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継承された女神は何処へ 映画『女神の継承』感想と気になった所

『女神の継承』を観てきた。

個人的に、非常に楽しい映画体験だった。そして言いたいことも聞きたいこともある。ので、ここに書いていこうと思う。

まず私がこの映画を楽しめた理由を書く。それはひとえに、絶妙な事前情報を頭に入れていたからだろう。
絶妙な事前情報とは?「白石晃士監督が俺に撮らせろ!と言っていたモキュメンタリ―映画」という情報である。
白石監督と言えば、コワすぎ!シリーズやオカルト、カルト、ノロイなどで知られる映画監督だ。モキュメンタリ―、つまり現実で撮影されたかのようなフェイクドキュメンタリー手法を駆使し、新たなホラー表現を追求する表現者だ。
その彼が俺に撮らせろと言ったということはつまり
・モキュメンタリ―としての手法はイマイチ
・内容は面白い(もっと面白くなる可能性がある)

ということなのだろう。私はそう予想しながら映画館へ足を運んだ。

結果、その通りであった。
この予想があったからこそ、私はこの映画の稚拙なモキュメンタリ―手法を面白がることができ、かつこの映画ならではの独自要素も拾うことができたように思う。ちょうど良い事前知識は鑑賞体験を向上させうる。

さて、以下から具体的な感想に入る。ネタバレを大いに含むので自己責任で閲覧してほしい。









序盤から最後まで、私はとにかくノイの立ち振る舞いに注目していた。
ノイ、ミンの母親でありニムの姉である彼女。彼女はもう本当に、どうしようもないくらいわがままで、傲慢で、非常に人間らしいキャラクターだった。
私が女神であったなら、ノイのことは絶対に許せないし、絶対に苛め抜いてやりたいと思うだろうと、そんなことを考えていた。
彼女は何も選べない。すべてを求めるからだ。娘の命、家族の縁、今の宗教、昔の宗教、過去の自分、妹、自分の命、娘の身体。「娘を助けて」と言いつつ、彼女はすべてを求めていた。すべて、今までのままであるように。かつ、彼女は傲慢であった。ミンの「巫女になりたくない」という切なる願いに、なんの根拠もないまま「大丈夫」と、本気で返答していた。
なんと人間らしいキャラクターだろうか。精霊(悪霊)と人間のはざまにいるニムと、徐々にあっち側へ進んでいくミンに囲まれ、彼女の人間らしさはどんどん強くなっていくように見えた。
だから終盤、ノイが「女神に会えた」と言い出すあたりですごい興奮してしまった。ついに!?お前も人間をやめるのか!?と固唾を呑んだが、私の解釈ではやはり彼女は最後の最後まで純粋な、一般的な人間であった。彼女が見た女神とは、彼女の傲慢さが見せた幻影で、妄想で、非常に彼女らしい現実逃避だった。最初から最後まで、彼女は一貫して人間だった。

モキュメンタリ―部分の稚拙さはここで書くまでもないかなぁと思うが一応書いておこう。だれが撮ってるのかーとか誰が映像回収&編集してんだーとかこの映像は誰向けの何なんだーみたいな問題点がのさばっている。
こういうモキュメンタリ―やってみたかったのね、みたいなシーンも多くあるけれど、稚拙な部分のほうが目立ってしまった印象。今後に期待、としておこう。

ただ、作品の主軸に「信仰とは何か?」という大きな問いを置き、かつそこへの(非常に絶望的な)一つの答えを提示した潔さは評価に値するだろう。我々が信仰しているモノを、我々は実はよく知らないという事実。これをホラーに落とし込んだ脚本は非常に巧みだ。問いと答えがしっかりあるからこそ、オープニングとエンディングの演出がバッチリはまっている。見終わった瞬間に、きれいな着地によってもたらされる心地よさがあり、身の回りの信仰のこと思い出してゾッとする恐怖がある。だから私は、観て良かった、面白い時間だったと感じたのだろう。

ひとつ考えていることがある。それは女神像を壊したのは何者か?という点だ。それまで冷静だったニムが声を荒げたあのシーン。女神像を壊したのは何者だったのだろうか。
現状の私の解釈では、あれは女神像内部に祀られていたモノが外へ出て、そのエネルギーで器として存在していた女神像が破壊されたのではないか、と考えられる。外部の何者かの力によって壊されたのではなく、内部から放出される力、つまり封印が解けたことを表すのではないだろうか。

ミンがノイを殺すとき、彼女は燃料を彼女に撒き、マッチを擦って火をつけた。何なら最初にマッチを擦った直後にカメラマンに気づき、一度火を消して(燃料に着火せずに)カメラマンを襲っている。
儀式前日までの獣じみた動きからは考えられない知能である。このことから、あの瞬間、ノイを殺さんとしているミンは女神の継承に成功しているように思える。それ以前にも、悪霊に取り憑かれたミンがノイが巫女になることを拒んだときのことを詳細に知っていたり、ミンは女神(とよばれている何か)の継承(依り代になること)に成功しているように思える。

つまり、ミンには女神が取り憑いている。ミンは女神と交流する巫女を継承したのではなく、女神そのものを継承したのだ。

ニムは女神の言葉を聞いたことはないと言った。彼女は女神を感じることしかできない。それこそが巫女の役割である。
女神とは何か。簡単に言えば悪霊のようなものだろう。それは女神像に封印され、巫女の祈りや供物によってなんとか抑え込められ続けてきた。しかし、巫女を拒んだ女と人と獣に恨まれ続けた血を持つ男が結婚したことによって、封印が解けたのではないだろうか。その結果、女神像という器は無残な姿となったのではなかろうか。と、こんなことを考えている。

とりあえず、バーッと書きなぐってみた。また観たくなってくるので映画の感想文執筆というのはなかなか危険な行為だ。
とにかく、楽しい時間だった。映画館で観るホラーは良い。逃げられないのがいい。目の当たりにすることしかできない時間を、そのまま味わえるのはやはり映画館だと再認識した。

今月はまだまだ、劇場で観るホラー&スリラーモノが続く。
今後の新作も、非常に楽しみである。

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