推しって言葉を使う男に引くという主観

多分女の人が「これだからモテない男は」みたいに思うことを書きますね。わかんないですけど。

推しって言葉を使う男がなんかヤだ

何その…何?
多分あなたはそう思ったんじゃあないかなと思うんスけど。
わたしも「自分は〜推し」とか言っちゃう男を見るとそう思うんすよ。
何その…何?
ってね。
あと

男性K-POPアイドル推しとかいう男

これもマジキツいです。
女の人には理解できないでしょうねェこの感覚。
なんだろう。
本当に好きなんか?
と問い詰めたいんですよ。
いや本当に好きならいいんですよ。
わたしは関わらないし向こうも関わりたかないでしょうけどわたしとしてそれは納得できるんですよね。
でもいるんですかね、本当に好きな人。
本当に好きだと他人に言う事は誰だって可能なわけで、その本心は本人にしかわからないわけで、性善説ならばそれをまぁ信じれば済む事なんですけど。
わたしは生い立ちが生い立ちなもんで人間誰しも悪魔を飼ってるぐらいに思ってる性悪説の懐疑主義者なのでね。
あんまり信じられませんね、そう言う男。
実際見かけたからこんなこと言ってんですけどね。
まあそれでも。
それでもですよ。
たとえ「何らかの目的があって」その様に言っているのだとしても。
それで本気で推し活ってゆーのか知らねえんですけど推しって言葉を使わず言うとファンとしての活動?熱心に追ったりとかそういう、そういうことをしているのであれば?
それはもう一貫性があるし別にわたしも「よーやるなぁ」ぐらいにしか思わないんですけど。
いたんですよ、Twitterに。
それっぽいのが。
全く関係ないワードで検索していたのにたまたま見かけちゃったんですけど。

明らかにオマエ俄だしやる気ないやんけ。

って感じなのに

K-POP命です

とか言っちゃる男が

ゾワっとしましたね。
いやそう。人の勝手なんですよ?
人の勝手なのは分かってるんで突撃しないんすよ。クソリプしたり晒したりしないですよ。それがわたしのフンベツなんで。
でもわたしはわたしの感想として正直に言いますね。
韓国好きな女の人に嫌われてもモテてもいいので自分の感想を自分の場で叫びますね。
ゾワっとしました。

元来わたしはミーハーが嫌いなんです。
オマエ何でもいいんちゃうかと。
ムカつくんですよ。
本当に好きなものがある人間として。
何にでもコロっといくやつ。
すぐに「もうどうでもよくなる」やつ。
昔好きだったけどもう追ってなくて一般大衆に受け入れられて「自分はもう蚊帳の外なんだな」っていう寂しさすら理解できない奴。
キライなんスよ。
そういう意味でも苦手ですし。
なんか透けて見えちゃうんすよね。

女にモテたいからやってる感じ

これほんと苦手っつーか生理的に無理なんで。
まぁ女様はそういう男を叩くとヒスりそうな予感がありますけど、敢えて言いますよ。

女に嫌われたくないからって自分捻じ曲げる奴ほんとヤダ

女の人達もね。とある掲示板で。セフレいっぱいいるDV男を叩いてる時にこんなことを書いてました。

「こいつは女が常にいないと無理な奴。きたない」

なるほどなるほど。
これが怒りに任せただけだその場限りの感想なのか。
それとも普遍的なものか。
まあ当然この人がそう感じたり思ったからって女の人全てがその様な考えなわけではありません、いや逆にそうかもしれないし。
わかんないですけど。
便利その時その時そういうの使い分けてる人もいそうだなとも思いますけど。
別にそれだってどーでもいいんですけどね。
兎に角女の人達にも。
一応そういう、女ばっか追ってる男に対する苦言、というような、感情もあるみたいなんで。
ちょっとわたしもレッテルの準備ができたかな、と思いました。

