日本の稲作儀礼にも似た英国のクリスマス・イブ(「神社新報」平成17年1月24日から)
「マンダンガスは病院行きのために車を一台借りてきてゐた。クリスマスには地下鉄が走ってゐないからだ」
ベストセラー「ハリー・ポッター」の一節である。舞台は英国ロンドン。地下鉄が走らないとしても、魔法使ひなら魔法を使へばよささうなものだが、人間の世界にゐるときはそれができず、やむなく車を借りる羽目になったらしい。だが、なぜ地下鉄が走らないのか、説明はない。
じつをいへば、ドーバー海峡の海底トンネルをくぐり、パリ、ブリュッセルを結ぶ「ユーロスター」をはじめ、鉄道やバスなど交通機関のほとんどが、イブから二十七日にかけて運休する。デパートやスーパーは夕刻で閉店。医療機関は休診し、学校はクリスマス前から年末年始の休暇に入る。
英国人にとって、クリスマスは家族そろってご馳走を囲み、一年の思ひ出を語り合ふ特別の日といはれる。家路を急ぎ、エリザベス女王のスピーチに耳を傾け、暮れゆく年を家族で共有する。キリスト降誕祭といふより一年の締めくくりと位置づけられてゐる。
▢ キリスト教以前
十九世紀英国の文筆家チェインバーズの『The Book of Days』(邦訳『イギリス古事民俗誌』)は、キリスト教の祝祭日前夜は厳格には断食と懺悔の時とされてゐるのに、万霊節前夜(ハロウィーン)やクリスマス・イブは本来の目的をはづれて、どんちゃん騒ぎの夜になってゐると指摘してゐる。
それでも、祖先がのべつ幕なしに飲んで騒いだのに比べれば、大人しいものだといふ。昔はといへば、若者は森へ出かけ、ヤドリギを採ってきた。開放された領主の屋敷に小作人や農奴らが押しかけて、無礼講になった。丸太がくべられた炉が燃え上がり、高座にはイノシシの頭。陽気な仮面隊が大声でキャロルを歌った。とてもキリスト教の祝祭とは思へない。
それもそのはず、浮かれ騒ぎの由来はキリスト教以前、さらに古代ローマの支配以前にさかのぼる。習合の産物である。
まづ古代ローマのサトゥルナリア。収穫祭と冬至の祭りを兼ねた農神祭である。「十二月二十五日」はローマの古い暦では冬至の日に当たる。日照時間が最短になり、力を弱めた太陽は、この日を境にふたたび生命力を恢復させていく。太陽神の誕生を祝ふ重要な祭日であり、一年の起点、元日だった。古代ローマでは主人と僕の関係が一時的に逆転して無礼講万々歳だったといふ。
この祭りに、ドルイド僧(古代ケルト人が信仰してゐたドルイド教の祭司)の宗教儀式が混淆する。古代ドルイド教でもっとも神聖視されてゐたヤドリギの採取が冬至の祭りの日に行はれた。さらに古代サクソン族の神話をも吸収し、今日のクリスマスが形成された。
英国人はキリスト教に改宗したあとも、従来の慣習を排除せず、守ってきた。教会も古いしきたりをあへて追放しなかった。民衆が固持する異教の儀式にキリスト教の儀式を接ぎ木して宣教する方が伝道効率がはるかに高いと考へてゐたからだとチェインバーズは解説するが、キリスト教会の関係者は異教との「融合」を認めようとしない。
▢ ケルト人の祭り
古代ブリテン島に住むケルト人は、大晦日の晩に死霊が家々を訪ねてくる、と信じてゐた。その信仰は、同じく十九世紀英国の小説家ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』に見え隠れする。主人公の老人スクルージは孤独な守銭奴。イブの晩、彼の家を訪ねてくるのは、天使でもサンタクロースでもなく、昔の仕事仲間の幽霊たちで、
「いまのうちに悔い改めないと、悲惨なことになる」
と諭すのだった。
書名はキリストの誕生やクリスマスの季節の到来を祝ふ歌の意味だが、英国には、教会で歌はれるだけでなく、子供たちが何人かで家々を訪ね歩き、戸口で歌ひ、もてなしを受けるといふ風習がいまもある。
幽霊や子供たちが訪ねてくるといへば、米国のハロウィーンが思ひ起こされる。カトリックでは十一月一日が諸聖人を祝ふ「万聖節」で、その前夜祭がハロウィーン。これも元来、ケルト人の祭りで、秋の収穫を祝ひ、冬の訪れを前に悪霊を追ひ払ふ意味があった。ケルトの暦では十月末日が一年の終はり。大晦日の晩だから死霊がやって来る。悪霊から身を守るために仮面をかぶり、魔除けの焚き火をたいたのが今日の仮装行列の起源といふ。米国にはアイルランド系移民が持ち込んで盛んになり、「子供たちの大晦日」と呼ばれる。
一年の節目の日に霊が訪れるといふ信仰は、日本と共通する。
京都府相楽郡精華町の祝園神社(宮城利武宮司)や同郡山城町の和伎座天乃夫岐賣神社(通称、涌出宮、中谷勝彦宮司)に伝はる居籠祭は稲作の予祝行事で、かつては神霊を迎へるために氏子を挙げて斎籠もった。祭り期間中は音を忌み、鳴き声を発する牛馬は近隣の縁者に預けられた。門戸を閉ざし、入り口には筵をかけた。掃除をせず、下駄を用ゐることもなかったといふ。外出しないから当然、車馬など交通機関は止まった。
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