改善案を出す事とその実施の困難さ

多くの日本国民がこの国の未来は暗いものであると感じていると想像する
そして〜が悪い〜を変えろと漠然とした断言はできても具体的なプランの発案ができる者は非常に限られているだろうとも想像する。
増して改善案の現実での実施となる尚更である。
「それは政治家の仕事でしょう」とまた他人事で流しているようではこのまま未来永劫この国は変わらない。
もっと自分達を信じるべきだ。
日本国民は批判に慣れ過ぎてしまって、そして同時にそれを極度に恐れ過ぎている。
何かにつけてすぐ批判をするけれど(まあわたしみたいにね)それが癖になってやいやしないか。
否定的に捉えることが癖になっていやしないか(まあ自戒もあるんだよね)
そして批判への恐怖心。
抵抗力、免疫力のなさ。
批判されるからやらない。
批判されたからやめる。
なんてくだらないのだろう。
批判されたからなんだというのだ。
批判されろ。
燃えろ。

テスラのイーロンマスクをみよ。
自動運転で人が死んでるぞと言われても日本企業のように記者会見で謝罪を開いて開発を鈍化させるようなことはせず、「非自動運転と比して人死は減ってますよね」と反論するまでしている。
怒られ慣れてない人が多すぎる。
怒られ慣れるにしても、サボる側で慣れていく人間が多すぎる。

「日本人は勤勉」など欺瞞だ。
日本人は怠惰だ。怠惰で面倒臭がり。自分の意見感想さえ誰かに委託している。阿呆だから。牙を抜かれた間抜けな猿だ。目に余る。
無駄に働いたり、無駄に休んだり、無駄ばかり。

とまあこんな具合に、批判をするのは簡単なのである。
そこから改善案を適当に並べることもまあ容易い。
実現可能な改善案を具体的に述べることとなると急激に難しくなるし、それを実施できる日本人はほぼ存在しない。
だから国が滅ぶ。
誰もがそれに目を瞑っている。
耳を塞ぎ、口だけ動かして、偉そうに識者ぶって、しかし実際にはなんら行動もしない。

行動できない事情があるのかもしれない。
それに足る気力可処分時間経済力何もかも足りてないのかもしれない。
でも無理をしなければそれは一生変わらない。
やる気がない、やる気が出ないからやらない、それでは一生何も望ましい方向には変わりようがない。
ただ天から当たりの宝くじが落ちてくるというフィクションを夢見ている。
誰も救っちゃくれないし、そんな幸運はないんだよ。

個々人の生活上の課題と国の問題を同様に扱うべきではないとは思うし、片方が改善すれば片方が問題ではなくなるということもあると思うから、ここらの流れは割と脱線してる感じなんだけど、それは正直わたしがもう疲れて死に体だからであると言い訳してそろそろこの記事は書き終わることに今決めた。

答えはわたしが出すものではないし銀の弾丸などどこにもない。
わたし自身に案はあるしそれを実施する為にどうするかはわざわざここに書くことでもないので割愛するが、あなたは果たしてどうだろうな。

あなたはこの謎の文字列を読み砕いて何を受け取るんだい?

「どうでもいいけどね」
「わたしには関係ないし」

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