また別のとある掲示板にて。
鬼滅の刃に苦言を呈する男性達にキレ散らかした女の人が、いたんですよ。
その人の結論は結局「モテない男の戯言!」だったんですけど。
うんまあそれはそれでいいんですよ。
あってるかもしれませんし。
偏見、レッテルですけどね。
ただ言いたいですね。
その掲示板ではとある男キャラが苦手だという話をしてたんですね。
そのキャラはまあ女大好きなキャラで、女人気は高いけど男人気は低いらしい、と。
掲示板住民は「女を全肯定してくれる存在だから人気があるのではないか」って分析してたんですけど。
そういうのに対するブチギレが「モテない男の戯言!」だったんでね。
じゃあそれは「モテない女の戯言!」だねって。

鬼滅の刃がどれだけ一般にウケようがはじまりは腐女子だったんじゃあないかと思います。
キッズも好きだったみたいなんで、どっちが先かとかはわかんないですけど。
今は垢抜けしてる腐女子も非常に多くいらっしゃいますけど、いずれにせよBLを嗜んでない女の人とは別の感性を持ってる様な気がするんですよね。
モテるかモテないかは実は個人的正直にクソどうでもいいんですが、「モテない男の戯言!」さんは「一般の感性とはズレたモテない男どもは」みたいな書き方を厳密にはしてたんで。
いやあなたも「一般の感性からズレてません?」って思いましたね。
少なくとも「普通の人」は、そのキャラを苦手とする掲示板に態々自分から入っていって「モテない男の戯言!」とヒスるとは思えないんですよね。いやそれが普通だったらアレですけど。統計とか取ってないんで厳密にはわからないんですけどね。わたしの観測世界上多分そうなんですよね。

なんだろうな。
そもそも、そういう「普通」により縋ってしまう「みんなと同じであること」を強く求めてしまう、裏を返せば「みんなと同じでなきゃいじめられる|ハブられるから」と必死になる姿は、「大変だな」って思います。
狭い世界で生き残る為に頑張ってんだなぁって。
めんどくさい世界だと思いますよ?
あんまり知らないと思うんですけど、「体育会系の男」の集団も、多分女の人の集団のめんどくささとかなり似た性質を持っていると思うんですよね。わたしは女の人の集団のめんどくささを伝え聞いたり垣間見たりしてるだけでど真ん中で体験してないんで(男なもんで)そっちのことは100%わかんないですけど、多分スゲー似てます。サッカー部とか顕著ですね、野球部はもっと陰湿だと思いますけど若干性質が違うかな。まあだからサッカー部やらはモテやすい部分もあるんだと思いますね。女の人の気持ちが共感理解しやすいんじゃはいかと思うんで。閑話休題。
とりあえずそういう「みんなと同じ」でないといけないとする精神。
自衛のために搭載なさってる方も多いでしょう。まあそれは大いにやってって感じなんですが。
そんなことを長く続けているうちに、あなた達はやっぱり「みんなと違うもの」を目の敵にして睨んで爪弾きにして口汚く罵る人間になってしまう様なんですよね、多くの場合。
わたしの主観ですよ?何度も言いますが。
それってすっかり根元まで思想を染め上げられちゃってるし、代々生きづらさを継承していくんだろうなって感じが、不幸の連鎖を産みそうだなと、思いました。
有体に言うと「そういうのもうやめましょう、そしたらみんな少しは生きやすくなりますよ」なんですが、まあ、むりですよね。
これって核抑止の問題と似ているなって感じます。
みんな一斉にハイ終了、にしないといけないんですよね。自分だけ持つのやめたらやっぱり迫害の対象になるんで。村社会ですから、この国の人達は。
でも他の部分で劣るゆえにそれを持ってたい人とか、加虐が楽しくてそういうのを持ってたい人もやっぱりいる。
そしてそれは今後多様性を便利使うことで寧ろ権利を強固にしてしまうんじゃないかな、なんて懸念さえあります。
だからまあ、女の人達及び女の人にモテたい男の人達とか運動部出身の男の人ががそれを持たなくなるのは無理だろうな。そう思いますよ。
ただわたしは「みなさんこういう性質ありますよねー」って掲示することで、何かが少しでも変わることに期待している、のかもしれませんし、そうでないかもしれません。
どうでしょうね。
ここまで読んでくださってかつ反感を抱いた人は結構少ないと思うんですけど(ここまで読む人間が少ないだろうし、ここまで読めるなら強い反感を抱いているか同調しているか、人間観察か、その三択な気がするので。)そういう人ってやっぱりそういう、一種の「社会性」を「真理」や「正解」にまで昇華してしまってる人なんじゃないかな、と思います。

