深まらない皇位継承論議 ──国連女子差別撤廃委員会騒動をめぐって(2016年3月20日)
皇位継承をめぐる議論が、いつまで経っても深まらないように見える。なぜだろうか?
▽1 突如、盛り込まれた見直し勧告
報道によると、国連女子差別撤廃委員会なる機関が、「皇位は男系の男子が継承する」と定め、女子の継承を認めていない皇室典範について、見直しを求める内容の最終見解を今月7日に発表しようとしていたという。
2月に行われた委員会の審査会合では、皇室典範は議題にもならなかった。ところが、3月上旬に示された見解案で、突如、盛り込まれたらしい。
最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きしたうえで、「とくに懸念を有している」ポイントとして、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」ことを挙げた。
そしてさらに、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と女系継承容認までも勧告していたというのである。
これに対して、日本政府はジュネーブ代表部公使が同委員会副委員長に面会し、「女子差別を目的としていない」「審査で取り上げられていない内容を最終見解に盛り込むのは手続き上、問題がある」などと抗議し、最終的に該当部分は削除されたと伝えられる。
反論しなければ、そのまま掲載されるという切羽詰まった状況だったらしい。
その一両日後、メディアは、外務省関係者への取材で事実関係が判明した、と報道したのだった。
▽2 リークしたのは誰か?
国連の一機関が文明の根幹に関わる、わが国固有の皇位継承問題に口を挟むこと自体異様で、その経緯も怪しげだ。政府の対応は当然だが、所詮、終わった話である。
それがなぜ明るみに出ることになったのだろう。
ニュースになれば、議論はぶり返される。最終見解に盛り込めず唇をかんだ人たちには、逆転打となり得る。逆転を狙ってリークした人物がいるということだろうか?
国連の委員会は、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(1981年発効。85年に日本批准)の履行を監視するため、国連人権委員会が設置する組織らしい。
同委員会委員長は、2008年1月から委員に就任してきた林陽子弁護士で、2015年2月から2年間、委員長の職にあるという。
林氏は、長年、女性問題に取り組み、『女性差別撤廃条約と私たち』などの著作もある。夫婦別姓制度導入にも熱心らしい。
まさか委員長直々の情報提供だろうか?
▽3 さっそく反応した小林よしのり氏
邪推はほどほどにしよう。問題は、男系男子による皇位継承制度と両性の平等に関する議論である。
案の定、さっそく女帝容認論者が反応した。
漫画家の小林よしのり氏は自身のブログで、「女性差別ではない」という安倍首相の主張は「無知ゆえの弁解」と一刀両断にしている。
小林氏の「男系男子限定は女性差別に決まっている。日本の伝統でも何でもない」という批判は単純明快だが、冷静な検討を要する。
小林氏はまず、明治の典憲体制づくりに深く関わった井上毅を引用している。
「井上毅が『男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国において、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは、多弁を費やすを要せざるべし』と主張して、女系論を潰した」というのである。
これは私が理解するのと事実関係が異なる。
明治の憲法制定作業に伴って、「不文の大法」とされた「皇位継承」が明文化されることになったとき、女系容認論も根強かったが、井上は猛反対し、反対意見書「謹具意見」を書いた。
反対意見書には井上の政敵であるはずの嚶鳴社の島田三郎と沼間守一の女帝反対論が引用され、女系継承否認の論拠とされた。
小林氏のいうように「井上が主張」ではなくて、嚶鳴社の論客の主張ということではなかろうか。もし私に間違いがあるなら、「無知」だと切り捨てずに、ご指摘いただきたい。
▽4 女性差別なのか
一般に、女帝問題には大きな誤解があると思う。
歴史を顧みれば、8人10代の女性天皇が存在したことは多くの人は知っている。けれども、すべて独身または寡婦であって、皇配がおられる女性天皇、皇子を子育て中の女性天皇は日本の歴史には存在しない。
女性が皇位を継承できなかったのではなく、夫や乳幼児のいる女性による皇位継承が認められなかったのである。
それは直ちに女性差別というべきなのだろうか?
