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世紀末とはいかないまでも、なかなか生きづらいこの時代。ケンシロウの生き様にスポットライトを当て、愛とは何かを問い直します。

一日一巻一名シーン(いちにちいっかんいちめいしーん)を順次配信していきたいと思います。

もはや漫画界の古典というべき作品について、一巻あたり、一つのシーンを切り取って紹介していこうという試みです。

記念すべき?1回目は「北斗の拳」を取り上げます。
これを読むだけで北斗の拳について知ったかぶりできる、そんな記事を目指したいと思います。

アニメやゲーム、パチンコなどのメディアミックス化や蒼天の拳、イチゴ味などのスピンオフが大当たりしている「北斗の拳」レーベルですが、原点にして至高のマンガ「北斗の拳」も今なお輝きを放っております。

残念ながら、ジャンプコミックス版は手放してしまったので、集英社文庫版に基づいて一巻につき一名シーンを取り上げていきたいと思います。

こんな時代だからこそ、世紀末の男たちの生き様から学ぶところは多い?かもしれません。

集英社文庫版1巻は、VSシン編、VS「GOLAN」編が収録されています。

GOLAN・・・懐かしすぎます。

マッド軍曹(サージ)にも是非登場してもらいたいところですが、ここではVSクラブ様のワンシーンをチョイスしました。

時は世紀末、199X年、世界が核の炎に包まれ、暴力が支配する無法地帯となり、紙幣など「ケツをふく紙にもなりゃし」ない、そんな時代です。

KINGことシンは、自身が統治するサザンクロスで人々に暴虐の限りを尽くしています。

かつてシンに連れ去られた婚約者・ユリアを取り戻すべく、シンのもとへと向かうケンシロウですが、その過程で、シンの部下の悪党どもを血祭りにあげていきます。

下のコマに登場するクラブ様(スペード、ダイヤ、クラブ、ハートというのがシンの一味の幹部)は、「修行」と称して、夜な夜な人々を惨殺する悪党です。

ケンシロウは、クラブ様の経絡秘孔のひとつ「命門」(背中にあるらしい)を突き、「おまえの命はあと一分!」と宣告します。

そして、「死にたくなければ俺の質問に答えるんだ」と申し向け、「KING」に関する情報を聞き出します。

クラブ様から「KING」が「おそろしい拳法」を使うという情報を聞き出したケンシロウですが、クラブ様を助けようとはしません。

クラブ様は「えっ!?」「約束がちがう!」となりますが、ケンシロウは、「おまえが一度でも約束を守ったことがあるのか」「一度でも命ごいをしている人間を助けたことがあるのか」と切って捨て、クラブ様はむごたらしい死に様を迎えます。

特に必要もないのにクラブ様の顔を靴で「ムギュ」っと踏みつけたのも、力のない人々を「家畜のように」扱い惨殺してきたクラブへの激しい怒りによるものでしょう。

ケンシロウの悪への断固たる姿勢、悪党に対するえげつないほどの非情さをよく表しているシーンとして、この部分を取り上げました。

「一度でも命ごいをしている人間を助けたことがあるのか」というセリフには、新約聖書のキリストのセリフにも似た凄みがあります。

リンやバットのような子供たちに見せるやさしさ、あたたかさと悪党への冷酷なまでの非情さのギャップがケンシロウというキャラクターの深さと言えます。

「北斗の拳」では、基本的に、ザコキャラは「完全な悪」だと定義されています。シンやサウザー、ラオウなどのボスキャラは、一概に「悪」と割り切れない複雑さが描かれますが、他方でザコキャラはとにかく悪い奴らなわけです。前提として彼らに善の心は一片もありません。よって、ザコキャラを倒す際に一切の憐憫は無用ということになります。

弁護士のような仕事をしていますと、「普通」の人間が、「善」にも「悪」にもなること、一人の人間を善悪の二元論で割り切ることなど到底不可能であることを痛感させられますが、世紀末においてはそのようなためらいは不要です。

核兵器によって文明社会が消失した「世紀末」という、身分・貧富・人種・国籍といった、現代人が持っているほぼすべての属性がリセットされた舞台が設定され、暴力に身をゆだねる人間(ケンシロウの敵たち)と、虐げられながらも暴力に抗う民衆とそれを助けるケンシロウの活躍が描かれます。

殺伐とした描写とは裏腹に、「北斗の拳」を貫くテーマは「愛」だと思われます。誰よりも力を持ちながら、暴力に与せず、弱者を守り、愛に生きるケンシロウの姿はまさに「世紀末救世主」です。

自分の生き方に迷ったときは、一度「北斗の拳」に立ち返ってみてはどうかと思う次第です。

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