本読みへの軽蔑

わたしはあまり本を読まない。
読まなさ過ぎて、恥ずかしい。
そういう教育を受けてきたから。
私は二十秒前まで本読みを尊敬していた。
しかし考えてみるに、本読みという奴は、どうにもこう、押し付けがましいのではないかと、そう俄に思い至り当文字列を生成するに至る。
それが大体四十秒前の事だ。
ここには過分に嘘が含まれている。
私は別に本読みを軽蔑していないし、着想からとか書き出しから何秒だとかというものも実際に計測しているわけではない。
むしろ私は本読みを二分前まで好ましく思っていたし計測をしたり時間に囚われることには息苦しさを感じる。
敢えてこのような崩壊した文字列を生成する事で私があたかも外国人かまともな教育を受けていない人間であるかのように錯覚させる効果さえ演出して見せることができると言い訳がましくという言葉を使う事でそれがあなたの武器になることを私は知っている上でやはり好んでそれを用いる。
さぁ、読者はこれで零人になったことであろう。
漸くわたしは自由な心持ちで素直に言葉を並べ立てることができるようになる。
あなたがわたしを嫌うならば嬉しい事だ。
わたしは具体的に好きな身近な人間一人と尊敬する遠き天才ども以外の人類が基本的に嫌いなので嫌われることに大して頓着しない。
これは誤りであるか?
あなたは私の脳が「正常に」稼働しているかどうかについて疑問をいだいたか?
それとももっと手前、重箱の隅のような旧い慣習がここにないことについて、固定概念や既成概念を塗りたくって積み重ね改修不能なほどにガチガチにした頭で思考停止気味に否定糾弾排斥回避レッテル貼りの何れかを試みるのだろうか。
どこまでもメタ的に煙にまきたい誰よりも外側まで裏をかきたいというこの素直さを説明されるまで察せられないようなあなたが評定を下す権利を持ってしまっていることは誠に嘆かわしいと言わざるを得ない。
何の意味もないものをここまで読んでしまったのだからあなたの敗北は濃厚であり間違いを間違いと分かった上で使ってる場に置いて発生する意図しない間違いをそうと示されなければ確定診断できないことこそが伝達という行為の不毛を証明しているという出発地点と着地地点がズレにズレた騙し絵めいた読点のない一文に辟易しているのだろうか。あはははははははは。
あなたに何の恨みもないが人々に傷つけられ踏み躙られ理解されずふざけた御高説により味わった屈辱の重たさ痛み汚れ全てを全世界に爪痕のように遺したいこの衝動を幼稚と名付けてこき下ろすことくらいであろうらあなたにできる悪あがきと言うものは。
社会が悪いとでも書いてみようか。
あなたのような人間が脳死で努力不足や自己責任を振り翳す道化じみたその様を昏い愉快の味に再会するためだけに。
このどれほどが本気であるかわたしの言葉であるかもあなたにはわからない。
わかったつもりになってるあなたは実際は本当はなにもわからない。
会社ではそれなりの立場かもしれない。
金も稼いでいるかもしれない。
周囲の理解や人気も得ているかもしれない。
けれどそれだけだ。
あなたはわたしの心さえ理解できない「わからない人」なのだ。
それも所詮、それだけの話だけれど。
今再び感染症をばら撒こうか。
あなたもいつか死ぬのだと。
そしてやってきたこと全て無駄になるのだと。















単に
















句読点信者と段落信者が嫌いなだけ。
わたしがそれらをできるけどやらないのかできないことの口実にしているのかさえもあなたには真実が見えない。
ただ自分の中で断定しイエスマンたちの賛同を得て溜飲を下げるなり見下げることで自分は正しいのだという誤解を深めるばかりであろう。
そうあなたは正しいよ。
一面的に。
















億万長者が本読みである傾向だから本を読む?
みんなが本を読んだ方がいいというから本を読む?
どこまでがあなたの意志なのか。

本読みに憧れるから本を読む。
本を読む自分が好きだから本を読む。
そういう人の方がよっぽど。
よっぽど好ましい。

本が好きだから本を読む。
大変結構。
尊敬するよ。


わたしはどれにもなれない

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