そして「モテない男の戯言」という必殺技ね。実際これが効く男性も多いでしょう。わたしはモテることを目指してないんでどうでもいいんですが、それでも「それを全男に効く威力が高い攻撃だと思ってる女の人」の存在は癪というか、「エラそうな奴」「無意識レベルの女尊男卑」「あからさまな女尊男卑」とかそういう風に感じて呆れますね。
「男がみんな女にモテたいと思ってる女」じゃなきゃ「モテ」云々を返す刀にしないんじゃないかと思いますし、「多数に効くから」という理由ならそれはわたしも同意しますが、そのこと自体が「男どもがどれほど女に尻尾振ってるか」という点で情けない不甲斐ない腰抜けだなって思います。まあわたしも好きではない言い方をすれば「モヤシみたいな男ばっかですし、仕方ないですね。」
LGBTとか、自陣に味方するときは便利に使っちゃったりしますよね。
この場合で言えば「ゲイ」がいるのが反証の一つに使えますし、アセクシャルとかね。
わたし自身LGBTのナニガカシカに所属意識なんて持ちたかねえんですが割と特殊な生い立ちのせいで性別周りの話については一過言あるんでそこらのレイプされたこともないLGBTにどうこう言われる筋合いはないんですが(これを暴論と呼んでもいいですよ。議論を成長させましょう。新しい名前をつけてもいいかもしれませんね5chとかにいそうなレッテル大好きな人達に倣って。わたしから敵に塩を送る感じで名付けるならば性被害マウントでしょうか。語感が悪いですね。)
まあ話を戻すと一方で逆に普段女の人達もLGBTを便利な時だけ味方してるんじゃないかなーって思いますよね。
それを「みんなが声を聞くべきだと言うから聞く、じゃないとハブられるから」って思考停止でなっちゃうのはマジでヤバい国だなって思いますね。「みんなが破滅を選ぶなら破滅を選ぶ」みたいになっちゃうんでね思考停止だと。自分の中に反感があるならそれを自由に発言できることが「真の多様性」であると思いますけどね。突き詰めて、極論で、犯罪者であっても、それは多様性の範疇なんですよね。わたしはこれまでわたしに加害行為をしてきた人間にしねしね言ったりしてきてますけど彼らが「絶対に存在して欲しくない」とまでは思ってないんですよね。ほんとにしんでほしーなーって言っても、多分ほんとに死にそうだったら「ほんとに死ぬなよ」ってなりそうです。あのファッキンファーザーであってもファッキンブラザーであっても。わたしは人類が今後その賢い頭によって増え続ける人口やら付随して食糧問題や水問題やら解決できると信じたいと思っています。その意味では本当は「誰一人かけることなく皆が健やかに暮らせる社会」という到底実現不可能でありそうな状況を夢見ているロマンチスト(理想主義者)なのかもしれませんね。殺人鬼も核爆弾落としたい人も、みんなが完全に満たされるようにするのはまあそうじゃない人達の願いやしたいこととコンフリクトするので、そこは多数決という便利な思考停止採択によるのではなく、AIなどの活用によってよりよい解決策を模索し続けるべきであると考えます。わたし自身が今ここでその解決策の結論など出せるわけもないのは当たり前のことです。もしそれがおかしいと思うのであればそれは漫画やドラマや映画の見過ぎですね。