なぜ「支払い済みだ」と突っぱねないのか──「ソウル地裁慰安婦判決」を批判する全国紙論説を批判する(令和3年1月10日、日曜日)
昨日の全国紙の論説は「慰安婦判決」でほぼ一色でした。
一昨日のソウル地裁判決は「計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」と断じ、日本政府に慰安婦1人当たり1億ウォンの賠償を求める前代未聞の衝撃的内容でしたからまったく当然なのですが、日本の新聞の論説もまた、少なくとも私にとっては、首を傾げざるを得ない内容でした。
▽1 日韓双方に解決策を求めた朝日新聞
過去に慰安婦報道で重大事故を引き起こし、その後、社内検証で襟を正したはずの朝日新聞は、どうにも癖が抜けないのか、今回も韓国寄りでした。
「慰安婦判決 合意を礎に解決模索を」と題する社説は、慰安婦問題が日韓関係に「大きな試練」をもたらすことになったのは、前政権による2015年の「合意」を現政権が評価せず、骨抜きにさせたのが最大の原因と解説したうえで、「合意」を再評価して解決を模索するよう韓国政府ではなくて、日韓双方の政府に対して要求しています。〈https://digital.asahi.com/articles/DA3S14757182.html〉
不快なのは、わが非を忘れて、傍観者を装う白々しさではありません。日韓の歴史について、基本的な理解を欠いている事実認識にあります。
朝日新聞はほかの記事で、この裁判について「旧日本軍の慰安婦だった12人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟」と表現していますが、それなら日本政府はこれまで「損害賠償」を拒否してきたとでもいうのでしょうか。そんなことはありません。まったく逆でしょう。
高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』(岩波新書、1996年)によれば、もともと個人補償は国交正常化交渉の過程で、ほかならぬ日本政府が繰り返し主張したことでした。しかし韓国政府は一括受け取りに固執し、結局、韓国政府が韓国民に仲介することで合意しました。けれども合意に反して、韓国政府は経済協力金を経済発展に投じ、「漢江の奇跡」を成し遂げたものの、慰安婦にも徴用工(生存者)にも補償金を支払うことを怠りました。
そして今日の「慰安婦問題」が引き起こされたのです。合意に基づき、個人補償分も一括して支払った日本政府に何の落ち度がありますか。「賠償」は終わっているのです。
朝日の社説が2015年の「合意」に遡って議論しようとする態度はさすがです。それだけ歴史の事実を重視する立場を貫くのなら、さらに遡って日韓会談の「支払い済み」の具体的資料を示し、韓国政府に非を認めさせるべきではありませんか。日本政府への要求なら「支払い済みの証拠を示せ」と強く訴えるべきではないでしょうか。
▽2 「解決済み」「国際法の原則」で済ませる産経新聞
朝日新聞の報道に批判的な産経新聞も、大して変わりません。
産経新聞は「『慰安婦』賠償命令 歴史歪める判決を許すな」と題する「主張」で、もっぱら韓国側を批判しています。しかし言うところの「歴史」には、朝日新聞と同様に、「支払い済み」が脱落しています。〈https://www.sankei.com/column/news/210109/clm2101090002-n1.html〉
主なポイントは、2015年合意と「主権免除」原則の2点です。
まず、2015年の「合意」です。「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されたのに、合意を反故にしたのは文政権だと指摘しています。朝日新聞と同様に正しい見方ですが、不十分です。
1965年の国交正常化に際して、日韓基本条約とともに結ばれた「請求権ならびに経済協力協定」では、韓国は国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」し、かつ以後は「いかなる主張もすることができない」と第2条に明記されています。「主張」の指摘はまさにこれです。
しかし協定の第3条は「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と定め、「紛争」の発生を想定しています。そして争いが持ち上がったのです。産経の「主張」のように「解決済み」とは言い切れないのです。
とはいえ、慰安婦たちが訴えたような「被告から賠償を受けていない」というのは事実に反します。既述したように「支払い済み」だからです。「解決済み」ではなくて「支払い済み」なのです。
ソウル地裁が日本政府に賠償を命じたということは、「支払い済み」の事実を認定しなかったということになります。正しい事実を認定しない判決は無効であり、これは冤罪です。産経新聞はなぜそう指摘しないのですか。
2点目は「主権免除」です。
「主張」は、日本政府が国家は外国の裁判権から免除されるという国際法の原則に立っていること、したがって「却下」が相当と見て、審理にも参加しなかったことなどを説明し、今回の判決は「日本の国家主権への侵害」だと断罪しています。
また「主張」は、今後について、日本政府は控訴はしない、判決文も受け取らない、となると、日本政府の韓国内資産が一方的に差し押さえ、売却される可能性があると懸念しています。まさに国交断絶、開戦前夜と言わんばかりです。
しかし「主権免除」の原則は揺れています。古典的な解釈は通用しなくなっている、だから今回の判決も出されたのではありませんか。日本の外務当局が教科書的な論争を好むとしても、古くて危うい机上の議論より、もっと実際的な、そして多くの共感が得られる方法をなぜ探さないのですか。。
つまり、日本政府は「支払い済み」の証拠を示すことです。産経新聞の論説委員はそのようにお考えにはならないのでしょうか。
▽3 「支払い済み」を明らかにした女性基金委員長
読売新聞は「社説」の「元慰安婦訴訟 『主権免除』認めぬ不当判決だ」で、「政府は対外発信力を強化して、日本の取り組みを丁寧に説明し、各国の理解を得なければならない」と訴えています。じつにけっこうですが、「解決済み」と述べるばかりで、「支払い済み」への言及はありません。観念論です。〈https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210108-OYT1T50244/〉
毎日新聞の「社説」は「韓国の元慰安婦訴訟 対立深刻化させる判決だ」で、やはり「主権免除」を論じています。〈https://mainichi.jp/articles/20210109/ddm/005/070/069000c〉
国際司法裁判所が「反人道的」を理由に原則の例外と認定してきたのは、拷問とジェノサイドである。「慰安婦制度」を例外と認めるなら新たな判断になるが、第二次大戦中の行為に当てはめるのは無理がある。人権被害の救済を重視する国際法の流れは、大戦への反省から生まれたからだ、と指摘しているのは新鮮味があります。
毎日はまた、判決が慰安婦問題での日本の取り組みを無視しているとも述べるのですが、政府の謝罪や女性基金事業には触れても、残念ながら「賠償済み」との解説はありません。
日経新聞の「社説」も同様で、「国際慣例に反し理解しがたい慰安婦判決」と題して、「主権免除」「解決済み」と論じるばかりです。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH0874J0Y1A100C2000000?unlock=1〉
さて、私が「支払い済み」と申し上げる根拠は、既述した高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』にそのように解説されているからです。
高崎先生は昭和19年の生まれで、大学で教鞭を執りつつ、日帝支配に対する謝罪と賠償を日本政府に求める運動を展開してきました。そして、アジア女性基金運営審議会の委員長をも務めました。
『検証 日韓会談』は、版元の岩波書店の説明では、「戦後補償、日朝交渉といった課題を前に、明らかにしておくべき歴史的経緯をたどる、初めての本格的通史」とされています。正常化の過程で、「補償」がどう扱われたかなどが、外交文書や未公開文書などあらゆる資料を駆使して、生々しく描いてあるとの触れ込みです。
御用学者ならいざ知らず、ほかならぬ高崎先生の研究が「支払い済み」を明らかにしていることの意味は小さくないでしょう。高崎先生もそのようにお考えかと私は思います。それとも先生の研究に間違いがあるのでしょうか。
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