明治の典範制定過程において、島田三郎は論じている。男女同権の時代に男系に固執するのは時代に反するという議論があるのに対して、島田は、日本の皇統史に存在する女帝と海外の女帝とは異なる。古来、日本の女帝は登極ののち、独身を保たれたが、道理人情にかなう制度ではない。採用すべきではない、と主張したのだが、これは女性差別であろうか?
▽5 戦後憲法が抱える矛盾か
戦後の憲法では、明治の時代とは異なり、皇室典範は1法律という立場になった。そして、憲法の規定は「皇位は皇男子が継承」から「世襲」と変わったが、典範第1条は旧皇室典範と同様、男系男子による皇位継承を定めている。
現行憲法は第24条で両性の本質的平等を定めているが、小林氏が主張するように、「男系男子限定は女性差別に決まっている」とすれば、憲法は最初から大きな矛盾を内部に抱えていることになるだろう。
しかし、むろんそうではない。
小嶋和司東北大学教授(憲法学。故人)が指摘しているように、およそ天皇制や皇位の世襲制は平等原則の例外であって、そもそも平等原則を持ち出すのは合理的ではないからだ。平等原則を第一に追求するのなら、憲法第一章は破棄されなければならないだろう。
▽6 茂木健一郎氏が指摘した「危険」
その意味では、脳科学者の茂木健一郎氏が、Facebookで「皇室典範と、男女の平等は、関係ない」「論理的に独立」であり、「1つの認知的錯誤だと考える」と主張するのはまったく正しいと思う。
しかし、茂木氏の主張が注目されるのはそこではない。茂木氏によれば、国連の動きに反発する日本人のなかにも「認知的錯誤」があるというのである。
つまり、皇室典範擁護者には男女平等推進に消極的な人がいる。
「『皇室典範は人権などの普遍的価値とは無関係』であると特に言及せずに無視することであり、国連のあり方や国際的な情勢に対する反発に結びつけることは危険である」というのである。
たしかに、そういう人たちはいるだろう。だから、誤解されるのである。
けれども、もっと「危険」なのは、なぜ皇位が男系男子によって継承されてきたのか、を合理的に説明する努力を、保守派の人々が怠ってきたことではないのか?
安倍首相は国会で、「今回のような事案が二度と発生しないよう、日本の歴史や文化について正しい認識を持つよう(各機関に)あらゆる機会を捉えて働きかけていく」と述べたが、「日本の歴史や文化」だけでは「差別の歴史や文化」と誤解されかねない。
妻であり、母である女性天皇はなぜ認められないできたのか、を解明し、説明されるべきだと思う。そうでないと「認知的錯誤」は続くだろう。
▽7 明治人が女帝を否認した理由
さて、小林氏がこう指摘している。
「(安倍首相は)今後、世界に『男系継承は女性差別ではない、日本の伝統だ』と説得して回るという。そんなことをしたら実は女系継承を認めるしか、皇室の弥栄はないと判明した時に、大変なことになる。日本は伝統を壊したと誤解されてしまう」
つまり、皇統の危機を迎えて、男系男子継承に固執することは得策ではないし、逆効果だとの主張であろう。
だとすると、明治人はまことに愚かな選択をしたことにならないか?
小嶋教授が指摘したように、憲法草案起草当時、女帝認否問題は「火急の件」だった。明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかったからだ。しかも、4親王家の存続も問われていた。
もし4親王家の皇族性が否認されれば、女帝を認めるほかはない。そこまでいかなくても、遠系男子と近系女子のいずれを選ぶのか、迫られていた。
しかし結局、女帝は否認された。いや女帝が否認されたのではない。女系継承が容認されれば、王朝が交替し、万世一系の皇統が保てないと判断されたのだ。
この明治人の判断は誤りだったのだろうか?
▽8 天皇とは何か
そもそも天皇とは何をなさる方なのだろうか?
首相を任命し、国会を召集するという国事行為をなさる方なのか。被災地に出かけ、国民と親しく交わり、励まされることだろうか。諸外国を訪問され、国際親善を深められることだろうか?
もしそうだとしたら、皇族女子が皇位を継承しても、夫がいても、子育て中でも、べつに問題はないだろう。
女帝が認められないとしたのは、天皇のお役目が別のところにあると考えられてきたからだろう。
それなら、天皇のお務めとは何か、天皇とは何か、がいまこそ究明されるべきなのではないか?
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