたなどと伝えられた。時事通信は、トランプ前大統領の欠席を伝えている。

全国紙には記事自体が見当たらない。朝日新聞や読売新聞はパウエル氏の死去については分厚く報道したものの、葬儀ミサについては報道していない。毎日は共同電を載せ、日経は時事電を掲載した。NHKも記事自体が見当たらない。産経だけは独自記事を載せているが、中身は通信社の記事と大して変わらない。

全国紙が報道しないのは、そこにニュースの価値を認めないからなのか、いやそうではなく、編集上の重大な理由があって素直な報道を避けているからではないか。つまり、特定の立場に立つ編集方針から、都合の悪い事実、すなわち政教分離のご本家であるアメリカ社会の意外な現実を直視できず、クサいものにフタをしているからではないかと疑われる。


▽2 日本の解釈・運用とは雲泥の差

以前、取材したことから類推すると、今回のミサはホワイト・ハウスが主催し、費用は実費を大統領府が負担しているものと思われる。参列した歴代大統領ほか政府要人は公人の資格で参列しているのだろう。これが政教分離の御本家の実態である。公的人物の死に対する、きわめて当たり前の作法である。

ただ、アメリカ合衆国憲法修正第1条は国教の樹立や宗教の自由を妨げる法律の制定を禁止している。とすると、WNCでのミサはこの厳格な政教分離原則に違反しないのだろうか。素朴な疑問に対して、WNCは、「憲法は祈りを禁じているわけではない。禁じられているのは、祈りを強制することだ」と即座に答えたものだ。

政府が公人の葬儀を主催し、公費を投入し、公人が公人の資格で参列したとしても、また宗教施設で、宗教家が主宰する宗教儀式として行われたとしても、「国家と教会の分離」原則には抵触しないというのである。つまり、首相の靖国参拝は「私人の私的行為」だから合憲と理解するような日本の政教分離とは、解釈・運用に雲泥の差がある。

もっといえば、日本が異様なのである。

共同通信は、オルブライト元国務長官が「意見の対立はあったが…」と弔辞で述べたと伝えたが、共和党政権の国務長官の死に対して、公的性格を民主党政権が認め、政治的意見の相違や対立を超えて、慰霊の誠を宗教的に捧げ、しかも法的に是認していることがむしろ重要である。

また、時事通信によると、トランプ前大統領の欠席は、元国務長官についての個人的な評価が理由とされているが、参列が強制されないという点で、むしろ注目される。

しかし、それにゆえにこそ、日本のメディアは葬儀ミサを、ありのままに報道することができないでいるのではないか。なぜなら、いわゆる靖国問題の対応や宮中祭祀の法的位置づけについて、根本的な法的再検討を迫ることになるからである。それは困るとなれば、報道しないことが唯一の賢い選択となる。触らぬ神に祟りなしである。


▽3 「公人か、私人か?」と取材してほしい

たとえば、宮中祭祀は一般には「天皇の私的行為」との憲法解釈で一致していることになっている。であればこそ、祭祀を担当する掌典職は、戦後は天皇の私的使用人の立場となり、関係予算は内廷費が充てられている。

渡邉允元侍従長などは「私的行為」論を、これに懐疑的立場の神社界なども含めて、地方公演などで繰り返し強調しているらしい。また、『皇室法概論』の著書があり、女性天皇容認論者とされる園部逸夫元最高裁判事などは、現役時代に宮中祭祀に参列した経験があるようだが、やはり「私的行為」論に固まっている。

天皇の祭祀が「私的行為」だとすれば、行為をなす天皇は「私人」なのか。古来、「天皇に私なし」とされた大原則を憲法は否定するのか。祭祀に参列した園部判事は「私人」なのか。公人であるからこそ、参列を許されたのではないのか。

朝日新聞は元国務長官の葬儀を報道しなかったが、靖国問題と同様に、「公人か、私人か?」と参列した歴代大統領に直撃取材し、記事にしてほしかった。そうすれば、日本での議論の不毛さがあらためて浮き彫りにされるだろう。法的解釈・運用が誤りなのか、それとも法自体が誤りなのか、である。けれどもそれは叶わぬ夢だろう。

特定の考えに基づいて、相反する事実を報道しないのは、ジャーナリズムの自滅を招く。そのことは編集部自身が誰よりも熟知しているはずだ。だから、記事にしないのだろう。しかしそれこそジャーナリズムの自壊というべきものではないか。

最後に蛇足だが、日本のキリスト教系宗教紙は今回の葬儀ミサをどのように伝えたのだろう。教会の存在をアピールする絶好のチャンスのはずだが、ググってみると、案の定というべきか、記事が見つからない。

靖国問題に熱心に取り組む教会指導者にとっては、ホワイトハウスの主催で行われる大聖堂での公人の葬儀ミサを報道することは、マスメディアと同様に、鬼門なのであろうか。靖国批判がますます偽善に見えてくる。キリストは偽善をこそもっとも戒めたはずだが。


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斎藤吉久
昭和31年、崇峻天皇の后・小手姫が養蚕と機織りを教えたと伝えられる福島県・小手郷に生まれる。弘前大学、学習院大学を卒業後、雑誌編集記者、宗教紙編集長代行などを経て、現在フリー。著書に『天皇の祭りはなぜ簡略化されたか』など。「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦の「没後の門人」といわれる