フィクションに登場するありえもしない天才キャラに思考が染められているんじゃありませんか?そんな簡単に一人の人間が秒で解決できるならこんな何千年と人類が争ったりしてたりな歴史が残ってるわけもないでしょう。難しい問題なんです。まるで解決不能に思えるのです。しかしだからこそ我々はその審議をやめてはならないのです。楽をしたがるのが人間の頭ですから楽をしたいと思うのは当然でしょうが、だからといって楽をするのが正解なわけではない。厳しいことはノットイコール無理なんです。個々人の好きも嫌いも全部全否定せずにそれぞれがそれぞれ絶妙なバランスで擦り合わせられた社会を目指して見ることはわたしは提案しているわけです。誰かが100%満たされることはないがだれかが1%も満たされないこともない。ある意味ではわたしが批判する「みんな同じ」であるように捉えられますがそうではありません。それぞれのカラーを染め上げてみんな同じとするのではなく、それぞれのカラーはそれぞれのカラーとして持ったままそこにフィルターをかけるのです。個人を染め上げることはないが社会のシステムでそれを吸収する。その一つの解決策はメタバースなのではないかと思います。殺人鬼が固有の空間でいくら人を殺そうと大乗なように。核爆弾を落としたい人が固有の空間でいくら核爆弾を落としても平気とする。つまり個人の色味を薄めたり濃くしたりして均一を目指したり無理やり一色に染めるのではなく、全ての人間を仮想空間に「そうと気づかない内に」ぶち込んで好き勝手やらせるわけです。そうして全人類がレイヤーごとに個人の世界を持てる一方でレイヤーを重ねて交流することもできる(まあこの表現は漫画譲りです。表現自体は。似たようなことはわたしもそれを読む前から考えてたので。)問題が発生するならば管理者がレイヤーを離せば安全は守られる。本当の意味で現実で満たされるものはいなくなるので100%はなくなります。切り捨てられる側も同様に100%報われたり思い通りにはなりえません。誰しもが同じ条件の元個人の仮想世界で好きに生きることができるのです。わたしは今映画「マトリックス」を思い出しています。子供の頃に見たのでその内容を正しく理解してないような気がするのですが、あの世界では人類は管理されていたように思えます。何によって?の部分がよくわからないのですが、わたしの言ってることはあのディストピアに近いのかもしれませんね。そう、これはディストピアです。ですから、先ほども申し上げたでしょう。わたしが最高の答えを導き出せると期待するのはナンセンスであると。これは一つの案ですよ。ただの。割と現実的に可能そうですけれどね。そもそもそのレベルで管理できるなら人口も緩やかに調整できそうですから物質的問題をどうにかする必要が減りそうです。まあそれはともかく、他にもほうほうはあるでしよう。それをみんなが考えればいいと思いますよ。丸投げでなく、折角80億も人間がいるんですから、その中でそういうことを考えてられる物理的な暇のある先進国の人間は考えるべきです。特に政治家や経営者など、株主など、こういったことを考えべき立場にある人間はね。目先の利益しか考えなければ絶対に立ち行かなくなるんですから。
話が逸れまくりましたね。
戻しましょう。
ハイ。

普段LGBTに理解があるフリをしている女の人はモテ云々を返す刀に使ったならばGを無視してるよねってそう言う話でした。その前段階としてわたしが敢えて人身御供となってLGBTを便利使った場合の例をシミュレーションしてみせたのでした。
そこでわたしがじゃあLGBTを普段便利に使ってるんじゃないかとか理解があるフリをしてるんじゃないかと言われるとご返答が長くなるので割愛します。
一文だけ書けば、わたしはLGBTを好きにしてくれでもこっちと敵対すんならお前らも同じ苦しみを味わえって感慨を持つでしょうね、と言う風に思ってますかね。多分ね。
これも考えながら掘り下げないと真実は見えてこない気がしますね。
そもそも自分のことを100%わかってると思ってる人間はヤバいかもしんないっす。人間無意識の方がデカいという説というか体系もあるわけですからね。

最後の解剖対象はわたし自身です。
わたしは何故「推しって言う言葉を使う男がイヤ」なのでしょう。
まあでもそれは、既に述べているようなものです。

つまるところわたしは、ミソジニストもミサンドリストも、別に対立していていいと思うわけです。相手に粘着したりしなければ。思想は自由であるべきだと考えますから。誰かが何かを思うこと、それがワクハラだろうが反ワクだろうが、アベノセイダーズだろうがサヨクガーだろうがなんだっていいですけど。対立を態々煽るつもりはないんでここで一人書いてるわけですが、みんな好きに思ったらいいと思います。前途の通りわたしはそれらをシステムで統制することを一つの案として書いてますからね。実際のやり方は色々あるでしょうが、パッと思いつくのはアニメ「PSYCHO-PASS」や映画「マイノリティ・リポート」ようなやり方ですね。まああんな方法が現実で採れるとはあまり思えませんが…そこは犯罪心理学のプロやハード、ソフト両面の技術者研究者に話し合ってもらわないと確定できませんね。常識的に不可能なことが不可能であれば飛行機は飛んでませんからね。

何かと現代人は結論を急ぎがちで、何かに縋りがちなように見受けられます。せっかちで、生き急いでますよね。そして言われたことや、一般的に信じられていることを信じすぎにも見えます。自分が一度持った思想を疑うことも難しいようですね、わたしが言うのもなんですが。
例えば「男はモテるべき」「男はモテたいと思ってる」とかそういうのもそう。
或いは男自身が「モテたい」と思うこと。
遺伝子の乗り物だとか、本能だとか、そういう言い分もまあわからなくはないんですけど。それも一つ一つの価値観に過ぎませんし。
何が正解|真かは個々人や状況や時代やら多くの事柄で変わってしまうんじゃあないかと思います。
それを「そういうものだから」とするのはやっぱり、楽でしょうけれど乱暴ですよ。
あまりに考えなしです。

というのがまあわたしの感じたことや思ったこと、考えでした。

で、です。
断っておきますが、わたしも未来永劫このような状態とは限りません。一貫性だって絶対的推薦事項ではありません。寧ろ人は変わるということを受け入れるのは自然なことに思います。私たちは日々物理的に新陳代謝していますし、様々な刺激に晒されて否応なく入出力は発生しているわけですから、これで変わらないとすることや、こわらないことを美徳とすること自体が大分無理があると思います。
こう書くと私がインプットしたくないと言っていたことを指摘されそうですが、あれは「盲目的に」美徳としてるわけではなく、わたし特有のアウトプットについての「拘り」として「採択」している方法論でしかありません。
一貫しているべきだ、という、あたかも社会的正しさや真理のように見せかけて糾弾する言葉とは違います。
単にわたしがわたしとしてアウトプットするに於いてのわたしの個人的な方法選択ですからね。
これだけ書けば流石に伝わると信じたいですが。比較的飲み込みやすい対比のためとはいえ、ほぼ二回繰り返しているようなものですし。

そんなところから。
とりあえずわたしはある時推しと言う言葉を使う男を見かけて、それが「女の人に気に入られる為の又は若い子に合わせての迎合」にみえてなんだかな、と感じたわけですね。

こう書くとわたしは保守的な人間なのですね………いやまあそも、人間も保守革新で二分するのが愚かかもしれません。
双方を持ち合わせている人も多いでしょう。
見方を変えれば保守も革新に言い換えられるかもしれませんし、逆もまた然りですし。

んーでもまだ全てを満足するまで紐解いていないような。

あー。
わたしが何故「女の人に気にいられようとする男」がいやなのか…。
そこら辺かな。
姉じゃない?
姉の存在が、わたしに女の人に対する反骨精神を育んだ可能性はかなりあると思うんで。
めちゃくちゃ理不尽に虐げられめちゃくちゃぶっ壊れた支離滅裂で論理が通じず呆れてもそれを言おうものなら物が飛んできたり大切なものを壊されたりしちゃうわけですから。

そこへいって簡単に適当にふざけてまとめるとこういうことになりますね。主題とかから外れたただのそもそも論ですが。

「加害してくる人間とは、付き合うな」

以上、閉廷!

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